南太平洋海戦

アメリカ海軍記念日

 かくの如く激烈な補給戦の二ヶ月がすぎた十月二十四日に、それまでの南太平洋方面反枢軸連合艦隊司令官であったロバート・ゴムリーの罷免、代わって同方面空母作戦司令官中将ウィリアム・ハルゼーの新任が発表された。更迭の理由については、アメリカ海軍当局は全然言明を避けていたが、それは即ちアメリカ自身で第一次ソロモン海戦以来の敗戦を認めたようなものだった。アメリカは一度ソロモンに於ける歴然たる敗戦を認めなかったのみならず、逆に大勝利の宣伝に努めていたのだ。だが、八月から九月の中頃にかけて、アメリカの対日攻勢がはじまったというので盛んに映画、ラジオ、新聞で宣伝していたのだが、流石に十月に入った頃から発表の調子が弱くなっていた。
 そこへこの更迭が発表されたのだからアメリカの国内に於いてさえ、公然とソロモンに於けるアメリカの失敗が言い出された。勝った筈の司令官が更迭されるということは誰が考えたところで間尺の合わぬ話だったのである。
 しかし、十月二十四日−アメリカの海軍記念日を三日の後にひかえて突如この発表がなされたに就いては、相当考えた上でのことであろう。
 その頃には既に、八月以来の頽勢を一挙に挽回し、ソロモン付近の決定的な海上権を奪回する野望に燃えたアメリカの大艦隊が新司令官ハルゼーの指揮下に三度繰り出していたのである。
 この出撃−一大海上決戦によってアメリカは、過去約三ヶ月間の敗戦を一切つぐなって余りある勝利を獲得するつもりだったのだ。
 だからこそ司令官の更迭を発表すると同時に、
 「近くソロモン方面において大海空戦が行われるであろう」
ということをはっきりと発表したのである。更に二十五日になると、
 「南太平洋に於いて目下進行中の日米海戦は二ヶ月間にわたる日米海戦の総決算だ」
とまで、非常な強気の宣伝をしたのである。アメリカとしては珍しい帝国海軍に対する果たし状的の発表であるが、そんな予告をする程に、敵は満々たる自信を持って出撃したのであった。
 帝国海軍にとって、これこそ願ってもない好機でなくて何であろう。敵海上兵力の徹底的撃滅こそ帝国海軍の日夜忘れたことのない願望なのだ。しかし、敵が戦う気になってくれなくてはどうにもならないことである。それを敵の方からわざわざ『果たし状』的宣伝まで大々的にやって出撃してくるというのである。帝国海軍では闘志満々、敵撃滅の士気に燃えて『飛んで火にいる夏の虫』同然の敵大艦隊を待ち受けたのである。
 十月二十六日朝、我が哨戒機はソロモンの南に戦艦部隊、東北方に航空母艦及び戦艦部隊を発見したのである。敵の打ちそうな幼稚な手であった。どちらかへ我が艦隊を引きつけておいて一方から叩いて行こうという方法に出てきているのは明らかだ。これに引っかかる帝国海軍ではなかった。むしろ先に我が艦隊を発見していながら、どういうわけか攻勢をとらない敵艦隊に対して(二十五日にはアメリカの哨戒機が帝国海軍の機動部隊を発見、これに向け攻撃機を出撃させているが機動部隊を発見できなかった。)我が方は発見と同時に果敢な攻撃を開始したのである。まず目指したのは空母を中心とする艦隊であった。
(日本の哨戒機も二十五日に米戦艦部隊を発見していたが、第三艦隊司令の南雲忠一中将は「敵空母が出てくるのは確実なのだから、空母以外の敵を攻撃するのは得策でない」と判断し、このときは攻撃を行わなかった。)
 夜明けと同時に烈々たる我が先制攻撃にはじまった邀撃戦追撃戦は終日続けられた。敵艦隊上空までは大凡五時間かかるが、一隊又一隊と我が海軍航空部隊は入れ代わり立ちかわり、文字どおり敵に息をつく間も与えぬ猛攻撃に次ぐ猛攻撃を以て、まさに殲滅的な打撃を敵艦隊に与えたのである。一度食いついたら最後の最後まで徹底的にやっつける我が海軍魂の遺憾なき発揮であった。
 この五時間もかかる攻撃から帰ってきたある機が機体の損傷も燃料タンクの穴もかえりみず、
 「修理している間に敵が逃げたらどうするか…」
という、たった一語を残して燃料を補給するや、そのまま再度の攻撃に向かって遂に還らなかったという、敵撃滅以外何も考えぬ崇高な奮戦もあった。
 又、ある急降下爆撃隊の隊長の如きは、まるで雨のように打ち上げられる曳光弾の赤い火の真っ只中に敢然として突入し、めざす空母にまず第一弾を叩きつけた瞬間、パアッと機体から火を吐いた。もはやこれまでと覚悟を決めると折から走り出てきた敵駆逐艦に向け機首を立て直し猛然と体当たりを決行、自爆したのである。一機を以て二艦を屠る壮絶な攻撃だった。
このページの頭に戻る

