海上決戦につづく二ヶ月

激闘また激闘

 かくして、アメリカの海上権奪回による補給線の確保が画餅に帰すると共に、海上兵力そのものが、急速に建て直り得ない程の大打撃を蒙ってしまった。 しかし、アメリカとしては、如何なる犠牲を払ってもガダルカナル島の海兵部隊に対する補給は続けて行かねばならなかった。同時に一方では、三たび制 海権の回復を企図して海上決戦を挑み得るだけの艦隊再編成に狂奔せざるを得なかったのだ。
 かかる事態から、第二次ソロモン海戦以後二ヶ月間にわたって、間断なき補給をめぐるソロモン海域の昼夜を分かたぬ激闘に次ぐ激闘が展開した。 そして、その後に来る必然的な一大海上決戦−十月二十六日の南太平洋海戦となったのである。
 第二次ソロモン海戦以後南太平洋回線直前までの二ヶ月間の激烈な基地補給戦−これにつき我が大本営は十月二十七日、南太平洋海戦の 発表と同時に一括して次のようにその戦果を発表した。
大本営発表(昭和十七年十月二十七日二十時三十分) 第二次ソロモン海戦以後南太平洋海戦直前まで、即ち八月二十五日より十月二十五日に到る間に於けるソロモン群島方面の帝国海軍部隊の 戦果左の如し
 (一)艦船
    撃沈
     米航空母艦      ワスプ
     巡洋艦        三隻
     駆逐艦        五隻
     潜水艦        六隻
     輸送船        六隻
     掃海艇        一隻
    大破
     戦艦         一隻
     航空母艦       一隻
     巡洋艦        一隻
     潜水艦        一隻
     輸送船        二隻
     掃海艇        一隻
    中破
     航空母艦       一隻
 (二)飛行機
     撃墜         四百三機
     地上撃破       九十七機
      その他B−17型大型爆撃機十九機に対し大なる損害を与えたり。
我が方の損害
 (一)艦船
    沈没
     巡洋艦        二隻
     駆逐艦        二隻
     潜水艦        一隻
     輸送船        五隻
    大破
     駆逐艦        一隻
     輸送船        三隻
    中破
     巡洋艦        一隻
     駆逐艦        二隻
     潜水艦        一隻
     輸送船        二隻
 (二)飛行機
     自爆         二十六機
     大破         三十一機
     未帰還        七十八機

 第二次ソロモン海戦から南太平洋海戦直前に至る激烈な補給戦は、ガダルカナル島に陸上基地を持つ敵の一応有利な態勢下に続けられたので あった。
 敵がブーンと飛び立てばそれでいいのに対して、我が海軍航空部隊は海洋を遙かに越えて行かねばならないと言う著しく不利な地理的条件に制約 された。しかも変化常ならぬのがソロモンの天候である。ここに我が海軍将兵の血みどろの苦心があったのだ。敵の制空権下に深く挺身してゆくのだか ら、勢い昼間の行動は出来ないことが多くなった。我が水上艦隊はもっぱら夜間行動に出たのである。同時に敵補給路に対する潜水艦の果敢な 攻撃が繰り返された。航空部隊もまた、あらゆる不利を押し切って、見敵必殺の猛撃を続けたのである。
