北太平洋の海軍作戦

北方の反攻基地

 灼熱の南太平洋に於て、彼我の死闘が日夜繰り返されつつある時、遙か北方のわが第一線氷と霧に閉されるアリューシャン列島の鳴神、熱田両島では、荒れ狂う厳冬の魔海にへだてられ、本土から隔絶された悪条件をよく克服、本土防衛の重大任務を負う将兵が厳たる鉄壁の陣を布き、飽くなき敵機の盲爆、敵艦の反撃、咆え狂う荒涼たる大自然の暴虐との戦いを夜を日についで闘いつつある。

 敵アメリカは、陸、海、空兵力の大半を消耗するという南太平洋抗戦の愚をようやく悟り、今後はかかる膨大な消耗を避け、日本本土を徹底的に空襲して焦土化しようとする意見が台頭、米西南太平洋艦隊司令官ハルゼーおよび海軍長官ノックスすら、
 「東京空襲は大いに有望である、日本人はそれに対する覚悟をきめなければならない」と、豪語し
 また議員ジョン・イー・ランキンも、
 「太平洋戦争は勝つためには、アメリカの持つ大航空兵力をあげ徹底的に東京大空襲を敢行することである。そのためにアメリカはまず日本に近接した地域に、さらに新たなる航空基地を建設すべきである」と、不遜なる言を吐いている。
 これらの底意を反映してか、アラスカと米本土を結ぶリチャードソン道路の完成を機に、敵はその前進基地をアリューシャンの島伝いに進めているのである。
 ここに、われわれは眼を北に転じなければならぬ。敗色のいろこき今日、アメリカは目的のために手段を選ばず、アラスカを武装して対日反攻基地を強化している。
 だが−−アリューシャン西端の熱田、鳴神の両島には厳然たるわが「北洋の護り」がある。アメリカが「アジアへの架け橋」と呼ぶアリューシャン列島は逆に「アメリカ本土への架け橋」となっている。
 この極北の地に、皇軍将兵は吼える朔風の真只中、氷雪に埋まれたツンドラを掘って築造した陣地に立籠って、敵の反撃を斥けているのである。
 わが部隊がアリューシャン列島に上陸して以来、アメリカは執拗に熱田、鳴神の奪回を繰返している。その最初のものは昨年八月八日、ソロモン群島方面と時を同じくして反撃してきたのであるが、それまでの約二ヶ月間は敵の反攻のための陸上基地建設に専念していた、制空権を得るためにはその付近に陸上基地を持たなければならないからである。
 しかも、その基地を立体的に要塞化するように固めなければならないと考え、アラスカから本国へは陸つづきに連絡できるという好条件を利用して短期間にアトカ、ウムナク、アダックなどに陸上基地を建設し、最近ではわが鳴神島から二百五十キロの地点にあるタガナ島にまで進出しているのである。
 峻嶮と、沼と、湿地のアリューシャン列島の陸地に敵がどのようにして飛行場を建造するかといえば、まず沼や湿地に多数の材木を埋めその上に鉄板を張って滑走路にする。かくて基地が出来ると敵は本格的な攻撃を開始する、ほとんど毎日のように敵機は盲爆に来るのである。
 アラスカのシトカからコジャック、ダッチハーバーを経て東部、中部アリューシャンを島伝いにやってくるのだ。敵兵力は海兵隊を含んで約二万、飛行機は三百五十といわれ、その機種は「空の要塞」ボーイングB17、コンソリデーテッドB24、ノースアメリカンB25などの爆撃機、ロッキード、カーチス、マーチンなどの戦闘機、爆撃兼哨戒のコンソリデーテッドPBYI2などが主力でこれが十機内外、多い時は三十七機の編隊で来襲するのである、
 北辺の孤島にほとんど連日敵機が来襲する。わが将兵はこれを迎撃する、一日一日が凄烈なる戦いの連続である。
 南方戦線中心の海軍戦記の中であるが、一応北方戦線のことにも触れられている。文中に出てくる「熱田」「鳴神」の両島は「アッツ」「キスカ」の日本名である。昭和17年6月にミッドウェー作戦の陽動として行われたダッチハーバー攻撃の一環として両島を占領した日本軍であったが、当初の牽制任務では計画されていなかった占領継続を行ったため、両島には日本軍陣地が築かれることになった。8月8日の反攻とは米第8任務部隊によるキスカ島砲撃のことで、このとき日本側は敵の上陸を警戒したが結局上陸は無かった。翌18年5月にアッツ島守備隊は玉砕、キスカでは同7月に奇跡的な撤退作戦により逃れることができたが、払った犠牲は少なくなかった。
