帝国潜水戦隊の出撃

カントン島猛撃

大本営発表(昭和十八年二月四日十六時)
 帝国海軍潜水艦は一月二十三日及同三十一日フェニックス諸島カントン島の敵軍事施設及在泊艦に砲撃を加えたり

 この大本営発表は、わが潜水艦の果敢なる活躍の戦果を全世界に伝え敵を戦慄させた。
 帝国海軍潜水戦隊は一月二十三日太平洋洋心の敵航空基地カントン島に肉薄した。そして、不敵の攻撃心に燃ゆる鉄鯨は悠々洋上に勇姿を現し、たちまち攻撃の砲門を開いた。正確なる砲弾は敵軍事施設に命中、炎上、壊滅、まことに果敢なる攻撃であった。
 わが占領地との距離的遠隔をもって安心しきっていた敵の狼狽は察するに余りある。敵基地は無惨にも破壊し、敵兵に死傷者が続出した。
 攻撃成功を見すました鉄鯨は悠々と潜没し敵艦艇や飛行機の必死の哨戒の目を潜って避退した。
 それから週日後の三十一日、わが潜水艦は大胆にも再びカントン島攻撃を決行した。二十三日の攻撃により敵は対潜艦哨戒に血眼になっていた、その哨戒を潜って再度の攻撃である。
 潜水艦は悠々と洋上に浮上した。
 同島には米特設水上機母艦が入港している、絶好の獲物である。砲門火を吐き、水上機母艦に砲弾は殺到した、見敵必中弾である。わが潜水艦が港湾に在泊した敵艦に浮上して攻撃を加えたのはこれが最初であった。潜水艦の敵軍事施設に対する攻撃は、アメリカ太平洋岸に対する砲撃以来のことであるが、眇たる潜水艦をもって、カントン島に対し二回に亙る砲撃は、敵の心胆を寒からしめるに十分であったろう。
 水上よりの猛攻に呼応するごとく、南海上空に鵬翼を張る帝国海軍航空部隊は、三月十九日から二十六日まで三回にわたってカントン島の大爆撃を敢行したのである。
 三月十九日の第一回目は、悪天を衝いて夜間奇襲を決行した。航空隊が近づくと敵の高角砲が一斉に火をふいた。夜空に豪華な花火を打ちあげるように、砲弾は炸裂する。その火玉の中を隊長機がまっしぐらに飛びこんで行った。敵兵舎に爆弾を浴びせる。真赤な焔があった、つづく各機も、敵の弾幕をくぐって兵舎に殺到して爆弾を投下した、敵兵舎は猛炎をふきあげた、空に迫る火の怒濤をさけて全機は悠々と帰還した。
 つづいて三月二十二日夜、強襲を断行した。今度は飛行場を目標として果敢なる爆撃である。反撃は熾烈を極めた、その砲弾のなかに敢然とおどり込んで飛行場に必殺弾を浴びせた。たちまち、飛行場7個所から紅蓮の焔をあげて燃えさかった。
 二十六日の第三回目の夜間強襲は最も果敢に決行した。敵空軍基地は勿論、飛行場、格納庫、水上基地等に猛烈な爆撃の雨を浴びせ、格納庫は吹飛び、飛行機は燃え、敵の軍事施設のすべてが大火災を起し、カントン島は断末魔さながらの惨状を呈した。
 しかも、わが方には一機の犠牲もなく全機無事に帰還した。この戦果は左の如く発表された。
大本営発表(昭和十八年三月二十九日十六時)
 帝国海軍部隊は三月十九日より同二十六日迄に亘りカントン島を爆撃し兵舎地帯、陸軍飛行場、水上基地、格納庫等の軍事施設に対し甚大なる損害を与え全機無事に帰還せり

