第一次ソロモン海戦

ソロモン諸島地図

敵海兵部隊の上陸

 (昭和十七年)八月六日、ソロモン群島南方一帯の海は、相次いでスコールが襲う悪天候だった。雲が低く垂れこめて視界がきわめて狭かった。
 この悪天候にかくれて、珊瑚海海戦後三ヶ月、ようやく整備なった米濠連合艦隊が、アメリカ精鋭を誇る海兵部隊を主力とする攻略部隊をのせた、 少なくとも三十隻を下らぬ輸送船を護衛して珊瑚海を北上してきたのである。  敵連合艦隊は四隻の空母を擁し、米甲巡(甲巡=重巡洋艦のこと)を中心として濠甲巡をはじめ多数の駆逐艦潜水艦を含む大部隊 であった。
 当時ツラギ及びガダルカナルには、極く少数の我が海軍陸戦隊が警備していたにすぎなかった。敵空母群は群島東方に避退していたか姿を見せな かったが、巡洋艦を中心とする敵艦隊がツラギとガダルカナルの沖にあらわれ、両島に敵海兵部隊が上陸してきたのは、七日未明のことであった。その 兵力は約一ヶ師。一万前後とみられた(実際は第一海兵師団約二万名)。少なくとも三十隻以上の輸送船の数の割合には、最初に上 陸してきた兵力がすくなかった。それは、一つには、輸送船を贅沢に使って、各船にはそう多くの兵力を搭載しないためでもあろうが、なんといってもあり とあらゆる機械化兵器を豊富に運んできたからだろう。上陸用水陸両用戦車も登場してきたと言われる。
 ツラギ及びガダルカナル警備の我が陸戦隊は、七日の日の出直前、敵大艦隊の出現と攻略部隊の上陸を報ずる第一報を打電すると共に、圧倒 的に優勢な敵に対して、一歩も退かぬ悲壮な奮戦を開始したのであった。
 ツラギには、戦前イギリスのソロモン政庁があった。ニューギニヤとともに赤道付近にのこされた未開の島々といわれるソロモン群島の中では最も開けて いるこの島は、徒歩でも約二時間かかれば一周できる位に小さいのである。
 ガダルカナル島は、約百六十キロに四十キロ、ボーゲンビル島に次いで群島中第二の大きな島である。周囲の海岸に点々と原住民が住み、特に、 椰子の植林がある北岸中央付近のルンガ河のあたりが多少開けているほかは全島殆ど深い密林に覆われている。この密林に拠って我が陸戦隊将 兵と海軍○○隊員(軍機のため伏せ字にされている箇所が多々あります)は飽くまで屈せず敵と対峙し続けたのである。
 機械力の圧倒的な数にものを言わせる敵海兵部隊も、ついに最後までガダルカナルの陸戦隊と海軍○○隊の勇士たち(このときガ島にいたの は海軍陸戦隊約二百五十名と設営隊千六百名ほど)を屈せしめることは出来なかった。
このページの頭に戻る

空戦第一日

 七日朝、敵艦隊出撃の報に○○基地(ラバウルであろうか?)の海軍航空部隊は気負い立った。
 珊瑚海海戦以来、三カ月振りに、ようやく大きな獲物にありついた武者震いを禁じ得ない喜色が基地にあふれたのである。索敵機が先ず出動して いった。
 やがて一機また一機、すさまじい闘志を両翼にみなぎらして土煙を上げて飛び立った。攻撃機は基地上空で大編隊を整え、悠然として積乱雲の 間を縫うようにツラギ海峡の敵艦隊を目指して進撃した。敵艦隊の上空に近づくや、先ず無数の敵戦闘機が待ちかまえていた。
 十機...二十機...三十機...五十機。我が戦闘機隊がこれをめがけて襲いかかった。
 この日の敵戦闘機は、はじめて我と相まみえたグラマン(グラマンF4F「ワイルド・キャット」のことと思われる)が多かったが、その闘志、その 戦闘技術において、最初ちょっと「おやッ!」と思わせるものがあった。なかなか味をやるのである。しかしそれもぶつかった極くはじめのうちのことにすぎな かった。少しでも手強い相手であればある程本領を発揮するのが我が海鷲である。またたく間に、そのグラマンも片っぱしから叩き落とされていった。
 一方攻撃機隊は、執拗に食い下がる敵機を 押しのけるように午前○時(零時ではなく伏せ字である)敵上空に進出した。うようよといる 全艦隊から死にもの狂いで射ち上げられる防空砲火が凄まじい。その厚い壁のような弾幕を突破して爆弾が次ぎ次ぎに投ぜられた。爆撃終了後も 敵 戦闘機の追跡はやまなかった。そこへまた我が戦闘機が狙いをつけて襲いかかる。攻撃隊の爆撃終了後約一時間も激しい空中戦が続けられた。 そして流石のグラマンも殆ど全部叩き落とされてしまったのである。
 この日の我が航空部隊の戦果は敵戦闘機の撃墜実に五十八機。一挙に五十八機の戦闘機を撃墜されては、敵もその空中戦闘勢力の殆ど 全部を失ったようなものだった。小癪にも出撃してきた敵艦隊撃滅の凱歌は先ず我が航空部隊によって挙げられたのである。
このページの頭に戻る

