熾烈化せる航空作戦

クリストバル島付近図

クリストバル島東方の敵船団撃沈

 ソロモン、ニューギニア方面の帝国海軍航空部隊の活躍はいよいよ活発化し、またソロモン群島サン・クリストバル島東方二十浬の洋上において敵輸送船団に猛攻を加えた。その戦果は左の如く大本営から発表された。
大本営発表(昭和十八年二月二十日十五時)
 帝国海軍航空部隊は二月十七日ソロモン群島サン・クリストバル島東方において敵輸送船団を攻撃し、駆逐艦二隻及び大型輸送船一隻を撃沈せり。この間我が方三機を失えり

 すなわち、二月十七日、わが索敵機は、サン・クリストバル島南方約七十浬の海上に数隻の駆逐艦に護衛された敵輸送船団がガダルカナル島への補給を企図して北上しているのを発見した。直ちにこれを報告するとともに、ソロモン特有の密雲を利用し、敵艦隊を監視接触しながら北上した。
 報国に接した攻撃機隊は、勇躍現場に急行、サン。クリストバル島東方二十浬の地点においてこれを捕捉、猛然と攻撃を開始したのである。
 敵はわが爆弾雨を避けようとして、ジグザグ航進を行うとともに、駆逐艦の防御砲火は一斉に火を吐いたが、攻撃機隊は悠々これに必中弾を浴びせかけ駆逐艦二隻、大型輸送艦一隻を”海底輸送船団”と化せしめる戦果を記録した。しかし、我が方にも三機の尊い犠牲を出したのである。
 この戦闘の行われた海域の近くに横たわるサン・クリストバル島は長さ七十八浬、幅二十二浬あり本邦の種子島と大体同じ位の大きさだが、島は未開である。
 島全体は数百メートルの起伏を持つ丘陵で北岸に耕地および部落がある、東端のスター港は狭いながらも北西季節風に対して最も安全な泊地であり、南西岸のマキラ湾も適当な錨地である。
 約三十年前に豪州探検隊一行十一名が来島して原住民に暴虐を加え、反って殺されたことがある。大東亜戦争前までは官吏は一人も駐在していなかった。
 この敵輸送船団猛攻の戦果はガダルカナル島に対する敵海上輸送路の遮断作戦であること、敵制空圏内に飛び込んで、海軍航空部隊がその長距離航続力を利して敵船団を捕捉攻撃したこと、ガ島からわが陸上部隊が転進せる後において、海軍航空部隊の攻撃態勢はさらに積極的に、かつ活性化している事実を示す点に注目すべき意義を持っている。
 敵はこの海戦の時刻から推して、夜間、ガダルカナル島に接近して糧食を揚陸の任務を果たして、夜明け前に同島を離れてわが航空勢力圏外に逃避せんと意図したものであった。これを見ても敵がガ島に対する補給難は察するに余りある。
 殊にガダルカナル島には戦闘対象を失った数万の米兵が、徒に暑熱と湿気に悩まされながらひしめき合っている、如何に非人道の国アメリカといえどもこの島に対する補給、あるいは転進のための船団派遣を断念するわけにはゆくまい、この時にあたって、帝国海軍部隊の猛攻が輸送船団に向かって集中されていることは、ガダルカナル島の米英の転進を断ち切り彼らを完全なる南太平洋の囮の域に転落せしめたもので、この海戦の戦略的意義は極めて重大と言うべきである。
(朝日ソノラマ刊「日本海軍海上航空戦史:ラバウル海軍航空隊」(奥宮正武著)の付録「南東方面海軍航空作戦経過概要」によると、この日敵船団を発見した日本海軍は陸攻12機を出撃させているが、米軍機との交戦により5機の未帰還機を出している。なお、戦果は不明である)
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ニューヘブライズ諸島

エスピリット・サント島猛攻

 南方の空を縦横に雄飛して活躍する海軍航空部隊は、二月二十一日夜、ニュー・ヘブライズ諸島エスピリット・サント島を長駆空襲して敵在泊艦艇および陸上よりする熾烈な防御砲火を冒し、駆逐艦二隻を撃沈破し、陸上軍事施設に大損害を与えながら我が方には何らの損害がなかった。
 この輝く結果は大骨委から左の如く発表せられた。
大本営発表(昭和十八年二月二十三日十七時)
 帝国海軍航空部隊は二月二十一日長駆ニュー・ヘブライズ諸島エスピリット・サント島の在泊艦艇及び軍事施設に夜間攻撃を加え、敵駆逐艦一隻を撃沈、一隻に大火災を生ぜしめ陸上施設にも損害を与えたり、我が方に被害なし。