 このカントン島は、ハワイと南太平洋方面をつなぐ中間基地として大規模な軍事施設を持ち戦略的に重要な地位を占めている、一名マリー島とも呼ばれている。
 島の長さは八マイル、巾は四マイル、産物はコブラ、燐黄などである。昭和十三年八月、米、英両国が同島の利用について平等の利権を有するという協定を結んだ。だから、この島はいずれに所属しているかは決まっていない。一九三六年英国の帆船レイス号が来泊して初めてユニオンジャックの旗を建てたのだが、その六月英艦ウェリントンが日食観測隊を乗せてこの島に寄港、同じころ英艦アボットも同じ目的でこの島に来航して米、英両国ともに自国領土を主張して譲らなかった。
 ついで一九三八年三月、米国政府はカントン、エンダベリー両島の主権宣言を行った。これに対し英国は猛烈に反対したが、米国はそれに耳を貸さず、いつの間にか無電極を作りミッドウェー、ウェーキ(大島島)と同一条件のもとにカントン島の使用を汎米空輸会社(パン・アメリカン航空のことである)に許していた。
 かくて米、英両国は同年八月同島の主権問題は後日に譲るとして商業、航空、国際通信などに関しての利用は平等の権利を持つことにして一応ケリをつけたのである。
 現在では米本国と濠州を結ぶ兵站線の一つとして、飛行機の中間基地として重要なる役割を果たして居り、海陸両用の空港を設けて星条旗を翻して居た。
 この星条旗を潜水艦と航空部隊の必中弾は叩き落し、敵陣を壊滅したのである。
 昭和18年初頭(1〜3月頃)に第八潜水戦隊は南太平洋方面で積極的な交通破壊戦を実施しており、カントン島砲撃もこの作戦の一環として行われている。1月23日の砲撃は伊8潜が実施した。またこの砲撃はガダルカナル撤退作戦実施のための陽動でもあった。
 なお、航空部隊によるカントン島爆撃については当方所有の資料において戦果等は確認できなかった。
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濠州東岸に出撃

 帝国海軍の潜水艦は広大なる濠州本土方面にも肉薄して活躍しているが、この戦果の一つが左の如く発表された。
大本営発表(昭和十八年二月十二日十六時)
 帝国海軍潜水艦は一月中旬より二月上旬迄に濠州東海岸において敵船舶六隻、五万四千頓を撃沈せり

 この戦果は一月中旬から二月上旬に至る間のものであるが、反攻に狂奔する敵は六隻の船と、貴重な戦略物資を海底の藻屑にしたのである。この撃沈日誌を繙けば、
  一月中旬  八千トン級貨物船一隻、八千トン級油槽船一隻
  一月下旬  一千トン級貨物船一隻
  二月上旬  八千トン級貨物船二隻、一万二千トン級貨物船一隻
 これらの船には銃砲弾、火薬、糧食等を満載しているものと見られ、喪失兵器は優に六万トンを超えると見ても差し支えない。
 敵はソロモン群島に六万の兵を派していることは周知の事実であり、ニューギニア戦線でも熾烈なる戦闘が行われているとき、わが航空部隊、潜水戦隊の脅威を冒しても対日反攻拠点濠州との兵站連絡を忽せにすることが出来ない。この点に米国の苦悩は大きい。
 わが潜水戦隊は、飽くまでも清く澄んでいて上空からの飛行機に所在を発見され易い南海に活躍して、このような戦果を挙げているのである。
 米国政府は枢軸潜水艦による商船喪失トン数を一ヶ月平均百万トン前後と発表したが、デリー・エキスプレス紙の計算によると開戦以来二月上旬までの米国船舶の損害は実に六万五千隻に上ると報じている。米国海軍当局もまた、
 「現在では輸送船では明らかに旗色が悪い」と、この事実を裏書する発表を行っている。
 前段でも述べた第八潜水戦隊による交通破壊戦の戦果である。実際には伊10潜と伊21潜が1〜3月にかけて7隻(計4万5千トンあまり)の敵船舶を撃沈破している。この点において大本営は過大な戦果発表を行っていないようだ。
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敵潜艦を撃沈

 幾度かの海戦に惨憺たる敗北を喫している米海軍は、その反撃態勢を潜水艦による遊撃で活路を求めんとしている。
 わが大本営は三月六日から十一日までに挙げた対潜部隊の戦果を、左の如く発表した。
大本営発表(昭和十八年三月十八日十六時)
 帝国海軍部隊は三月六日より同十一日迄に敵潜水艦六隻を撃沈せり、此の間我が方の損害船舶二隻