我が空母の奮戦

 一方我が空母も敵機の攻撃下に目覚ましい奮戦をしたのだった。当時空母○○(このとき第三艦隊には「翔鶴」「瑞鶴」「瑞鳳」の三隻の空母が配置されていた。)に配乗していた海軍報道班員はその模様を次のように報じている。
 「わが空母の上空を飛んで敵機の来攻に備えていた戦闘機から『敵機の大群来襲す』と報告してきた。
 『来たぞ、あっ見える見える』
 勇士たちは肩を抱き合って指す。敵機は雲の切れ間から姿を見せたり消したりしている。わが戦闘機が、敵機にぐんぐん迫って行く。
 突如、○○メートル離れたところを回航していた我が艦隊が、すさまじく対空砲の射撃を開始した。ダッダッダン、打ち出す高角砲と機銃の物凄い唸りとひびき。白雲を交えた弾幕ですっかり包まれてしまった。ふとみると航空母艦の周囲にどっと爆弾の黒煙が立ち上った。その○○艦は黒煙に包まれて一瞬姿が見えなくなった。
 黒煙を吐きながら敵機もばたばたとおちていく。爆煙がはれた。ほんの○○秒の出来事だった。航空母艦の安危や如何にとみれば、○○から黒煙を上げている。
 『あっ、とうとうやられたか』
 しかし、一発しか爆弾は中たっていない。大丈夫だ。必ず火を消し止めてくれるだろう。そう思っていると、ダーン、こんどはすぐ近くの駆逐艦の後方に一発落ちてきた。つづいて雲間から敵機○○機が顔を出した。それが一直線に駆逐艦と○○艦に向かって急降下し、見てる間にダンダンダンと投弾したが、海上に爆煙が立ち上っただけだった。我が艦は急旋回をしながら遅いくる敵機に全砲火を集中した。
 上空はと見れば、我が颯爽たる戦闘機がさっと横切った。その前方を敵の急降下爆撃機が一団となって一直線に我が艦をめがけてやって来た。
 味方の戦闘機はもう機銃を撃つ暇さえなかった。それほど距離が近かったのだ。わが母艦危うしとみるや、猛然と怒り狂った虎の如き勢いで敵爆撃隊の一番機に体当たりを敢行、二つは火の玉となって落ちてきた。次の一機は我が高角砲の餌食となって火達磨だ。ダーンダーンダーン、つづけざまの爆音、耳をつんざく様な響き。その次にはダーンと艦全体を持ち上げるような大きな震動に『やられたな』と思う瞬間にはもう爆音はぴたりと止んでいた。我が高角砲も止んでいる。
 戦いは終わったのだ。これはたった○○秒の戦闘であった。
 艦は飛行甲板の後方から黒煙を吐いているだけでそれを消そうと水兵がホースを持って走り回っていた。大丈夫かな。非常に心配だったが艦は依然として猛烈なスピードで走っている。速力は少しも衰えていない。黒煙も海水で消し止め次第に薄らいで白い煙とかわった。もうこれで大丈夫だ。先刻爆弾を一つ食らった○○艦も、白い煙がかすかに出ているだけで、もう鎮火したらしい…」