 地図に明らかなように、この島は米、豪の兵站連絡の要衝にあたり、しかも南太平洋海域における敵艦艇部隊および空軍の有力基地を形成し、ガダルカナル島その他への補給根拠地の役割を果たしていた。
 その島が、ついに帝国海軍航空部隊の活躍圏内に入ったことは、戦略的にみて敵の最前線有力航空基地がガダルカナル島から、その東南六百浬のエスピリット・サント島にまで後退し、しかも長駆攻撃するわが航空部隊を阻止する敵航空勢力の弱体化を証明するものであり、また、精神的にも敵国民に及ぼす影響は深刻である。
 海軍航空部隊の同島空襲は、二月二十一日の前にすでに三回にわたり、夜間爆撃が決行されているのである。
 即ち、一月二十日には飛行場施設に巨弾の雨を浴びせて飛行場四ヶ所から炎々たる火炎を燃え上がらせ、二十二日には飛行場六ヶ所を炎上、さらに二十六日にも飛行場二ヶ所を炎上せしめた。
 殊に二十日の初空襲に際しては、折から南太平洋方面を視察旅行中であった米海軍長官ノックス及び案内役の米太平洋艦隊司令長官ニミッツや、西南太平洋艦隊司令長官ハルゼーなどがこの島に滞在していた。
 時しも、帝国海軍航空部隊が長駆飛来して爆弾の雨を降らせた。この恐怖の洗礼に震え上がったノックスは一月三十一日、帰国後に新聞記者との会見において、
 「日本航空隊に襲撃された。日本は、自分がエスピリット・サント島に居たことをどうして知っていたのだろう。」
 と、不審がったという笑い話すらある。
 前三回の爆撃をわが大本営から発表されなかったのは、夜間爆撃のため戦果を確認できなかったことによるものであって、この点から見てもわが大本営発表の権威が窺われる。
 この猛襲は、敵の南太平洋線における反攻姿勢に一大脅威を与え、一方、わが海鷲の間断なき索敵の精確、果敢な攻撃精神にして初めて、敵が制空権下と恃む米豪線に切り込み、すでに百六十七度子午線上にまで、猛攻の羽翼を伸ばしたことを特記せねばならない。
(前出の書籍によると一月二十日と二十二日の爆撃は飛行艇1機で行い戦果は不明である。また、二十六日はポートモレスビー爆撃のみでエスピリット・サント島への攻撃は行われていない模様。二月二十一日の爆撃も二式大艇1機で行っており、本文にあるような戦果は確認できていない。)
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転進による本格攻勢

大本営発表(昭和十八年三月八日十七時)
 二月十六日以降三月五日までにソロモン群島及びニューギニア島方面において帝国陸海軍部隊の収めたる戦果並びに我が方の損害左の如し
 戦果 飛行機百十三機撃墜、同十一機撃破、潜水艦四隻撃沈
 我が方の損害 駆逐艦二隻沈没、輸送船五隻沈没、飛行機七機自爆及び未帰還

 この戦果に見るごとく、太平洋西南における攻守自在の態勢を、転進により獲得した帝国海軍部隊は、陸軍部隊と緊密なる協力のもとに攻撃精神を極度に発揮しつつあるが、日米制空権の争奪は夜も昼も連日苛烈凄惨を極めて継続されているのである。敵は優勢なる航空勢力を恃み、有力なる航空基地を利用してわが前進基地、地上部隊を目標に、或いは海上輸送の妨害に必死の反攻を企図執拗に反撃し来ったが、この方面における帝国陸海軍部隊は敵のこの遊動的反攻に対し、断固としてこれを撃滅し去ったのである。
 しかし、注目すべきことは、敵は、潰されても潰されても有力なる航空兵力による兵力の増強につとめ、各方面にわたって航空戦による反攻が本格的となった点である。
 かくて、我が方の航空部隊は勿論、地上部隊の増強強化は万全であり、戦う毎に常に有利なる態勢を獲得している。そして、地上にあるわが陸、海軍部隊は常に緊密なる共同作戦をもって来襲敵機の撃墜破に赫々たる武勲を樹立したのである。
 二月十六日以降、三月五日までの航空戦日誌を見れば、