 帝国駆逐艦、哨戒艇その他の海軍部隊は見えざる敵を追うて常に大洋を活躍しているのである。
 撃沈した敵潜水艦の日付、方面別を示せば六日、西南太平洋で一隻、七、九、十一日、東支那海で四隻、十一日、わが本土南方海域で一隻である。
 さらに、左の如き発表があった。
大本営発表(昭和十八年三月二十六日十六時)
 帝国海軍部隊は三月十五日より同二十七日迄に敵潜水艦四隻を撃沈せり

 三月十五日、ニューギニア島沖合に敵潜水艦出現を知るや、水上部隊は好餌ござんなれと、猛砲撃を加えて忽ちこれを撃沈した。次いで二十四日スル島沖で一隻を撃沈、二十六日にはマカッサル海峡付近においてわが航空隊が発見補足、爆撃を浴びせかけると艦首に命中、敵艦は赤腹を海上に曝し、重油を海面にひろげて海底の藻屑と葬り去られた。さらに二十七日にはわが哨戒機がガダルカナル島東方方面で発見、瞬時にして撃沈した。
 帝国潜水艦は広大なる印度洋、太平洋に神出鬼没して、敵を脅かし輝く戦果を挙げているのであるが、海底を征く潜水艦乗組員の苦労は非常なものである。
 けれど、乗員はその戦果に誇らず、苦労に耐えて今日も明日も、ただ黙々として海底を征くのみである。
 海底に征く潜水戦隊員の活躍状況は、次のように報告されている。
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敵飛行場砲撃

 ○○へ急行中の艦は○十日ぶりに水上航行に移った。太陽の光のなつかしさ、空気の味のうまさ、光と空気の恵みで乗員の勇気はいよいよ百倍する。艦はいま○○島飛行場攻撃に向かうのである。航空部隊のような華々しさはないが、得意の長足に鯨程万里、いま敵機の眼をかすめ、錬磨三十年の腕にものをいわせて敵の要衝に巨弾の楔を射ちこまんとしているのだ。
 その時は来た。砲撃を前に全艦員は緊張した。闘魂が火焔となって燃ゆる、その感激の雰囲気に包まれ艦は、すでに太陽の落ちた闇の海面へと浮んだ。
 敵飛行場から投げかける探照灯の光芒が闇を貫く。哨戒の敵機であろう、赤燈がソロモン海の藻屑と消えた敵兵の幽霊のように海面近くを縫うがのごとく流れている。
 いよいよ総員配置についた。敵の探照灯は消えた。しかし、作業中とみえて飛行場の上空はほの明るく、島には転々と白燈がまたたいている、その白燈を目標に艦は急速に島に接近した。
 艦長、砲術長、砲員と力強い砲撃開始をつげる声の連環が闇夜を震わせる。次いで、砲術長が艦橋の天蓋の上からメガホンで最後の指示を与えた。
 「射撃開始」
 号令一下、轟然、初弾は飛んだ。砲声のあとの爆風によろめきながら乗員の目は喰いつくように海上を覆った哨燈の彼方を見守った、いままで明るかった敵飛行場の燈は消えた、艦からはさらに○○発が敵飛行場の真只中に射ち込まれた。狼狽、驚愕、修羅の巷と化した敵飛行場の惨憺たる情景を思うと痛快である。
 巨弾○○発に敵陣をゆぶった(原文のママ)艦は、敵の哨戒艦の動きを認めたので、再びの日の砲撃を期して沖に去った。
 わが砲撃に狼狽した敵は一層警戒を厳にした。しかし、敵の警戒など物の数ではない。その厳重な警戒を潜って潜水艦は大胆なる行動で○日後再び島陰近くに忍び寄った。さすがにわが砲撃に刺戟された敵の警戒は水も漏らさぬけわしさが窺える。
 ○○島再度砲撃の夜が来た。月のない闇夜であるが士気天を衝くものがある、対空戦闘も辞せずと高射機銃も艦橋に取りつけられた。
 と−−左方に白燈二つ出現した。
 「面舵一杯」
 艦はぐっと右に切れた、艦長の号令は矢継早やに砲撃態勢へ巧みに艦を操っている。
 と−−さらにまたその左へ白燈二つ、このとき見張員が報告する。
 「白燈と白燈の間に艦影、右の白燈の付近に駆逐艦らしいもの一隻、その左に煙を出している二隻の商船を認む」
 グッと熱いものが喉元につかえる。極度の緊張に身も心もひきしまる。今こそ、敵眼にさらされながら大胆なる砲撃が始まるのだ。○○名の乗員の攻撃精神は一つに凝り固まり一発の弾丸とともに正に炸裂せんとしているのだ。
 「白燈の左の山の方向が飛行場だ、わかったか」と、砲術長がどなると
 「諒解っ」
 歯切れのよい砲員の返事がぴんとはねかえってくる。
 「目標七十五度」
 「旋回はよいか」
 「小さい艦影をよく見とれ」
 機械室へ、砲塔へ、見張へ−−飛ぶ必殺の号令だ。艦長の神経は人間業とは思われぬほど繊細な動きを示している。
 空にぎらぎらと星が輝く、砲撃には絶好の機が熟した。艦は右前進微速○○時半射撃開始。砲門は火を吐いて、忽ち島も動くばかりの砲声は殷々として響き渡る、切れゆく哨燈の中に、敵の頭上を覆って一つ二つと照明弾が鮮やかに昼をあざむくばかりに明るく破裂している。
 左に見えていた白燈はすっかり消え、おびえ切った姿を巨弾のもとに曝している敵の狼狽が目に見えるようだ。一発ごとにパッ、パッと火の手があがる、わが砲撃は正確だ、好調の波に乗って必殺必中弾は次々に射ち出される。人も、砲も一つの心になって一発必中の海軍魂は火の玉と燃えている。
 そのとき、ポカリと敵の上空に赤と青の二つの火があがった。飛行艇である。
 息もつかせぬわがはげしい砲撃のすきを見て、敵水上機が舞いあがったのだ。艦は潜航にうつった。島に近く、闇夜のため航跡のないわが艦を水上機も発見できなかったらしい、爆弾を予期して十秒、二十秒と待ったがついに落さない。
 敵の追跡を避けるため間もなく浮上した艦は高速で島を遠ざかって、水上機、駆逐艦と必死の敵の捜索を避退、この夜の砲撃も大成功であった。