水上艦隊出撃

 その日の午後、所在の我が水上艦隊は、ツラギ海峡の敵艦隊に対する夜襲敢行の断固たる決意を以て○○基地を出撃したのであった(ラバ ウル基地から第八艦隊が出撃した)。出てきた米濠連合艦隊は空母を有する大艦隊である。これに対して、我が水上艦隊の勢力はその数に 於いて必ずしも強大ではなかった。将棋で言えば飛車も角もなかったのである。敵は毎日のようにきた偵察によってそれを知っていたのであろう。知って いたからこそ心傲(おご)れる自信にみちて出撃し、しかも空母だけを退避させたほかは悠々とツラギ海峡にとどまっていた。
 この衆を恃む敵を寡兵を以て撃破するのは...夜襲断行!これ以外にはなかったのである。だが水上艦隊による夜襲の成功は殆ど不可能に近い 困難が予想された。
 航空機の非常な発達に伴い、近代海戦に於いては水上艦隊同士の不期遭遇戦の生起はまったく考えられなくなっていた。ましてや、泊地にある 敵艦隊に対して夜間、奇襲をかけて成功することの困難さは想像に難くない。目的の敵艦隊に近接する以前に必ず敵哨戒機に発見されるにきま っているからである。来襲を予期して待ちかまえる敵艦隊の懐に飛び込むのは危険この上ないのは言うまでもない。しかも我方には飛車も角もないの に敵は空母群を擁している。敵泊地に突入する前に、その艦上機の爆撃にはばまれるのは当然予期しなければならないことだった。
 夜襲の困難はそれだけに止まらなかった。目指すツラギ海峡−ツラギとガダルカナル島に挟まれたこの海峡の幅がわずかに十五浬(約28キロメートル)しかないのである。全く未知の十五浬幅の海面が、高速で走る艦隊にとっては如何にも狭いものなのだ。それこそ目と鼻の間に等しいのである。そういう狭いところに、艦船合わせて少なくとも五十隻を下らぬ敵艦隊がうようよといるのだ。その上、海峡の行く手には珊瑚礁があって通り抜けて ゆくことは不可能だった。ガダルカナル島の東北方にシーラーク水道があってそこは通れるのだが、もちろん、そのような場合には通れるわけのものではな い。とすれば、わかりやすく言えば、敵の軍港の中へ乗り込んで戦闘をやり、反転してまた抜け出してくるようなものである。
 日清戦争の威海衛や日露戦争の旅順港の夜襲以来夜戦は帝国海軍の得意中の得意−言わばお家芸であるとは言え、それは水雷戦隊がや ったもので今回のような夜襲の前例は殆どなかったのである。狭い、しかも行きどまりの海峡へ○○艦(第八艦隊戦力の中心は重巡洋艦である) ばかりの艦隊を持ち込むことの危険は並大抵なことではないのである。
 だが、理由の如何を問わず、戦いは断じて勝たねばならなかった。敵が御苦労にもわざわざ出撃して、とどまっているのである。とにかく捕捉出来る 以上この敵を撃滅することが至上命令だった。
 「消極にしていまだ劣勢ならざるはなし!」
 これが、その時の司令長官(このときの第八艦隊司令長官は三川軍一中将)の心境の一端だった。如何なる困難も押し切って、断固 やらねばならぬという飽くまで積極的な攻撃精神だった。事情の困難に思いまどうより、如何にしてこの困難を押し切って敵撃滅の目的を達するか を積極的に考える以外は何もない。とにかく、やる!というのが伝統の”海軍魂”であった。
 しかし、敢為断行といっても、それは決して単なる猪突猛進でないことは言うまでもない。断じて行う決意の裏には、奇襲の成功に対する確信を 裏付ける冷静にして緻密な作戦的判断があったのだ。
 その確信の第一は、実にその夜襲が殆ど不可能に近い困難なものであるというところにあった。
 「こんな”戦争”はいまだかつてなかったし、おそらく二度と同じことはやれまい。しかし、あたりまえのことなら此方の考えること位敵だって同じように 考えるだろうさ...」
 という言葉を以て艦隊幕僚の一人が七日の夜、その自信の程を語っていたのである。既に有名すぎる歴史的事実となっている日本海海戦に於ける 東郷元帥が断行した敵前旋回−所謂”東郷ターン”もその精神は、即ちこれであった。常識を遙かに越えた夜襲である。それだけに敵はまさか我が 水上艦隊が夜襲に来るとは考えない油断があるだろう。その油断を衝く...奇想天外の先手を以て飽くまで敵を圧倒し去ろうという気魄が生む確信 であった。
 確信の第二のものは、帝国海軍の夜戦の伝統と訓練に対する満腔の自信である。もちろん、この自信−夜戦の伝統と訓練に対して自ら恃むとこ ろが深く且つ強かったからこそ、夜襲断行の気魄が生まれたとも言い得るかもしれない。だからこの二つの確信は別々のものではなく帰するところは一つ なのだろうが、とにかく血のにじむような永年の夜戦訓練に鍛えられ、絶対に敵艦隊の追随を許さぬ夜間戦闘の実力がある−夜の戦争なら...と いう必勝の信念が、上は司令長官から下は一水平に到るまで、全艦隊将兵の胸に満ちていたのであった。
このページの頭に戻る