△二月十七日 ムンダ上空でグラマン戦闘機四機撃墜
△二月十九日 コロンバンガラ付近で戦闘兼爆撃機二機撃墜 コンソリデーテッドPBY一機撃墜
△二月二十日 ムンダ上空で爆撃機八機撃墜 スルニ付近でB25一機、B26一機撃墜
△二月二十一日 ムンダ上空で六機撃墜、アンボン付近でB24二機撃墜
△二月二十三日 トアール上空(アンボン付近)で双発一機撃墜
△二月二十四日 ラバウル付近でB17型一機撃破 ムンダ付近で四機撃墜、一機撃破
△二月二十五日 コロンバンガラ付近で戦闘兼爆撃機十二機撃墜
△二月二十六日 ムンダ上空で爆撃機六機撃墜
△二月二十七日 ムンダ付近でグラマン戦闘機四機撃墜
△三月二日 ラエ付近で爆撃機二機撃墜、P38型二機撃墜、一機撃破、同戦闘において我が方二機自爆及び未帰還、ラッセル島上空(ガダルカナル島付近)で双発爆撃機一機撃墜、七機撃破、ニューギニア島付近で二十五機撃墜、空中戦において我が方五機自爆及び未帰還
△三月三日 ニュージョージア島付近でグラマン戦闘機二機撃墜

 このように航空機による激闘が、今日も明日も行われている。敵艦艇部隊の逼塞とともに彼我航空戦の様相はいよいよ激化しつつある。
 その当然の帰結として、敵に比し必ずしも大なりとは言えぬわが航空部隊にも尊き犠牲を伴っている。
 この損害は直ちに補充され、増強されなければならない。一機でも多くの飛行機は前線将兵の戦闘を容易ならしめ、また、尊い犠牲を減ぜしめ得る有力な因をなすものであることを、一億国民は銘記すべきである。
(日誌にある三月二日の激戦であるが、後世で言うところのビスマルク海海戦が行われたためである。これは連合軍のラエ進攻に備えての増強輸送作戦「八一作戦」による駆逐艦8、輸送船8の輸送船団が米航空部隊に襲撃されたものである。このとき日本側もラバウルから零戦90機の護衛部隊を投入していたが、米軍側はそれを上回る数の襲撃部隊を繰り出し、結局駆逐艦4隻と輸送船全部が沈められてしまったのである。ちなみに米軍側の公式発表ではこのときの米側被害は爆撃機六機のみである。また、同日に海軍航空隊はブナ、ポートモレスビーの爆撃を予定していたが悪天候のため作戦は中止された。)
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ニューギニア島東部

オロ湾を急襲

 西南太平洋方面のわが海軍航空部隊はいよいよ増強され、矢継ぎ早にソロモン群島、あるいはニューギニア周辺の敵基地に対し積極的攻勢に出でて大爆撃を加えている。
 3月28日の白昼、ニューギニア島の補給路として最も重要視されるブナ付近にあるオロ湾を海軍航空部隊は強襲大爆撃を敢行した。
 旺盛なる攻撃精神に燃ゆるわが航空部隊が同港上空に殺到すると、敵三十機が挑戦し来った。
 白雲乱れる青空で壮絶なる空中戦を展開、たちまちにして敵十九機を撃墜すると同時に、同港に碇泊中の八千トン級輸送船一隻、駆逐艦一隻、哨戒艇一隻を爆撃して撃沈、折柄、郊外に航行している五千トン級輸送船を認めるや、この船の上に殺到して命中弾を浴びせて海底に葬ったのである。
 この強襲に際して我が方も自爆一機、未帰還二機の尊き犠牲を生じた。
 かくて、四月十一日のオロ湾爆撃、翌十二日ポート・モレスビーの強襲において敵機六十余機を撃墜し、艦船五隻を撃沈し、軍事施設を粉砕する大戦果を挙げたのである。