 敵アメリカも必死であった。強大な生産力にものを言わせて、やられてもやられても飛行機の数をそろえてきた。また豊富な機械化兵器を以て飽くまで 執拗な抵抗を続けたのである。アメリカとしては、どんな犠牲を払っても退かない、本腰を入れた反撃ぶりを此処でみせはじめた。激烈な消耗戦の展開 −それを無限に続けていけば、結局のところ日本を圧倒することが出来る、とアメリカは飽くまで”最後の勝利”に自信を持っていたのである。
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ワスプ撃沈

 かくの如き情勢下に戦われた二ヶ月間の激闘のうち、先ず敵空母ワスプ以下を撃沈破した潜水艦の活躍振りは以下のようなものだった。
 第二次ソロモン海戦後、空母一、戦艦一、巡洋艦二、駆逐艦数隻よりなる敵艦隊がソロモン東方洋上に出没していた。積極的行動に出るには 我が攻撃が恐ろしいようだが、しきりとガダルカナル救援の機をうかがっているのは明らかだ。この敵を索めて我が潜水艦部隊は日夜長時間潜行の 困苦に耐えて隠密に行動したのであった。八月三十一日未明、折から中天に懸かる半月の光に海面は薄明るかった。
 「右九十度、水平線黒いもの...」
 と叫ぶ見張員の声に、艦橋に上がった艦長の眼鏡(双眼鏡のことである)に、大きな艦影が二つ、小さい艦影が数隻うつった。目指す敵 艦隊だ。すばらしい獲物に全艦奮い立ったが、敵機と駆逐艦の厳重な警戒にさまたげられて遂に一旦見失ってしまった。夜明け頃になって残念なが らあきらめようとした時、再びこの敵艦隊を発見したのである。艦は直ちに急潜行した。前に巡洋艦二隻、後ろに戦艦一隻を従えた空母は左右に 駆逐艦数隻を配した堂々たる輪型陣を以て南下しつつあった。風に向かって飛行機発進の態勢をとっているのだ。ぐんぐんと接近していった。魚雷戦 用意の号令に艦内はいまや必殺の闘志が満ちていた。海面は小さな白波が立っていて潜水艦襲撃には不利の状態だったが、やがて、艦長の断固 たる、
 「射て!」
の号令一下、魚雷は生きもののように走った。息詰まる緊張しばし、ドカンと激しい命中音が伝わってきた。しめたッと叫ぶ間もなく泡を食った敵の 狂気のような爆雷攻撃が始まった。しかし既に幾度と無く爆撃の下をくぐってきた艦長は巧みに艦の所在をくらましたのである。やがて爆雷音が次第に 遠ざかるのを楽しみながら、忘れていた朝食だ。
 (この時に雷撃を敢行したのは第一潜水戦隊の伊−6である。雷撃された空母は米海軍の「サラトガ」で3500メートルの距離から6本の魚雷 を発射され、うち1本が右舷に命中して浸水、その後三ヶ月近く戦列を離れることとなったのである。伊−6は爆雷攻撃を無事逃げ切っている。)
 −空母一隻中破、これが如何なる苦労もつぐなって余りある、その朝の嬉しい戦果だった。越えて九月六日、同じく潜水艦部隊が他の敵航空母艦 一隻を大破し、更に九月十五日、米空母ワスプに魚雷四本を命中せしめ、数時間後、炎々たる火焔に包まれて遂に沈没するのを確認する大戦果 を上げたのである。
 ソロモン群島東南方海上を哨戒索敵中の我が潜水艦は幾日も太陽を見なかった(作戦行動中の潜水艦は夜間のみ浮上し、昼間は潜行し ているためである)。二十七、八度に上る海水温度の中では、冷却通風装置も効き目がなく、艦内は蒸し風呂のような暑さだった。そういう困苦 の中で希うは、ただこれぞという獲物に思い切りぶつかっていくことばかりであった。
 九月十五日朝、ソロモン群島東南方○○浬沖でのことだった。潜望鏡が、南方水平線上に駆逐艦のマストを先ずとらえた。続いて敵航空母艦の 艦影が見えた。待望の敵艦隊、しかも空母はまさしくワスプではないか。両側に甲巡各一隻を従え、その外側を多数の駆逐艦で取り巻く堂々たる 輪型陣で北上しつつある。ガダルカナルへの飛行機補充増援のためにやってきたものらしい。上空には自衛飛行機が三機飛翔しているのが見える。