八月八日

 かかる確信を以て出撃した我が水上艦隊旗艦(このときの第八艦隊旗艦は重巡「鳥海」)は、七日夕刻までに、所在の各戦隊を逐次 その直接指揮下に掌握しつつ、同夜から八日朝にかけて、ソロモン群島西北方海面に進出していったのである。そして、八日朝には○○島(サ ヴォ島であろう)東北沖に於いて、艦隊は旗艦を中心とする堂々たるくろがねの偉容を誇る警戒航行序列を以て大きく行動していた。
 敵空母艦上機の爆撃はあるものと予期しなければならぬ。それは覚悟の前だが、その代わり空母を只では置かない。我が水上艦隊を空母艦上 機が攻撃しようとするならば、ソロモンの東北方に遠く退避している空母自身が先ずもっと我に接近しなければならないように...そうしなければ空母 艦上機の脚が届かないところに、我が水上艦隊は出来るだけ永い間行動する。そして迂闊にも空母が出てきたら、我が基地航空部隊がこれを徹底 的に叩きのめしてしまおう。そのためには、我が水上艦隊が或いは多少の損害を受けるかも知れないがそれは意に介するところではない。基地航空 部隊による敵空母撃滅のためには、水上艦隊は甘んじて捨て石となろう。
 この狙いは夜戦の翌九日も同様であった。即ち、夜戦終了後、艦隊は全速を以て退避したが、敵空母を一尺でも近く我が基地航空部隊の勢力 圏内へ引きつけようという目的があったからである。
 水上艦隊の行動を終始、敵空母に対するこの巧妙な含みによって決定していった緻密な作戦的判断があったからこそ、敵空母は或いは遂に退避 していったソロモン東北方に立ちすくんだままだったのかも知れないのである。
 −これが、断じて行う気魄の裏付けとなっていた冷静緻密な作戦的判断の卓越を物語る一例である。
このページの頭に戻る

敵哨戒機に発見さる

 更にこの朝、我が水上艦隊は二回にわたって敵偵察機に発見されたのである。夜襲の成否は、事前の企画秘匿がどれだけ出来るかに掛かっていた のを思えば、この朝敵機に見つかったことの重大さは言うまでもないであろう。凡庸な作戦指導を以てすれば、この一事によって夜襲は惨憺たる失敗 に終わるべきだったかも知れない。だが卓越果断な我が作戦的判断と処置は、見事にこの”不利”を逆に利用して、かえって成功への重要な契機 たらしめたのであった。
 即ち、敵偵察機に発見された前後の諸状況から、敵は恐らくソロモン北方方面海上に以後の捜索の主力を注ぐにちがいないとみた。そこで、その 裏をかいて当初の予定を変更、ソロモンの北を通らず、群島の中間に進路を選ぶ勇断に出たのである。
 何故、ソロモンの北方に捜索の主力を注ぐとみたかというと、最初、敵偵察機が接触してきた時には、我が艦隊は目的方向と反対の北方を向いて いたのである。この”偶然”をそのままに艦隊は一路北方に向かって走りはじめた。かくして約三十分、一旦去ってしまったかとみえた敵機は、再び近く 接触してきた。これに対して我が艦隊は一斉に高角砲の火蓋を切って追っぱらってしまったのであるが、敵機は我が艦隊が殆ど○○艦ばかりからなっ ているのを十分にみた筈である。そのような艦隊がまさかツラギ海峡へ夜襲を企図しているとは考えまい。現に北方を向いて走っていたのだ。だから敵は 我が艦隊がソロモンの北方に行動すると判断したに違いない。これが一つ...。
 次に、もし万一ツラギ海峡へ来るかも知れぬと考え及んだにしても、やはりソロモンの北を通ってくると予想するはずであった。それが、戦術的定石で あり、現に我が艦隊もソロモンの北に進路をとるのがはじめの予定であった位である。それは大凡 次の二つの理由によるのである。
 その一つは、敵には空母があることだ。空母がある以上、その艦上機の爆撃は予期しなければならないのは先に書いたとおりである。とすれば、二列 に並んだ群島の間に艦隊を持ち込むのは、平たく言って細い路地へ自動車を乗り入れるようなものだ。いざとなって動きがとれず被害を余計にするの は明白である。空母を有する敵艦隊に向かってゆく場合には少なくとも一方に退避し得る広い海面が開けているような進路をとるべきが定石なのだ。
 もう一つの理由はソロモンは珊瑚礁の多い群島だということだ。海図は必ずしも正確を期し難い上に、勿論はじめて通る海面である。狭い群島の 間を通過するのは何といっても公開状危険が伴い易いのである。
 それを敢えてソロモン群島の中間に進路を変じたのは、まさに敵の裏をかいた しかも随分と思い切った大英断であった。そのためにこそ、とうとうその 日最後まで敵に我が企図を察知せしめなかったのである。敵だって馬鹿ではないのだから、捜索をやらなかった筈がないのだ。だが、その常識的判断 によって必ずやソロモンの北方海上を必死に探したに違いない。もし当初の予定通り北を通れば、当然見つかっていたであろう。従って夜襲も或いは 成功しなかったかも知れないのである。
このページの頭に戻る