 四月十一日の朝である。爽やかな暁の風をついて戦闘機、攻撃機の大編隊が堂々と基地を出撃した。帽をふる兵隊とともに、黒板の色に近いほど真っ黒なパプア人の群がさかんに手を振った。六機八機と飛び立つ機上から搭乗員達は、見送りに応えて正しく挙手の礼をした。
 昨日も、今日も、明日も巨翼は羽ばたいてニューギニアへ、広袤極まりない海原を乗り越え、乗り越えて敵地に殺到する航空部員の逞しい姿に見送る兵も、パプア人もただ感激するのみである。
 堂々たる大編隊は行く、出撃して十分も過ぎると、もう空はちぎれ雲の密集だ、蜿蜒とつづく椰子の密林が、相も変わらぬ南方風景を繰り広げる。祖国は桜咲く麗春だというのに、来る日も、来る日も、暑さと、椰子と、密林と−−南方の風物は単調だなぁと搭乗員はつくづく思う。
 間もなく、先行の偵察機が進撃の可能である旨を報せてくれる、全員に喜色が張った。
 重畳たる山々が見えはじめる、高度○○米、防暑服の上に飛行服を着る。見渡すと、指揮官機を先頭に整然たる編隊を組む航空部隊の頼もしさ、あの機にも、この機にも腹に抱える爆弾が行儀良くならんでいる。その機体を越えて左手に海が見える、朝光に映えて鏡のように和んだ海だ。
 薄い層雲に遮られた太陽が顔を出し、また姿を消す。やがて、嶮岨な山々が見えだした。ニューギニアには富士、新高を遙かに凌駕する山がそびえている。海の強者にとって山の姿は新鮮だった。山々につつまれて、所々にひっそりと湖水があった。雲の影を宿して何か神秘的である。
 雲の群がむくむくと湧いた。遠くから見ると眼の前いっぱいに立ちふさがったような雲の群も近づくと隙間はあるものだ。指揮官機の誘導により編隊は巧みにそれを乗り切る、それにしても白雲背景とする編隊の美しさ、大きな日の丸が夢のように真っ赤に浮き出て、目にしみるほどの鮮やかさである。
 編隊は、オロ湾近くから海上に出た。
 空と海に溢れるゆたかな、すばらしい光と色調、そして多くの影、影は海の表面を光る編隊の機影だ。その機影を淡い五彩の輪がうっすらと取り巻き、王冠のごとくきらびやかに、白金のメダルにも似て爛々と光り輝きつつ、機とともに走る、その光の輪を航空部隊員は「飛行機虹」と名付けているが波上の虹は今日も愛機と行をともにする。
 「左に白い航跡らしい条」
 指揮官は急いで双眼鏡をとりあげた。瞳をこらすと、左舷六十度の方向に真っ白い航跡数条、浅黄色の海に鮮やかに縞模様を描いているのが映った。駆逐艦に護衛された敵の輸送船だ。敵艦船は迫る危機も知らずいまや翼下に惜しげなく全裸のまま船列をさらけ出したのである。指揮官機はいち早く差針し、船列めざして真一文字に接敵した。続く編隊もぐんぐん高度を下げながら接敵した。
 敵は慌てて射ちはじめた。直衛駆逐艦も全ての砲口を空に向けた。パッ、パッと高角砲が炸裂する。一番隊がその弾幕を突き破って船列上空に肉薄する。胴体から巨弾が離れた、駆逐艦から火柱が突っ立った。と、どす黒い猛煙がたちまち火柱を包んでスピードを落とす。巨弾は敵船にも命中する、船尾の命中弾が舵を砕いたのであろう、黄色い液体を航跡に溶かしながらくるくる回りはじめた。銛を打ち込まれた手負いの巨鯨が海を鮮血に染めて、のたうつにも似て凄惨極まりない苦悶の形相だ、と、突然爆発、そのままするすると海中に吸い込まれた。つづく攻撃は輸送船一隻を沈没せしめた。
 この幸先よき戦果に勇躍して、大編隊は翼を返してオロ湾を急襲、碇泊中の輸送船一隻を撃沈し、岸壁に繋留中の数隻の小艦艇にも損害を与えた。
 わが急襲に驚いた敵機はあわてて空に舞い上がって挑戦してきた。これぞ、戦闘機の獲物である。友軍の戦闘機が、断雲を縫って征矢のように近づいた、たちまち壮絶なる空中戦を展開した。わが猛攻に敵のグラマン、P38、P40などの戦闘機が燃えつつ、白い尾を曳いて二十一機も墜落した。
 しかし、我が方にも自爆及び未帰還の尊い六機を出したのである。
(この作戦は「い号作戦」と呼ばれ、空母搭載機をラバウル周辺の陸上基地へ集結させ、その全兵力を持ってソロモン・ニューギニア方面の連合軍を撃破しようとしたものである。四月十一日の攻撃はその一環の「Y2攻撃」と呼ばれるもので、零戦72機と九九艦爆21機が参加した。輸送船1隻撃沈、同1隻大破、掃海艇1隻撃破という戦果を挙げたが、零戦2と九九艦爆4の未帰還機を出している。)
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モレスビーの空中戦