 この日は快晴で視界は良かったが、十メートル内外の強い南風が吹き、白く泡立つうねりが大きく荒れ模様だった。しかしうねりも何のその、みるみる 艦内には湧き立つ様な喚起とピーンと張り切った激しい闘志が充ち満ちた。ワスプと確認したときはまだ距離が遠く、襲撃困難だったが、そのうちに ワスプは西へ進路をとり、更に左変針で南下し始めた。ちょうど我が潜水艦の方へ向かって進んでくるのだ。艦上機が二機飛び立つのがみられた。まさ に天佑神助とも言うべき絶好の機会だ。
 「よし突っ込むぞ!」
 と一言、艦長は烈々たる捨て身の気魄を込めた言葉を洩らすや、我が潜水艦は敵駆逐艦、巡洋艦を従えた輪型陣の真っ直中へ躍り込んでいった のである。直衛駆逐艦の下をくぐり、更に巡洋艦の艦尾をすれすれに通過して、目指すワスプに迫るや、魚雷は発射された。と、間もなく”コーン”という 鉄板を叩きつける様な音についで”ずしーん”という重ぐるしい底力のある魚雷の爆発音がとどろいてきた。”コーン””ずしーん””コーン””ずしーん”と 続けざまにワスプの胴 ッ腹深く命中した四本の魚雷爆発音がきこえた。
 「命中だ!」
 全艦将兵の顔には会心の微笑が浮かんだが、喜び合っている暇もない。直ちに直衛艦の爆雷攻撃に備えて退避運動に移った。狂ったような爆雷 投射が始まった。魚雷の命中音よりは軽い”カーン”という炸裂音に続いて”ゴーッ”という水圧が艦をふるわせる。そしてすぐジャーッという水しぶきの音 がきこえる。あちらでもこちらでも”カーン、ゴーッ、ジャーッ”という爆雷音が無数に連続しているのだ。敵の護衛艦群は周章狼狽、めちゃめちゃに爆雷を 投下しながら右往左往しているが、巧みな我が退避行動に一つも効果はなかった。激しい爆雷の嵐が○時間続き、やがて護衛艦群は見切りをつけ たか南方へ去っていった。その前後に我が攻撃前に離艦していたらしい敵機約十機が帰ってきて、ぽんぽんと爆弾を投下する音が聞こえた。既に着艦 しようにもワスプは火焔に包まれているのでやむを得ず、付近に着水して僚艦に収容されたようだ。
 日没と共に利鎌のような四日月が西の空にかかり海上は明るかった。既に爆雷の音も静まった。潜望鏡を上げてみると西の空が真っ赤に燃えている。 近づいてみるとワスプが炎々として大火災を起こしているのがはっきりとみられた。艦尾を水に浸し左に大傾斜している。艦首や、右舷の広い飛行甲 板のところどころから天に沖する黒煙に混じって赤黒い炎がめらめらと巨艦を舐めている。ただ一隻だけ駆逐艦がワスプの最期をみとるかの様に残って いたが、それも夕暮れと共に見限りをつけたか現地を立ち去った。艦体を包む火焔はますます猛烈となり左に大傾斜したまま艦尾から沈みはじめ、 三分の一程甲板が水に浸ったかと思う見る間に、艦首をぐっと夕闇の空高く持ち上げ、赤い船腹を見せて棒立ちとなるや、そのままゴーッと鉛色の海 に飲まれてしまったのであった。まさに壮大な巨艦の最期である。
 このワスプの喪失をアメリカ海軍省が発表したのは、実にそれから約一ヶ月後の十月二十六日のことである。そして、辛くも救われた艦長シャーマン が、嘘も隠しもならない我が潜水艦の猛撃と魚雷のすばらしい威力を白状しているのである。シャーマンの語るところによると「何処からともなく」魚雷が とんできてアッと言う間もなく物凄い爆発を起こしたとのことである。