空戦第二日

 かくの如くして やがて艦隊は群島の中間を目的のツラギに向かって一路東に進撃している間に、我が航空部隊は、前日に引き続いてこの日もまた 敵艦隊に果敢な攻撃を敢行したのである。
 前日の空戦で頼みとするグラマンの大部分を撃墜されて、この日刃向かってくる敵戦闘機は微々たるものであった。その代わり、対空砲火の物凄さ は、前日以上のものがあった。何しろ、敵は豊富な防御砲火の数だけを恃みとし、且つその機械力の量に自信を持っていればこそ進撃してきているの である。死に物狂いで射ち上げる対空砲火はスコールを逆さにしたようだ−というより一旦射ち上げられた弾片がザアッと海に落ちるのをみていると全く スコールそのままだったというから、如何に熾烈な防空砲火であるかは想像できよう。その中を我が雷撃機が一機また一機と突っ込んで行ったのである。
 敵旗艦ウイチタをはじめ、次ぎ次ぎと我が必殺の魚雷を食ってみるみる撃沈されて行った。しかし尊い我が雷撃機の犠牲も少なくなかった。傷ついた 雷撃機はそのまま、まっしぐらに燃え上がる敵艦船めがけて体当たりを食らわし悲壮な自爆を遂げるのだった。雷撃機の体当たり自爆によって撃沈され た艦船が相当数に上ったのをみても、この日の雷撃隊攻撃が如何に痛烈なものであったかがわかるのである。
 旗艦ウイチタをはじめ甲巡二隻、乙巡(乙巡=軽巡洋艦のこと)二隻、駆逐艦二隻、輸送船十隻の撃沈がその日の主な戦果であった。 その他大中破し或いは炎上したもの、甲巡以下数隻に上った。
このページの頭に戻る