 母艦艦上勤務者の奮戦も目覚ましいものがあった。
 ある高角砲手の如きは、爆風に叩きつけられ、破片で両手の自由を失う大怪我を受けた。と、やにわに、
 「畜生ッ」
 と叫ぶと同時に敢然として立ち上がり、高角砲にしがみつくようにとりつくや、やにわに口を以て照準転輪を操作、あくまで襲いかかる敵機に向かって射撃し続けようとしたのである。傍らから戦友が抱きかかえるようにして手当をして、砲側をはなれるのをすすめても、流れる血潮と激痛にもかまわず最後まで奮戦を続けたのだった。
また、母艦は最大戦速で走りながら、爆撃回避運動を続けたが、普通の時でも摂氏四十五、六度を越す機関室の温度はグングンと鰻登りに上がっていった。
 みるみる寒暖計の水銀が延びていく。
 実に五十度を越し、五十一度、二度、三度に達する。
 だが、ここで機関の回転を落とすことはできないのだ。機関科将兵は歯をくいしばりこの灼熱の中に頑張り続けたのだ。流れるものはもはや汗ではなかった。肉体そのものが溶けて流れるような暑さに耐えて、機関長は軍刀を杖に厳然と立ち続け、部下を励ましているのだった。
(報道班員の記述から考えるに配乗していた空母は「翔鶴」、損傷を受けた○○艦とは重巡「筑摩」であろうか。両艦とも当海戦にて数発の爆弾を受け中破している。ただし、重巡「筑摩」と空母「翔鶴」は同一行動を取っておらず、空母に乗っていた報道班員が被爆現場を目撃できたとは考えられないので、他の小型艦艇なのかもしれない。)
このページの頭に戻る

ホーネットの最後

 艦上機搭乗員も、母艦勤務者も、等しく烈々たる必勝撃滅の気迫を以て戦ったこの南太平洋海戦(米軍側呼称は「サンタクルーズ沖海戦」)は、かくして三度帝国海軍の圧倒的勝利に終わり、夜に入るや我が艦艇は、倉皇として逃げる敵艦隊に追いすがったのである。
 同夜、我が艦隊は、既に闇の水平線にパッ、パッときらめく閃光を見た。近づいていくと、我が昼間攻撃のために航行不能に陥った空母ホーネットを、それまで曳航していたらしい敵駆逐艦が砲撃して沈没させようとしているのだ。
 「よき獲物だ…」
 とばかりに更に近接していくと、敵駆逐艦は慌てて闇にまぎれて遁走しはじめた。我は一部を以てこれを追撃すると共に、一部はホーネットを捕獲、これを曳航しようということになったのである。綽々たる余裕とも何とも形容の言葉もない程に大胆不敵なほどである。しかしその時は既にホーネットは炎々たる炎に包まれてしまっていたのだから、遂に曳航は不可能となった。残念ながら曳航はあきらめ魚雷をぶちこんだのである。間もなく、ホーネットは大爆発を起こして撃沈されてしまった。(このとき米空母「ホーネット」に対して雷撃を行ったのは第三艦隊前衛部隊所属の駆逐艦「巻雲」と「秋雲」であった。)
 昭和十七年四月十八日、我が本土に対する初空襲を行った飛行機は、このホーネットから飛び立った飛行機だったのだから見事に此処で仇を討ったわけである。
 敵空母を捕獲曳航しようとしたこの一事を以てみても、南太平洋海戦が如何に我が方の圧倒的大勝利であったかが明白にわかるのである。
 小癪にも出撃の予告までして、飽くまで自信たっぷりな敵艦隊と南太平洋上に雌雄を決した赫々たる勝利が、我が大本営から次のように発表された二十七日夜は、実にアメリカの海軍記念日の二十七日朝(ワシントン時間)であった。
大本営発表(昭和十七年十月二十七日二十時三十分)
 帝国海軍部隊は十月二十六日黎明より夜間に亘りサンタクルーズ諸島北方洋上に於いて敵有力艦隊と交戦、敵航空母艦四隻、戦艦一隻、艦型未詳艦一隻を撃沈、戦艦一隻、巡洋艦三隻、駆逐艦一隻を中破し、敵機二百機以上を撃墜その他により喪失せしめたり。
 我が方の損害 航空母艦二隻、巡洋艦一隻を小破せるも、何れも戦闘航海に支障なし、未帰還四十数機
 (註) 本海戦を南太平洋海戦と呼称す