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洞窟内の将兵

 アリューシャンの夏は夜三、四時間しかないが、その反対に冬になると昼間が三、四時間しかないのである。
 霧の深いことはアリューシャンの特徴だ。
 『霧の列島』と呼ばれる通り、比較的霧の少ない六七月のころでも、十日間くらい連続的に霧がかかる。この雲が密度を増すと、ちょうど粉をふりちらしたようで呼吸すら困難になる。
 このような島だから人の住まぬのも無理からぬことで、わが部隊が上陸するまで原住民は熱田島に四十二名(現在は四十名)鳴神島には一名もいなかった。こういう冷蔵庫のような僻陬を護って、連日襲いかかる敵を撃ちわが将兵は一歩も譲らぬ力戦敢闘をつづけている。
 長い冬は氷と雪の白一色だ。兵隊は雪をけとばして土を見たい衝動にかられる。雪の下四、五寸のところに赤黒い土が出る、はねのけた雪の下に一茎の草を発見する、手に取って見ると、なんの飾り気もない一本の枯れ草でしかない。けれど、枯れたと見える一本の茎はなかなか折れない、柔軟性がある、雪の下で生き抜いていたのだ。この一茎の柔軟性に北極の厳しい寒さに耐えてやがて来る春の短い開花期にツンドラを彩ろうとする寒帯植物の生命を秘めているのに気づく。
 極北の厳冬を必死に乗り切らんとする一茎の可憐な寒帯植物、それは、極北を護る兵隊の闘魂そのままだ、アリューシャンの孤島の厳冬に、自然美の極致と、人間力の強さ、逞しさ、美しさ、崇高さをはっきりと見るのである。
 霧と、雪と、氷と、烈風の冬。二メートルに及ぶ凍ったツンドラに覆われているこの島々には木という木さえ見当たらない。本土からの輸送が途絶えると何一つ自ら生産するものとてないこの凍土では、すするべき露、食むべき木の芽、飢を癒すべき草の根すらない。
 雪あかりにすかして見れば、山と山の間にテントの小屋がある。兵舎というにはあまりに粗末である、敵の爆撃が熾烈なのであまり立派なものを造っても無駄なのだ。その代わり防空施設には全力をそそいでいる、敵機が毎日のように来襲する中で将兵は規則正しい軍隊生活を送っている。
 夜はテントの中心のストーブに足を向けて円陣を作って寝るが明方の寒さが身にこたえる、食物は缶詰がどうしても多くなる、空襲の関係で冷蔵庫のような防空壕に長くうずくまっている時の味気なさは切ない。寒さがひしひしと噛みついてくる。
 敵機の来襲に備えるため二メートルに及ぶツンドラを剥ぎ、円匙も十字鍬もてんでうけつけない岩盤を掘り、さらに掘り進んで冬営のための洞窟営舎をつくった。この洞窟内でも、敵機の爆撃目標となる煙のでる燃料がつかえない。そこで木炭を焚き、夜間は石炭や薪を焚く、洞窟営舎の中では四十名ないし九十名が、脚と脚、肩と肩をくっつけて、放射状になって休養をとる。
 監視や立哨は言語に絶する苦労である。一回歩哨に立てば、霧のため臍まで濡らして帰ってくる、立哨時間は一時間が普通であるが、ここでは一時間も勤務をすればどんなに壮健な兵でも病気になってしまうので、勤務時間は三十分となった。歩哨に立つと、霧はまず一ばん上に被った携帯天幕を透し、つぎに外套、軍衣、袴下を透し、ついには褌までもびっしょりと濡らす。しかも、零下十度の寒さが濡れた肌を刺す。交替した兵隊はストーブでそれを乾かし、また勤務につく。これが一日のうちに八回も繰返されるのである。
 食料は内地から輸送された尊い米が主食だが、副食物はほうれん草、大根の葉、人参、牛蒡、玉ねぎ、馬鈴薯などの乾燥野菜、あとは天恵の魚類である。
 アリューシャン列島は魚の安息所といわれるだけに魚だけはふんだんにとれる。これはアメリカのアラスカ漁場、ソ連のカムチャッカ漁場、日本の千島、金華山沖の漁場から逃れた魚どもが集まってくるためである。