夜襲成功の確信

 この航空部隊の攻撃によって燃え上がる敵艦船の火焔がその夜の水上艦隊の突入にどれ程役立ったか知れなかった。水上艦隊将兵は午前中、 堂々たる大編隊で飛んでゆく雷撃隊を見送っていた。そして午後になると、壮絶な奮戦を物語るように編隊を遅れ傷ついてよろめきながら還っていく 雷撃機の姿をいくつかみたのである。
 「御苦労だったぞ、無事に基地まで還ってくれよ!」
 と祈るように見送る将兵の眼には、切実な戦友愛が浮かんでいた。そして無量の感謝をこめて無事を祈る心はそのままに、
 「みてくれ、今夜を!」
 という、更に軒昂たる士気の昂揚となるのだった。
 午後四時、暮色がソロモンの海上を静かに覆いはじめた。今や遂に敵に発見される懸念は一切なくなったのである。
 「よし!今夜は勝ったぞ!」
 朝、敵偵察機に発見されてから、司令長官以下艦隊首脳部の苦悩はどんなに深く大きかったことか。敵の抱くであろう判断の裏をかいた積もりでも 果たして思うとおりに運ぶかどうかはわからないことだった。しかも敢えてみすみす不利とわかっている進路を選んでいるのだ。もしそれで敵に見付かったら どんなことになったか−人知れぬ、それだけに苦しい心配であったろう。それも今や一切不要となったのだ。後はただ突進断行あるのみだ。
 「よし!今夜は勝ったぞ!」
 叫ぶ様に言う幕僚の顔には満々たる自信の色が溢れていた。
 やがて旗艦のマストには高々と司令長官訓示の信号旗が掲げられた。
 「帝国海軍の伝統たる夜戦に於いて必勝を期し突入せんとす、各員冷静沈着事にあたり克く全力を尽くすべし...」
 ああ、それは、この夜襲決行の”断”にこめられた烈々たる気魄と自信を、 改めて全艦隊将兵に訓示したものであった。そして、この訓示を仰ぎみる 全艦隊将兵の面には打てばひびく感動の色が等しく光っていたのである。大御稜威の下、帝国海軍の伝統に結ばれて上は司令長官から下は一水 兵に到るまで渾然一体となる頼もしくも強い確信であった。
 間もなく日没である。
 そのころ全艦隊は積載していたガソリンをはじめ、その夜の戦闘に直接必要でない可燃物をことごとく海に投じた。敵弾命中による火災の被害を 最小限に止めようとする慎重な事前の処置である。火災防止のためなさるべき一切の準備も行われた。決死の裸身...
 「素裸に長刀一本をぶちこんで殴り込みに行く男伊達の心意気だね...」
 と幕僚は快活に笑っていたが、数時間に迫っている戦史空前の夜襲戦は、そんな生易しいものではない。凄烈な気が張っていた。
 とっぷり暮れると共に艦隊は隊形を整えた。味方識別の吹流が桁端に掲げられた。九時、敵上空に先行する艦載機(巡洋艦搭載の水偵) が飛び立って行った。夜に入ると天候は次第に悪化し、うねりも高まっていた。○○隊は雷鳴を冒して難飛行を続ける。スコールが襲ってきた。 スコールの中で、艦隊はいよいよ旗艦先頭の単縦陣−突入時の隊形をとったのである。サボ島の影が視野に入ってくる少し前頃から、敵泊地上空 が赤く映えるのが望まれた。航空部隊の攻撃に燃え続ける敵艦船の火焔である。
 十時三十五分、総員戦闘配置...闇の海上を圧するばかりの殺気がみなぎったのである。ヒュッ、ヒュッと風が強かった。
 サボ島の西南方にかかる頃、右舷を反航する艦影がみとめられた。敵哨戒駆逐艦である。流石に敵は哨戒だけはしていたのだ。目指す海峡の奥 まではまだ三、四十分はかかる。出来れば気づかれないに越したことはないのだ。哨戒艦の視認を避けて左変針...発見されたかという緊張の一瞬 が流れた。
 が、敵哨戒艦は何を思ったかくるッと反転して南へ去っていってしまった。続いて左舷に同航態勢をとる哨戒駆逐艦が一隻...更に右変針... これも一向に発見したような気配がなかった。艦隊は先ずこの敵哨戒艦を無事に突破し、ぐんぐんと敵艦隊の内懐深く突入していった。
 右と左に相次いで現れた敵哨戒駆逐艦がどうして我方に気付かなかったのか。或いは気付いていながら何の処置にも出なかったのだろうか。勿論、 敵のことだから的確にわからないが、如何に間抜けな敵だといえ、気付いていたのなら何とか手段があった筈である。
 余りに意外な我が艦隊の出現にぎょッとしてなすところを知らなかった...とは相手が少なくとも駆逐艦である以上考えられない。やはり見付けなか ったと見るのが至当である。敵にはまさか我が水上艦隊が夜襲に来るとは思わない油断があったのが一番大きな原因だろう。また、○○隊が上空に 先行していたのでてっきり我が航空部隊の夜間爆撃と勘違いして上にばかり気を取られていたのかも知れない。しかし、いくら油断があり、いくら上空 に気を取られていたにしても、我方の見張りが遙かに小さく敵駆逐艦を認めているのだから敵だって何人かの見張りのうち一人位は大きな我が艦隊を 見付けねばならぬ筈である。それをとうとう見逃してしまったのは、やはり彼我海軍の『見張り力』−見張りの実力に非常なへだたりがあるのが根本的 な原因だとみることが出来る。
 『見張り力』の差−言うまでもなくこれは彼我海軍の夜間訓練の差を物語るものである。もし此処で敵哨戒艦が我が艦隊の突入を発見していたと すれば、敵もあれ程惨めな敗北を喫しなかったかも知れない。
このページの頭に戻る

ああ、全軍突撃!