 「まるで地獄のようだった」というその言葉にも我が魚雷の威力を身にしみて味あわされた驚きをうかがうことが出来るのである。また、ワスプの一生存者 の談によれば、魚雷は二本まで火薬庫に命中した。油送管も破裂、数分後には重油に引火して艦全艦は炎々たる火焔に包まれるに至ったのであ る。その乗員の戦死者は実に二千名にも上ったのであるという。
炎上するワスプの写真
(空母ワスプを攻撃したのは第一潜水戦隊所属の伊19である。文章の通り6本の魚雷を発射しているがワスプに命中したのは3本である。ワス プは魚雷命中の衝撃で航空機用ガソリンタンクが破損し、漏れたガソリンに引火、大爆発を起こし被雷から35分後に艦長シャーマン大佐が総員 退艦を命じている。なお、外れた残り3本の魚雷はそのまま直進し、空母ワスプから10キロ離れた米空母ホーネットを基幹とする機動部隊を襲い、 戦艦ノースカロライナと駆逐艦オブライエンに1本ずつ命中している。これによりノースカロライナは左舷前部を破損、修理のため6ヶ月も戦列を離れた。 オブライエンは右舷艦首に魚雷が命中大破し、応急修理の後本国へ回航中に沈没している。偶然とはいえ伊19は発射した6本の魚雷のうち5本 が命中、空母1、駆逐艦1撃沈、戦艦1大破という大戦果をおさめたのであった。余談ではあるが当時米海軍は二本の魚雷が10キロも離れた艦 に命中したこととは考えられず、ワスプとホーネット部隊の被害は別の潜水艦の攻撃によるものであると判断していた。)
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艦艇の活躍

 一方、ツラギ海峡に於ける我が水上艦隊の活躍も目覚ましいものがあった。何しろはてしない海洋のことである。我が潜水艦部隊の鋭い索敵の網 の目をのがれて、ガダルカナル島に対する補給のために蠢動する敵艦隊、輸送船は少なからぬものがあった。我が方もまた陸軍部隊への補給が行わ れたのである。かくて夜間幾度かツラギ海峡に於ける彼我水上艦隊の激闘が繰り返されたが、中でも十月十一日夜サボ島西方海上に於ける我が 巡洋艦戦隊が行った夜戦は、我が海軍の飽くまで屈せざる攻撃精神と、夜戦の実力を遺憾なく発揮したものだった。
 この日、我が巡洋艦戦隊は我が輸送船団を間接に護衛すると共に、敵艦隊を索めて攻撃すべき任務を持っていた。我が輸送船団を狙って出撃 してくることは当然予想されたのである。 果たせるかなサボ島の西方に敵艦隊が待ち受けていた。敵艦隊をいち早く我が見張りはとらえていたが、既に 輸送船団が海峡に入った後だったので「もしやそれでは...」と慎重を期しているうちに、突如敵側から砲火を開いてきた。それでも、満を持している うちに、敵機から吊光弾を投ぜられるに及んで、我が砲門も一斉に火蓋を切ったのであった。と、無念、先を行く我が一艦が燃え始めた。度々の夜戦 に敵も夜間砲撃が少しは上手になったものらしい。それとみるや最後尾を進撃していた軍艦○○は奮起した。燃ゆる僚艦が火焔の中から屈せぬ応射 を続けつつ、旋回して軍艦○○が敵艦列を真っ正面に迎えるとすぐ、一番手近にいた敵駆逐艦を僅かに二斉射で瞬く間に屠り去った。そして舵を左 にとってぐう ッと旋回したのである。敵は小癪にも単縦陣に隊形を整えて我が左舷を同航している。軍艦○○は燃ゆる僚艦を左舷前方にかばいながら 独力を以てこの優勢な敵艦隊を引き受けたのだった。先ず甲巡四隻のうち二番艦の甲巡ロンドン型をめがけて魚雷が発射された。射てば必ず当たる ...という堅い確信に充ちた雷撃である。ずしいんという命中の轟音が○度続くや敵艦の二倍の高さに水柱が上った。