 魚の豊富なのに反し野菜は全然ない。昨年の夏、島中を探して一寸でも草の生えているところをみつけると、そこを掘り返して畑を試作したところ、秋になると直径一寸ぐらいの大根や、高さ三寸ぐらいの白菜などができた。兵隊たちは現地でできるものを輸送船のお世話になっては相済まぬと自給自足に努力している。病気は得体のわからぬ熱病があって兵隊はこれを『アリューシャン病』といっている。ツンドラ地帯を歩くと膝上までもツンドラに没する。冬も雪の下の湿地は凍らないのでまるで竹の山を歩いているようだ。このため脚はふやけブクブクになり軍靴は履けない。地下足袋を使っている、だから夏は水虫、冬は凍傷にやられる。入浴なども燃料の関係で一ヶ月一度しかできぬ。
 敵の反攻は空爆のみではない。
 昭和十七年八月八日、アメリカ艦隊反攻作戦の日は霧が非常に深かった。暁の四時半ごろ突如、ダダアンと島全体を揺ぶるような爆音を聞いてわが将兵は直ちに配置についた。霧が深いので敵弾はどこからとんでくるのか判断できなかった。ただ、眼前の山を包んだ霧がぼうと赤く燃えている。敵弾は見当違いの山に集中し山容がくずれるばかりである。
 と−−みる間に、遙かなる霧の上にポツリと敵の機影がみえだした。着弾観測のための敵機だ。待ち構えたわが対空火器はもちろん、小銃も、機関銃も一斉に霧をとおしてその霧の上にある敵機に集中した。敵の猛烈な艦砲射撃は霧の向こうから、霧をとおして振りそそぐのだが、さっぱりわが陣地にはあたらない。敵は霧をとおしてわが陣地へ、われは霧をとおして霧の中の敵機へ敵艦へ、−−ここに凄絶な、文字通り霧中の巨砲の応酬が息づまる緊張のうちに展開したが、開戦後わずか十五分、わが的確な射撃はついに観測する敵機を叩き落としてしまった。それからの敵艦砲はいよいよ照準を失っていたずらに山の形を変えるのみであった。
 この敵の艦砲射撃は二十分間にわたって行われ、敵弾は実に五千発にのぼった。敵艦隊はわが的確な対空火器のため眼を奪われなすこともなくついに退却したのである。
 極北のこの島にもようやく、春が訪れた、春が来れば、アメリカの対日反攻作戦は必死である。
 一億国民はこの「北の闘門」に朔風、氷雪と戦い、さらに執拗な敵と戦うアリューシャンの勇士を思うべきである。
 しかも、勇士らは「この島を守らねば本土の安泰は最早期せられない」との強い闘魂を燃えあがらせ朔風を克服している。
 春訪れたりといえど、極北の春は名のみだ、霧は深く、風は荒む、怒濤は相変わらず島に砕ける。来る日も来る日も武器を持つ敵と、気象の敵と闘う勇士らの血と闘魂とによって敵の意図は妨げられ、北辺の護りは支えられているのである。
 珍しく勇ましいだけの戦記では無く、兵士達の苦労をしのばせる内容となっている。米第8任務部隊の砲撃について触れられている。実際に艦砲射撃は約30分程度のものであった。ただし着弾観測機の墜落については誤認であろう。
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霧氷の北溟を征く

 霧と、氷と、暴風の海北洋−−この北洋を警備し、また、極北の新皇土を護る兵員に兵器、物資を補給するために敢然、北洋を征くわが艦艇に課せられた任務は重い。
 「アリューシャンに行って来るだけで立派に戦闘して来たことになる」
 それ程に、北洋の大自然は暴威をふるって艦艇に挑戦する。まことに、北洋は魔海である。
 霧のなかの大吹雪だ、軍艦がこんなに傾斜してよいものかと思うほど、さながら、渓流を走る木の葉のごとくもみくちゃになって進航する。波のうねりは凄い。艦首に揚る飛沫は、その凄まじい力で錨甲板の雪を溶かす。しかし、すぐに、その飛沫が凍って艦側の鎖に綺麗なつららが下がる。艦を噛むように白い歯をむき出して殺到する大浪は、ズシーンとぶっつかり、轟音たてて砕けては、また、襲ってくる。
 だが、その怒濤もものかは、出撃時に少しも変わらぬ陣形で艦隊は進航する。艦橋には大軍艦旗が美しくひるがえっている。
 この魔の海を突破して目指すは極北の新領土熱田島、鳴神島だ。