 敵哨戒線を突破した我が艦隊はサボ島の南をすれすれにいよいよツラギ海峡に突入した。
 −全軍突撃せよ!
 断固たる突進が下命されたのである。
 戦闘配置についてから約一時間。既に艦隊は敵の内懐深くに殺到していた。しかしまだ満を持して粛々たる進撃を続けた。これぞという敵艦を しっかりと捕捉するまで容易に切って放たぬ闘志であった
 「全軍突撃せよ」
 下令後約十分、右舷に反航する敵甲巡三隻が認められた。
 左変針...右砲戦、右魚雷戦が準備される。この時、○○隊はガダルカナル島寄りの敵艦船の頭上に、吊光弾を続けざまに投じた。オーストラリヤ 型一万トン甲巡三隻が影絵のように浮き上がってみえる。
 この照明を頭からくらって敵も流石におかしいと気付いたのか、泊地の灯火は一斉に消された。それまで、小癪にも灯火さえつけて陸揚げ作業をやって いたのである。
 戦機はまさに最高潮、爆発の頂点に達していた。
 旗艦まずよしと、一番手のオーストラリヤ型を狙って必殺の魚雷を放った。それに引き続いて後続艦も砲撃を開始した。
 かくして戦いの火蓋は切られた。
 オーストラリヤ型の胴ッ腹にピカッと物凄い火柱が光り、ずしーんという轟音が、ひびいてきた。
 魚雷命中だ。
 むくむくと水柱が上ったとみえた次の瞬間、火柱と水柱はすッと吸い込まれるように小さくなった。そしてオーストラリヤ型の姿は既にあとかたもなくなって しまったのである。浮かんでいたあたりの闇の海上に小さな火焔が燃え続けるだけ...見事な轟沈だった。アッという間もない一瞬間にオーストラリヤ型 は真二つに裂けそのまま海の底深く没し去ったのだ。同時にその隣接艦からも我が後続艦の砲弾命中による火焔が上った。
 −旗艦はまだ砲撃をはじめない。
 後続各艦はそれぞれ手近に現れた乙巡オマハ型或いは駆逐艦を相手に既に砲戦をはじめていた。
 艦載機の吊光弾、投下後かれこれ十分。旗艦は真正面に敵艦影数隻を認め、これに向かって突進した。左砲戦下命。そしてこの米甲巡アストリヤ 型以下四隻に対してはじめて主砲の火蓋を切ったのである。夜間爆撃に備えて漂泊中だった敵アストリヤ型をめがけて、轟然と飛ぶ初弾から見事に 命中、二斉射、三斉射と続けざまにぶち込まれる砲撃にみるみる敵全艦は猛火に包まれた。探照灯の強く青白い二条の光芒がこれをしっかりとつかま えている。最初のうち敵からの反撃なし。我が高角砲も続いて射撃を開始した。後続艦もこれに向かって砲撃を集中してきたので旗艦は目標を更に 次の敵艦に変換、これもまたたちまち全艦猛火に包まれみるみる沈没に瀕した。
 この頃、敵艦は高角砲、高射機銃で応戦してきたが主砲弾の応射はなかった。敵主砲は実にこの時に到ってもまだ繋止の位置のままだったのだ。 夜間爆撃を予期していたので高角砲と高射機銃だけはすぐに射てたが水上艦隊に対する主砲射撃は全く思いがけなかったのだろう。
 二番目の敵艦が沈没に瀕するのを認めるや旗艦は三番目に目標を転じた。
 旗艦の二斉射に次いで全艦隊の主砲弾がこれに集中、高角砲も加わって無数の水柱が敵艦の周囲に上る。この頃ようやく無傷の敵艦から主砲弾 がとんできはじめた。
 敵泊地の灯火が一斉に消されてから既に十数分後、ようやく主砲が火蓋を切った敵の間抜けさかげんは、帝国海軍の常識を以てはどうしても解せな いことであった。泊地の灯火を消す以上は、同時に全艦戦闘配置についた筈ではないか。それでどうしてこの頃まで主砲が射てなかったのか、単に夜襲 を全く予期しなかった油断以上に根本的な、敵艦隊の指揮統帥上の欠陥があるとしか考えられないことだった。
 敵主砲弾は飛んできたが、みな我が頭上を越す遠弾ばかりだった。敵艦隊の戦術的常識を遙かに越えた凄まじい肉弾だった。敵が咄嗟に思いつく 最も近距離の砲撃も、すべて遠弾となる程の近迫である。
 旗艦は無傷で反撃してくる第四番目の敵艦に目標を三度変換した。初弾により敵艦載機がパッと燃え落ちた。そして甲板付近から発した火焔が たちまち全艦に広がり艦列からよろめき出した。
 この頃、第三、第四艦は流石に主砲の弾着を次第に修正していた。旗艦艦橋後部を貫いたのはこの両艦の主砲弾だった。
 我が艦隊は敵甲巡群を左に抱き込むように北へと廻っていたのである。そして我が艦隊の大部分は残る第三、第四艦に向かって主砲弾を集中して いた。旗艦は猛火に包まれた敵艦に探照灯の照射を要せずとみて一旦中止したが、艦列をはなれてよろめき出したとみえた第四艦が、我が艦列に 向かって突進してくるので、再び照射開始、次いでこれに対して第二回目の砲撃をはじめた。小癪にも後半を猛火に包まれながら反転、我に向かって 突っ込んでくるような態勢で、命中弾を射たれた敵の復讐に猛り立った砲撃だ。敵は決して突っ込んできたのではなかった。既に舵をやられて否応なし に我方に向かって航進せざるを得なかったのだろう。が、前部砲塔だけが生きていて真直に我に向かって火を吐いている。しかし、それも断末魔のはかな いあがきにすぎなかった。猛火に包まれた艦橋がガッと火の塊のようになって吹っ飛んだ。更に二斉射、三斉射、四斉射と連続命中弾を食って艦尾から 静かに、−そうだ、静々と艦首を中天高く差し上げるような格好で波間に没していったのである。
 旗艦の砲撃開始から約二十分、息もつかせぬ猛烈な連続砲撃だった。
 旗艦が先ず命中弾で火災の口火を切ると、後続艦が相次いで砲撃を集中、燃え上がる火焔に向かって「これでもか、これでもか」と言わぬばかりに 命中弾のすごい火花がパッパッパッと敵全艦のところきらわず散ったのだ。敵としては全く手も足も出ない程に射ちすくめられ、次々に猛火に包まれ、 やがて沈没してしまったのだ。
 最初の魚雷発射から三十六分間、既に付近海面には敵影はなかった。まだツラギ或いはガダルカナル沖の海峡の奥には多少残っていた筈だが、 夢にも思いがけなかった我が水上艦隊の肉薄夜襲の凄まじき戦法に、恐怖の底へ叩きのめされて、敢えて出てくる戦意を失ってしまっていたのである。
 我が艦隊は一旦隊形を整えるや、しばし敵残存艦艇の出撃を待ってみたが、最後の一艦となるまで戦い抜く程の敵ではなかった。何時までも待つ ことは出来ない。一尺でも我が基地に近く帰っていることによって、もし来る気があるなら敵空母をそれだけ我が航空部隊の攻撃のために引きつける −翌九日の作戦のこの狙いもあって、全軍引き上げに決したのだ。全速退避−艦隊は凱歌も高らかにもと来た航路へと戻ったのである。
 (さて、実際の戦史であるが、この第一次ソロモン海戦では連合軍側の被害は重巡洋艦「キャンベラ」「アストリア」「クインシー」「ビンセンス」が 沈没。重巡「シカゴ」が中破している。これは日本海軍にとって戦術的勝利ではあったが、陸揚げ中の連合軍輸送船団数十隻にはまったく攻撃を おこなわずに引き返しており、以後のガダルカナル攻略戦を優位に進めることが出来なかったのは戦略的失敗であった。このとき旗艦「鳥海」の艦長 早川幹夫大佐は三川司令長官に反転再攻撃を進言したが受け入れられなかった。また、当時米海軍南東太平洋方面最高指揮官であった ハルゼー大将は、この海戦の直後、「日本人は勝ったと思うと引き揚げていく。決して追撃してこないから心配するな」と部下に語っている。なお、この 海戦での日本側の被害は旗艦「鳥海」が作戦室に被弾小破しただけであったが、帰還途中に重巡「加古」が米潜水艦の雷撃を受け沈没している。)
このページの頭に戻る

