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ツポレフ(アルハンゲリスキー) SB−2爆撃機

Tupolev(Arkhangel'skii) SB-2
Туполев(Архангельский) СБ-2


ソビエト赤軍 他

SB-2bis
翼を並べるSB−2bis爆撃機((c)Туполев

 爆撃機の生存性を高めるため敵戦闘機よりも高速を発揮することを目指して設計された高速爆撃機。 ツポレフ技師が1930年代初頭に試作したANT−21試作多座戦闘機とANT−29試作重戦闘機 の設計を発展させて計画された。開発責任者はツポレフ設計局のA・A・アルハンゲリスキー (Александр Александрович Архангельский)技師 が務めることになった。
 米国製ライト・サイクロンエンジンを搭載した原型1号機は1934年4月に初飛行したが、その後 ソビエト国産のM−87エンジンに換装しての飛行試験に際して着陸に失敗し大破した。1934年後 半から35年にかけて主翼や垂直尾翼などの設計を改修しイスパノスイザ社製エンジンを搭載した原型 2号機および3号機が飛行し、更なる設計変更を加え1935年後半からSB−2(СБ−2)の呼称 で生産が開始されている。ちなみにSBとは高速爆撃機 (Скоростной бомбардировщик)の頭文字を取った呼称である。
 初期の生産型ではM−100星形空冷エンジンが搭載され最高時速は325km/hを発揮したが、19 36年に改良設計を加え、SB−2bisとなった機体は450km/hという高速を発揮するようになった。
 スペイン内乱に際して政府軍側を支援したソビエトは最新鋭機である当機を大量に投入し多大な戦果 を挙げ、また極東でもノモンハンにおいて日本陸軍航空隊と交戦するなど活躍した。また対フィンラン ド戦である冬戦争ではフィンランド側も鹵獲した当機を24機保有しており、敵味方双方が使用する機 体となった。
 1940年末に生産は終了したが、当時の双発軽爆撃機としては最多となる6,600機あまりが生 産された。しかし第二次大戦では時代遅れの機体となり、開戦初頭の対独戦では十分な護衛機無しで作 戦に参加した機体が全滅に近い損害を出し、すぐに夜間爆撃のみの行動へ移行したが1943年頃には 残存機も第一線を退いた。
 ソビエト以外の使用国としてはフィンランド(鹵獲機24機)、チェコスロバキア(輸入53機、ラ イセンス生産111機)、中国(輸入約200機)などがある。

機体詳細データ(SB−2bis)
全長12.57m全高 3.40m
全幅20.33m翼面積56.70m2
自重4,770kg最大重量7,880kg
最高速度450km/h上昇限度7,800m
航続距離2,300km巡航速度300km/h台中盤
発動機クリモフ M−103 液冷V型12気筒 960馬力×2基
乗員数3〜4名総生産機数6,656機(ソビエト製SB-2/SB-2bis)
武装7.62ミリ機銃×最大6、爆弾最大600kg(通常は250kg×2)
機体詳細データ(SB−RK(Ar−2))
全長12.50m全高 3.56m
全幅17.98m翼面積48.21m2
自重4,516kg最大重量8,150kg
最高速度514km/h上昇限度10,500m
航続距離1,500km巡航速度400km/h台後半
発動機クリモフ M−105R 液冷V型12気筒 1,100馬力×2基
乗員数3名総生産機数200機未満
武装7.62ミリ機銃×4、爆弾最大1,600kg(100kg×6、250kg×2、500kg×1等)
主要タイプ ANT-40:当機原型の呼称
SB-2:初期生産型。M-100星形エンジン(750hp)もしくはM-100A(860hp)搭載
SB-2bis:改良型。M-103エンジン搭載
PS-40:民間輸送機型。ごく少数機をアエロフロート航空が使用
SB-3:USBとも呼ばれる練習機型。グライダー曳航機としても使用
PS-41:SB-2bisを改修した民間輸送型。郵便機のPS-41bisもある
ANT-41:T-1とも呼ばれる雷撃機型
ANT-46:DI-8とも呼ばれる複座重戦闘機型。102mm機関砲×2搭載
B-71:チェコスロバキアのライセンス生産型呼称。M-100Aエンジン搭載型に準ずる
SB-RK:Ar-2とも呼ばれる急降下爆撃機型。M-105Rエンジン(1,100hp)搭載