 ソロモンの孤児ガダルカナル救援のために敵の大艦隊がはるばる太平洋を超えて近づいてきた十月二十六日のことである。
 それを襲撃したわが航空部隊の大戦果は、潜水艦の受信機にも刻々と入ってくる、その快報は一信は一信よりも大となり、艦内は歓喜に沸きかえるのであった。
 艦は、たける心をそのままに○○へと驀進したのであった。

 朝が来た、燃ゆる太陽が海に昇った。その朝の光の中に襲来する敵機を認めた。
 「急速潜航」
 艦は素晴らしい早さで潜没した。俄然、左舷艦首の方向に不気味な爆音が響いたと思うと、艦はぶるぶると身震いした、敵機は爆弾を投下したのである。瞬間というべき時間の出来ごとであるのに、この寸秒を争う危機に直面しながら常とかわらぬ落つきで潜航した、これだけでもすでに至妙の離れ業である、巧みな水遁の術についに敵機は盲爆に終わらざるを得なかったのだ。敵機が去ると、艦は再び悠々と爽やかな光に満つ朝の海面に浮上した。大胆不敵だ。
 兵員はすでに○十日の缶詰生活である。だが、艦長以下一兵までもこの粗食に満足している麗しい家族生活である。正に、一億一丸となった日本の縮図がここ艦内に展開されているのだ。
 かくて乾燥野菜にもめげず、日本潜水艦始まって以来の長時間潜航記録に輝く○○潜水艦は○十日ぶりになつかしの基地に帰ったのであった。
 カントン島砲撃を行った伊8潜乗員による手記のようである。文中に出てくる10月26日というのは昭和17年に行われた『南太平洋海戦』のことで、このとき伊8潜は戦況を聞きながら南方へ向かっていた途中であったようだ。
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