勝利の夜明け

 九日四時四十分、日の出。
 旗艦○○と軍艦○○の二隻にホンのかすり傷程度の被害があっただけで全艦無事。
 文字通り完膚なきまでに敵艦隊を叩きのめした一方的勝利だった。わずか三十六分間に別表の如く驚嘆に値する大戦果をあげたのだった。
 これ程の大勝利直後の夜明けである。
 しかも艦隊各艦内にはまだ硝煙の香が消えもやらずただよっていた。ところが日課の訓練は平常通りその中で行われたのである。勿論、突入前の 日没後にも日課訓練はなされていたが、それは戦いを前にする小手調べだと言えるかも知れぬ。しかしこの大勝利直後もやはり日常と変わりなく 行われる訓練にこそ帝国海軍の”月月....金金”の真骨頂があった。訓練即実戦、実戦即訓練、その根本に共通する精神に変わりはなかったので ある。
 かくて昼すぎいよいよ敵の爆撃もないと見透しがついて、各戦隊はそれぞれ帰還して行った。旗艦もまた○○基地に向かったのである。

 悪夢のような一夜が過ぎて、ツラギ海峡九日の夜明けこそ惨憺たるものだったろう。既に満足な姿をとどめる艦船は一隻も残っていなかった。満々 たる自信を以て出撃してきた敵艦隊もはじめから遠く退避していた空母を除いて殆ど全部が、我が航空部隊と水上艦隊の息もつかせぬ猛攻の前に 壊滅し去ったのである。
 せっかく上陸はしたものの、置き去りとされてしまった海兵隊の暗然たる絶望は底知れぬものがあったに違いない。
 しかも、我が航空部隊の仮借なき攻撃は止まなかった。九日夜明けと共に、新鋭雷撃隊は再び最後の止めを刺すべく飛び立った。しかし、ツラギ 海峡にはもはや攻撃すべき敵艦船の姿はなかった。恐らく航行し得る艦船は、いち早くそれぞれ勝手に遁走したのであろう。我が索敵機がソロモン 南方で捕捉したアリキーズ型英乙巡も既に傷つき、逃げ遅れていたのである。左に大傾斜している哀れな敗戦の姿だった。そしてたちまち、我が雷撃機 の攻撃の前に屠り去られてしまったのである。

 三日間にわたって空と海とにおこなわれたこの戦闘については、九日午後直ちに我が大本営は次のように発表したのである。

大本営発表(昭和十七年八月九日十五時三十分)
帝国海軍部隊は八月七日以来ソロモン群島方面に出現せる敵米英連合艦隊に対して猛撃を加え、敵艦隊に壊滅的損害を与え目下なお攻撃 続行中なり。本日までに判明せる戦果左(本来の文面は縦書きです…)の如し。
 (一)撃沈艦船
 戦 艦    艦型未詳一隻
 甲 巡    アストリヤ型二隻
        オーストラリヤ型二隻
 巡洋艦    艦型未詳三隻以上
 駆逐艦    四隻以上
 輸送船    十隻以上
 (二)撃破艦船
 甲 巡    ミネアポリス型三隻
 駆逐艦    二隻以上
 輸送船    一隻以上
 (三)空戦による撃墜飛行機
 戦闘機    三十二機以上
 戦闘兼爆撃機 九機以上