このページの頭に戻る

暗い海軍記念日

 アメリカ海軍記念日の朝、我が大本営発表にうろたえ切ったアメリカ海軍省は、これに回答するものとして次のような発表を行った。
 「ソロモン群島地区に於いて太平洋戦局未曾有の海戦が目下展開中なり。同海戦の詳細な報告はまだ本省に到着していないが、この激戦の勝敗如何は、今後に於ける豪州ならびに同地区に点在する諸群島に対する、米国軍需品輸送路を確保し得るや否やの分岐点である」
 又、同日海軍長官ノックスは、海軍記念日の新聞記者団との会見に於いて、
 「目下ソロモン群島に於いて日米戦争はじまって以来の最も大きな海戦が進行中だ。そしてこの海戦は両国の軍艦が遭遇した遭遇戦ではなくて、両国海軍の大きな機動戦だ。それから、その結果に就いてはまだ現地から、詳細な報告が来ないから言えないけれども自分は負けたとは思わない」
 と語っている。更に作戦部次長の海軍中将エドワードがやはり新聞記者団に対して言うには
 「米国がソロモンで行けた損害は非常に大きなものだ…」
 これらの発表や談話が、非常に消極的で弱気でさえあるのを、海戦前の自信たっぷりな予告や宣伝に較べてみれば、首尾一貫せざる支離滅裂なことは明らかである。如何にアメリカの蒙った打撃が深刻であったかを雄弁に物語っていると言えるであろう。果たしてウィリアム・ウィンターという有名な放送者は同日、
 「この日ほど悲惨な海軍記念日を迎えたことは、アメリカ海軍創始以来はじめてのことである」
 と泣き言を放送したのであった。
 かくしてアメリカがソロモン海域に於ける頽勢を一挙に挽回すべく、いまだかつてない大規模な艦隊編成を以てした大反攻も、遂に帝国海軍部隊の前に一日にして消え去ったのだが、更に我が大本営は十一月十六日に至り次の如く確定的な戦果を発表、アメリカのデマ宣伝を完全に封じたのである。
大本営発表(昭和十七年十一月十六日十五時三十分)
 先に発表せる南太平洋海戦戦果に関しその後到達せる詳報により調査の結果左の如く判明せり。

 (一)敵艦船
 撃 沈
  戦 艦      一隻
  航空母艦     エンタープライズ
   同       ホーネット
  大型航空母艦   一隻
  巡洋艦      三隻
  駆逐艦      一隻
 大破又は中破
  艦型未詳     三隻
  駆逐艦      三隻
 (二)敵飛行機
 敵上空空戦により撃墜せるもの五十五機以上、味方上空空戦並びに艦隊砲撃により撃墜せるもの二十五機その他敵航空母艦沈没に伴う喪失機数を合し総計二百機以上。

(実際の米軍側損害は空母「ホーネット」、駆逐艦「ポーター」が沈没。空母「エンタープライズ」、戦艦「サウスダコダ」、軽巡洋艦「サンジュアン」が中破、駆逐艦「スミス」が小破であった。航空機の損害は総計七十四機となっている。日本側の損害は空母「翔鶴」、重巡洋艦「筑摩」が中破、空母「瑞鳳」が小破と被害艦は少ないものの、航空機の損害は百三十二機と大きく、ミッドウェー海戦以降少なくなっている熟練搭乗員をさらに失ってしまったことは、今後の戦局に大きな影を落としたのである。)
このページの頭に戻る

戻る(目次)