 今日も深い霧である。この霧では、目的地が発見できるかどうか心配だ。海図とジャイロコンパスに喰いつく航海長は必死である。先駆する僚艦の信号さえ時々見えなくなってゆく。
 深い霧を透して凝結していた見張兵の心眼に、突如、艦の真上で爆音が聞こえた。
 「敵機発見一機、左二十五度、本艦に向かって進行中」と、おちついて報告する。
 たちまち総員配置に着く、勇み立って防寒帽さえも冠らず、きりっと締めた兵隊達の日の丸鉢巻が一瞬殺気立った。
 「射撃準備宜し!」砲術長は張りきった。
 だが、敵機はいっかな突込む気配がない。それでも爆音だけは遠くなり近くなりして、○○分も霧の中に断続していたが、やがて、そのうち、アリューシャンの日没が来た。夜間、しかも霧中では流石盲爆の本家も手がないらしく、ついに遁走した。
 この上は、陸地の発見に全力を集中する。
 航海長の判定では、この進路であと○時間進めば島の○○が見えるという。悪天候のため天測は二日もしていない、全くの五里霧中の航海である。
 「判らなければ、明日また突込みなおす」
 そう言って部下をなだめた艦長が、忽ち、
 「あっ、あれは何だっ?」と、左を指さした。
 弾かれたように多くの眸が左方を仰いだ途端、睫毛に凍った霧粒のような○○が、どの眼にも確かに見えた。
 「島であります。島の○○に違いありません」
 一番先に叫んだのは、双眼鏡を眼にぶっつけてわずかに両眼を震わしていた航海長である。
 それから数十分のち、霧は大粒の横なぐりの雨滴となって一種凄絶な気漂う○○湾に入った。そして、波浪を冒して艦側に着けられた○隻の舟艇は、積み荷を満載して霧と闇をついて彼岸に去って行った。
 極北の最前線『アジアへの架け橋』と呼ばれるアリューシャン列島の最北端熱田島は、氷河に刻まれた青年期の地層を白衣に包んでまるで骸骨のような姿である。
 島を死守する将兵を飢えさせてはならない、武器弾薬を欠乏させてはならない。そのためには輸送船もまた決死の補給を続けているのだ。敵機来襲下、悪天候と戦いながら進む輸送船の苦労もまた言語に絶する。時には船が三十五度から四十度くらいまで傾くことがある。昼間、敵はわが輸送路を切断せんと輸送船に襲いかかる。
 そのために、船は夜間を利用して突撃を開始するのだ。輸送船の乗組員はこの航海を『帰らざる旅』と呼んでいる。けれど、一人としてこの『帰らざる旅』を恐れている海員はいない。命有れば勇奮して北洋に乗り出してゆく。
 『空の要塞』と、輸送船の戦いは毎日繰り返される。輸送船の高射機関銃で射ち落とした敵機の数も決して少なくない。船上の飛行機哨戒に立つ見張員は、冷たい海風のため眼も開けられないほどだが、彼らはこの目がつぶれると心の眼で見るのみだと、涙ぐましい哨戒をつづけている。
 輸送船の奮戦を島の壕の中から望見した勇士は、われを忘れて匍い出し釣瓶打ちに砲を撃ちまくって敵機を追い払う。
 時化るときは僅か○ノットしか出ない遅鈍な航海で、しかも、石炭の煙を黒々となびかせながら霧氷の北洋を堂々と進航するわが日の丸船の壮絶さは、孤島で勇戦する皇軍将士の身を案じ、決戦に参ずる者の光栄と、闘魂に燃ゆればこそである。
 鈍足な輸送船団の苦労がしのばれる内容の手記である。このころは対潜警戒よりも対空・対水上警戒の方に重点が置かれていたため、霧の深いアリューシャンでは接敵することは多くなかったようだ。
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北洋の海戦

 北洋にもようやく浅春の気配がきざす三月二十七日の早朝である。
 この日も、低く垂れ下がった雲を縫ってわが索敵機は哨戒に任じていた。敵は熱田、鳴神島方面に対するわが補給増強を脅威せんとの企図のもとに、しばしば、巡洋艦、駆逐艦を主力とする北方艦隊を出撃させて北洋を伺っているのである。霧に閉された北洋に蠢動するこの敵を補足せんものと、わが索敵機は耐えざる努力で哨戒に任ずる、その苦労は非常なものであった。