「命中、命中」という叫びが終 わるか終わらぬうちに水柱が消えた。とみると既に敵艦は跡形もなくなっていた。見事な轟沈だった。狼狽した敵艦列は左にぐうッ と逃げた。闇の海上に 距離が開きすぎて、敵艦の姿を捕捉し得ない、いらだたしい約十分間。何を思ったか敵は左舷にパッと探照灯を照射した。我が方が沈黙を続けるので その不気味さに堪えられなくなったのかも知れない。それっとばかり、うずうずする腕を押さえかねていた砲術長は、その間抜けな敵艦−先頭を行く甲巡 めがけて左砲戦の火蓋を切った。砲弾命中の火花が艦橋付近と続いて艦尾にパッパッと散るや、みるみる火災を起こしてよろよろと艦列をはなれていく のが見えた。
 軍艦○○が独力で戦った○時間...敵艦隊は最初あれ程有利な態勢で戦いをはじめながら、我が熾烈な攻撃精神と夜戦の実力の前に手も 足も出ず、轟沈甲巡一、撃沈甲巡一、駆逐艦一という痛手を受け、倉皇として南方に遁走し去ったのだ。しかし、この夜戦で我が方もまた火を発した 巡洋艦一隻を遂に失ったのだった。
 このサボ島沖夜戦のみならず我が水雷戦隊が夜間しばしば敵艦隊に得意の肉薄攻撃を敢行、その度に少なからぬ戦果を収めているのである。 だが、水上艦隊の場合その行動は極めて困難なものがあったのだ。何しろガダルカナルに陸上飛行機基地を持つ敵の内懐へ突っ込んでいくのである。 敵制空権下に深く進入していく水上艦隊の苦労は容易ならぬものがあったのである。
(さて、実際の戦史だがこの昭和十七年十月十一日におこったサボ島沖海戦は上記のような日本側の勝利ではなく、両者痛み分けであった。 日本側は重巡「古鷹」と駆逐艦「吹雪」が沈没、重巡「青葉」と「衣笠」が損害を受けており、米軍側は駆逐艦一隻が沈没、巡洋艦二隻と駆逐 艦一隻に損害があった。米軍側の砲撃の命中率が良かったのはレーダーを配備した艦が戦列に配置されたことによるもので、この海戦以降日本海 軍は得意の夜戦でも主導権を握ることはなくなったのである。ちなみに軍艦○○とあるのは重巡「衣笠」のことである。)
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敵陸上基地の制圧

 また海軍航空部隊もガダルカナル及び敵補給艦船に対して寧日なき攻撃を行っていた。遠距離と悪天候を冒して飛ぶ不利も我が海鷲の裂々の闘魂 の前には問題でなかったのである。まともにぶつかったのでは我が航空部隊に歯の立たないことを肚の底から思い知らされた敵は、卑怯な退避戦法に出て くるのだった。我が機が征くやあっさりとガダルカナルの敵機は遠く退避してしまうのが常だった。遠距離を征く海鷲はそう永い間敵を索めて止まることは出来 ないのだ。それを見越した敵の窮余の手である。それでも我が航空部隊の巧妙な先述に引っかかって敵機が遂に捕捉されたことがあった。またたく間に所在 の五十機を越す敵機が撃墜破されたのは言うまでもない。ところが一夜明けて翌日になると敵はちゃんと前日に優る飛行機の数を補充するのである。軽視 すべからざる補給力とそれを恃みとする戦意であることはかかる点にあったのだ。
 敵飛行場の制圧−それが急務だった。我方としてもあらゆる手が打たれた。飛行機に対する飛行機を持ってする攻撃は言うまでもない。我が水上艦隊 も敵制空権下に深く入り込むあらゆる困難を押し切って、夜間ツラギ海峡深く侵入し、海上からする敵飛行場の集中砲撃を幾度か敢行したのであった。
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