第二次ソロモン海戦

敵の意図破砕

 アメリカは例によって、目下戦闘中と曖昧な言葉で、国民の手前をつくろい、やがて折をみては小出しに損害を発表する得意の手を打っていた。
 しかし、何といってもガダルカナル島に上陸せしめた海兵部隊を、そのまま見殺しにすることは出来なかった。特に帝国陸軍部隊の挺身上陸が敢行され るや、敵側の狼狽の色は覆うべくもなかったのである。これに対抗して如何にしても上陸海兵部隊に対する補給は続けなければならないはめに立ち到っ たのだ。
 当時の外国電報の伝えるところによればルーズベルト(当時の合衆国大統領)は八月十二日太平洋軍事会議を召集 している。リスボンに達したUPワシントン電はこの軍事会議を「ソロモン海戦に関する情報を基礎に自体の検討が行われている」と報じているのみで、 会議内容について、なんら具体的な報道はしていない。
 アメリカ海軍当局が全然責任ある発表を行わないのと関連して、かかるところにも、惨憺たる第一次ソロモン海戦における敗戦の処置を、如何にすべ きかに対するアメリカ側の焦燥の程を察知することが出来るであろう。
 ここに八月二十四日、ソロモン東北海上に展開された第二次ソロモン海戦の必然性がはらんでいたのである。
 第一次ソロモン海戦に於いて、甲巡以下合計四十隻に上る艦船の犠牲に於いて、辛くも遁走し得た敵空母を中心に戦艦ペンシルバニヤ型外一隻 も加わり、残存巡洋艦、駆逐艦等からなる敵機動部隊がニューヘブライズ諸島方面から健気にも北上しつつあるのを我が哨戒機が発見したのは、 二十四日午後三時半頃であった。
 「敵艦隊発見...」
 の報告に接するや、かねてこの気配を察知していた我が航空部隊及び空母は勇躍、これに対して殺到したのである。そして、空母同士を以てする 壮烈な激闘が繰り広げられた。
 エセックスとみられる新大型港空母艦の姿に我が航空部隊員の勇気は百倍、早速この空母陣に対して攻撃を集中した。
 先ず新大型空母が我が航空部隊の果敢な攻撃下にさらされた。次々に投ぜられる必中弾を浴びてみるみる火焔に包まれ、急激に失速する。熾烈 な敵防空砲火の弾幕を衝いて敢行される我が必殺の猛攻下に、続いて中型空母がのたうち回ったがこれまた大火災を起こす。燃ゆる空母群の黒煙 は天に冲するばかりだった。舵をやられた敵駆逐艦がぐるぐると逃げ回るように円形を描きながらたちまち撃沈される。二空母に致命的な大火災を起こ さしめるや、我が海鷲は余勢を駆って戦艦ペンシルバニヤ型めがけて突入していった。真珠湾の一撃で撃破されたのがようやく修理なったか小癪にも 出撃してきた敵船艦である。
 一隊が次々と命中弾を浴びせれば、更に代わって他の一隊が突入していく。我が猛攻の前に敵艦隊はただ徒に周章狼狽、てんでんばらばらに反転 遁走し始めたのである。この頃、無念にもソロモンの海には次第に夕闇が濃くなりはじめた。必死に逃げようとする敵艦隊にとっては救いの夜の訪れで あった。
 一方、我が空母も敵空母が次々と放った爆撃機の攻撃を受けたのである。流石に艦上攻撃機である。その爆撃技術は相当のものもあるのだが、 ただ飽くまで攻撃するという気魄においては我に及びもつかなかった。ある距離までは迫っても、もう一歩というところで、ひらりと逃げてしまうのが敵機の 常である。
 かくして敵は再びその出撃の企図を挫折せしめられて、闇にまぎれてようやく全滅をまぬがれ、命からがら逃げ帰ってしまったのであった。
 二十七日、この海戦について、我が大本営は次の如く発表した。
 大本営発表(昭和十七年八月二十七日十六時)
 ソロモン群島方面帝国海軍部隊は、八月二十四日敵米増援艦隊を同群島東方海上に捕捉、直ちに航空部隊を以て急襲し、これに大損害を 与え同方面より激譲せり。本日までに判明せる戦果左の如し。
 米大型新空母        一隻大破
 同    中型       一隻中破
 米戦艦ペンシルバニヤ型   一隻中破
 本海戦における我方の損害  小型空母一隻大破、駆逐艦一隻沈没
 (註)本海戦を第二次ソロモン海戦と呼称す。
(さて、実際の戦史であるが、ガダルカナル島に大量の物資と共に上陸したアメリカ軍は飛行場の占領を完了し、早くも八月二十一日には航空機 三十機ほどを進出させている。そしてなお、空母二隻を含む機動部隊をソロモン海に向かわせていた。それを察知した日本海軍は第二・第三艦隊を ソロモン群島に向けた。八月二十三日に日本艦隊は米哨戒機に発見され、ガダルカナルへ向けた日本軍の輸送船団も米軍機と接触している。 こうして第二次ソロモン海戦の火蓋は切って落とされたのである。日本軍輸送船団は急遽引き返し、ガダルカナル島攻撃を命じられた空母「龍驤」は 米空母「エンタープライズ」と「サラトガ」を発進した攻撃隊の集中攻撃により沈没している。だが、その隙に乗じて空母「翔鶴」「瑞鶴」から発進した 攻撃隊が「エンタープライズ」を大破させている。この海戦以降、連日の出撃で日本軍基地航空機はどんどん減っていたが、米軍はその生産力にものを言わせ、損害 を上回る数の航空機を補充していき、まさしく消耗戦の様相を示してくるのであった。)
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儚し海上権奪回

 ガダルカナル島に上陸した海兵部隊を、今更見殺しにすることもならず、これに補給を続けねばならぬアメリカの焦慮の出撃によってこの第二次ソロ モン海戦は起こったのだが、出撃した機動部隊自身の任務は、決して単にガダルカナル島に対する補給輸送の護衛のみではなかったのである。第一次 ソロモン海戦における惨憺たる敗北にも拘わらず、とにかく海兵部隊をソロモンに上陸せしめ得たことを以てアメリカは反撃の成功の第一歩を踏み出した と思い上がっていたのかも知れない。そしてまた、帝国海軍のソロモン方面海上兵力を撃破し得るという自信と希望を失わなかったのであろう。即ち この機動部隊の出撃によって、ソロモンに対する補給線の確保−海上権の奪回を期していた。現に第一次ソロモン海戦後、目下戦闘中とのみで、 政府から何ら自信のある発表がなされず、しかも隠し切れぬ艦船の損失が小出しに言われていたにも拘わらず、”便りのないのはよい便り”などという 奇妙な報道がされていたことなどは確かにこの間の消息を物語ると思われる。つまり再度の出撃による勝利を期待して、第一次ソロモン海戦の敗北を 挽回し得るという、虫のいいことを考えていたに違いないのだ。
 ところが、この小癪な希望と自信が、またしても痛烈に叩きつぶされてしまったのである。いよいよ”ソロモンの孤児”たる嘆きを深くした上陸海兵部隊の 失望落胆もさることながら、アメリカ自身の狼狽こそ惨めなものがあったろう。海戦の翌二十五日アメリカ海軍省がソロモン海域に於ける再度の海戦の 展開を発表すると共に、軍需株が一斉に惨落したのはこれを雄弁に物語っている。
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