 なお本攻撃に於ける我が方損害自爆七機、巡洋艦二隻軽微なる損傷を受けたるも戦闘航海に差し支えなし。
 (註) 本海戦をソロモン海戦と呼称す
 この第一回の大本営発表は、まことに内輪にみた戦果であった。それは現地第一線部隊が先ず報告するのは、戦闘の最中に於いてはっきり確認 した戦果だけだからだ。確かにやっつけた筈だと考えられても、艦隊の場合だと各戦隊司令、各艦長がそれぞれ確認した報告をとりまとめた上で、更に あらゆる情報を総合し、絶対確実の判定が下し得なければ容易に戦果としないのだ。大本営発表のかかる慎重さと正確さは例えば我が方の損害 について言う場合でも同様だった。八日の夜襲戦でも確かに我方に敵弾は当たったのだが、その程度は決してわざわざ損傷として発表する必要もない 位に軽微であった。それをすら直に損害と発表しているのである。(この文章自体が大ウソである(笑))
 だから越えて十四日に追っかけて発表された第二回目の総合戦果は、次のように遙かに大きくなっているのだった。

大本営発表(昭和十七年八月十四日十五時三十分)
 (一)撃沈艦船
 米甲巡    ウイチタ型一隻(旗艦)
 米甲巡    アストリヤ型五隻(内一隻旗艦、内一隻轟沈)
 英甲巡    オーストラリヤ型二隻(内一隻轟沈)
 英甲巡    艦型未詳一隻(轟沈)
 英乙巡    アリキーズ型一隻
 米乙巡    オマハ型一隻
 乙 巡    艦型未詳二隻
 駆逐艦    九隻
 潜水艦    三隻
 輸送船    十隻
 (二)撃破艦船
 甲 巡    艦型未詳一隻(大破)
 駆逐艦    三隻(大破)
 輸送船    一隻(大破)
 (三)撃墜飛行機
 戦闘機    四十九機
 戦闘兼爆撃機 九機
 なお本海戦における我方損害
 飛行機自爆  二十一機
 巡洋艦二隻軽微なる損傷を受けたるも戦闘航海に差し支えなし
 (註)既に発表せる艦型未詳の戦艦は巡洋艦アリキーズ型なりしこと判明せるにつき訂正す
このページの頭に戻る

狼狽するアメリカ

 敵反攻の出鼻をいきなり痛烈に叩きのめしたこの「ソロモン海戦」に被った敵の戦略的打撃が少なくなかったことは言うまでもない。特に合計十三隻 の巡洋艦を撃沈されて、敵は当初の出撃企図を全く蹉跌(さてつ)せしめられたのである。即ちアメリカの企図したのは単にツラギ及びガダルカナル島の 奪還に止まるものではなかったであろう。勢を駆って引き続きソロモン全島をその勢力下に収めるつもりであったとみられる。そして、ソロモンに設定した 基地航空部隊による制空権下に、我が海上兵力を撃滅しようというのがその第一の目的であったに違いないのだ。だが、いきなり持ってきた巡洋艦の 殆ど全部を失っては、もはやガダルカナル島以西に一歩も出ることが出来なくなってしまったのだ。
 以後半年にわたってアメリカが太平洋に於いて使用し得る全航空兵力と殆ど全艦隊を注ぎ込みながら、結局遙かにガダルカナル島だけを必死に 守ったに過ぎないことになったのも、この劈頭の海戦における大量の巡洋艦喪失に端を発しているとみることが出来るであろう。
 更に八日夜の我が水上艦隊が決行した三十六分間の夜戦に於いて、敵が肚の底から味わった恐怖は並々ならぬものがあった。以後のソロモン海域 における敵艦隊の行動には明らかに夜戦恐怖症ともみるべき傾向があったのは事実である。
 その夜の敵艦隊の手も足も出なかった惨めな敗戦については、九月三日の濠洲キャンベラ放送が次のように敵巡洋艦キャンベラ生存者談を伝えて いるのにうかがうことが出来るのである。
 「”キャンベラ”は八月七日、八日両日、日本航空部隊の爆撃を受け、海戦当初の九日午前一時四十五分頃(敵時刻)ソロモン島(ガダルカナル 島の別名)近く哨戒中なりき。当夜は暗黒且つ積乱雲あり日本艦隊の襲撃は全く不意打ちにして、総員配置につきたる時は既に同艦は両舷より 猛烈なる近距離砲火を浴びいたり。先ず四インチ砲員は全部戦死、戦闘艦橋相次いで命中弾を受け、砲術長戦死、艦長重傷後戦死、副長 主計長重傷を受け、続いて缶室二カ所に命中弾あり。蒸気缶、電線共に破壊せらる。かくして交戦後わずかに十分にして同艦の戦闘力を失い、 四時間後総員退去せり。なお同艦は○分間に○○発の命中弾を受けたり、と。また、艦載舟艇は全部破壊せられたるを以て乗員は筏により退去 せり...」
このページの頭に戻る

戻る(目次)