 この日、索敵機が熱田島西方約百五十哩付近の上空を飛翔してると、霧のはれ間に広がる灰色の鉛のような海に艦影を認めた。ついに発見したのだ。待望の敵、巡洋艦二隻及び駆逐艦数隻よりなる敵の有力艦隊である。
 電波は快報を伝えた。たちまち、わが水上部隊は怒濤を衝いて出撃し、まっしぐらに突進して行った。
 鋭敏なるわが水上部隊の猛進を知った敵は卑怯にも忽ち反転、進路を東方にとって遁走を企てたのである。
 わが勇猛なる精鋭は遁走させじと追撃に移った。将兵の目は怒りに燃え、断じて逃がすまじき決意の色が漲っていた。北洋の波は高い。その波を蹴って全速力で敵艦にせまった。敵は数條の白く泡立つ航跡を曳いて逃げるのだ。雲はみだれとび、海は灰色ににごっている。風がびゅんびゅんうなった。ザーッと甲板の上に飛沫が降りかかる。
 進撃、また進撃、息づまるような四時間であった。ついに、俊足を利してわが艦隊は敵を補足した。敵巡洋艦の右側面に迫り○○米の距離に近づいたのである。
 艦内はいよいよ活気づいた。砲員の走る音。と、同時に電動機の廻る音がした。もう、砲はぐるぐると左右に廻されていた。
 「射撃準備宜し」
 伝声管から声がした。
 「射撃開始!」
 厳かな声が響く。
 ヂ、ヂーとブザーが鳴り渡って、初弾の飛び出す一瞬前の緊迫感が漲る。
 轟然たる砲声、前甲板を火の海にして初弾が発射された。つづいて第二弾が飛んだ。とたんに、米甲巡ペンサコラ型の砲塔が火煙と共に宙に吹き上げられていった。まさに命中したのだ。
 敵も今は死物狂いで煙幕を張って、猛烈に射って来た。敵弾が物凄い水柱をあげた。一瞬、敵艦は見えなくなった。水柱が消えるとわが必中弾を受けて、パッと焔を吐く米乙巡オマハ型が炎の姿を現した。
 敵の艦はすでに致命傷を受けた。敵せずと見てか、たちまち各艦は勝手な行動をとり、支離滅裂の状態で遁走を企てたのである。
 猛攻をゆるめぬわが艦隊は、さらに追撃して敵駆逐艦を葬りつつまっしぐらに追撃した。
 風は募り、怒濤は高まり、霧が海面に流れた。ひゅっと風が鳴ったかと思うと、低気圧の圏内に入ったらしく、南方からの風が物凄く吹きつのった。やがて迫る夕暗は、あたりの空気を一層悽愴に彩って行った。
 死物狂いで逃げる敵は、濃くなった霧の中を命からがら東方に潰走したのである。
 春を迎えてアリューシャン方面の戦闘はいよいよ活発化した。この海戦によって海上よりする敵の反撃企図はまず挫けたわけであるが、アリューシャン方面の戦局の展開は注目すべきものがあろう。
 この海戦について左の如く発表されている。
大本営発表(昭和十八年三月二十九日十六時)
 帝国海軍部隊は二月二十七日、熱田島西方海面を行動中の巡洋艦二隻及駆逐艦数隻よりなる敵艦隊を発見直ちに之を追撃、甲巡一隻に大損害を与え、乙巡一隻、駆逐艦一隻を小破せしめたる後敵を東方に潰走せしめたり、我が方の損害は極めて軽微なり

 北方海域で唯一の海戦となった『アッツ島沖海戦(正式呼称では無い。米側呼称はコマンドルスキー諸島海戦)』の模様である。日本側は船団護衛として任務遂行中の重巡「那智」「摩耶」を中心とした第五艦隊、米側はこの船団を迎え撃つため編成された重巡「ソルトレイクシティ」軽巡「リッチモンド」を中心とした部隊が戦闘を行った。(したがって日本側が発見して追撃したのではなく、米側に追撃された形が本当である)
 両艦隊が相手を発見したのはほぼ同時であり、まだ性能が低かったとはいえレーダーを装備していた米艦隊と対等の距離で発見した日本艦隊見張員の技量には驚かされる。両軍とも遠距離での砲戦をおこなったのみで両旗艦に被弾があったものの(「那智」「ソルトレイクシティ」とも小破判定)それ以上の戦果拡大は無かった。
 火力では有利な状況であった第五艦隊だったが遠距離砲戦にこだわり、誤報(残弾無しという報告)にも惑わされあまりに消極的すぎた第五艦隊司令の細萱中将は後に更迭されてしまっている。
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