 翌四月十二日、ポート・モレスビーに対する帝国海軍航空部隊の強襲は、昼間に堂々と決行された。
 ポート・モレスビーの街が飛行機の右手に飛び込んできた、町と言っても熱帯の島々で見慣れた町と同じように単調だ。前面に広がる港内に七千t級の輸送船が浮かんでいる、敵艦らしい影は一隻も見あたらない。
 ブツ、ブツと緩慢な高角砲の黒煙が空に湧いてきた。編隊は悠々と今日の目標である飛行場に進路を向ける。
 小癪にも敵機は続々と舞い上がって邀撃挑戦し来った。
 「突っ込め!」
 わが戦闘機が殺到していく、まるで急流を遡る鮎のように溌剌と、銀鱗の閃きに似た光を碧空に放ちながら突撃していった。たちまち敵機と戦闘に移る、高角砲弾の炸裂する敵の上空における凄絶な空中戦である。
 各射手の銃口が火を吹く、敵機の銃口も火を吹く、機銃が狂ったように弾丸を浴びせかけてくる。彼我の赤い曳光弾が音もなく花火のように斬りむすぶ。そして、その射線をはずすための急激な回避運動、降下運動、彼我入り乱れて広い空間に乱舞する。
 火を吐く敵機、炎の塊となって急降下する敵機、そのなかに壮烈なる自爆を遂げる味方機もあった。
 壮絶なる死闘で敵戦闘機は二十八機も撃墜したのである。
 攻撃機は果敢な攻撃に移った。港内の輸送船に、軍需品倉庫、燃料庫に爆弾は命中する、弾着は的確だ。たちまち、物凄い爆音と共に火薬庫が大爆発した。
 指揮官機は、翼を反して飛行場東方の約四十数棟の敵兵舎に襲いかかって、爆弾を投下した。つづく各機も猛烈な爆弾投下、強烈な閃光と共に兵舎が爆発した。むくむくと湧き立つ黒煙、四十数棟の兵舎がみるみる猛煙と火炎の中にのたうちはじめた。
 別の攻撃隊は敵飛行場を急襲した。大型機があわてて飛びだしてきた。編隊の前方を斜め左上に突っ切って反転するかと見る間に健気にも襲いかかる姿勢を見せた。編隊の機銃が火を吐いた。と、敵機はもろくも炎と化して落ちていった。
 地上にずらりと並んだ敵機が目標だ、一斉に銃撃弾を浴びせかけると、翼を焼かれ機体を突き刺されてお行儀よく次ぐ次に火炎に包まれて、今は、舞い上がる敵機すらなく、僅か○分ののちには敵基地上空と飛行場を覆い尽くす黒煙が北東の風に濛々と流れるのみである。
 戦い終わって機首を基地へ−−指揮官機から基地に無電が打たれた。
 「全弾敵基地に命中、敵船舶一隻撃沈、敵戦闘機二十八機を撃墜せり」
 そのあとで、
 「我が方また自爆五機」
 と、無電を打つ電信員の頬には涙が流れていた。
 この二日間にわたる大戦果は左の如く発表された。
大本営発表(昭和十八年四月十三日十六時三十分)
 一、帝国海軍航空部隊は四月十一日ニューギニア、オロ湾方面の敵艦船及び航空機群を攻撃し、輸送船三隻、駆逐艦一隻を撃沈、戦闘機二十一機を撃墜、小艦艇数隻に相当の損害を与えたり、我が方の損害自爆及び未帰還六機
 二、帝国海軍航空部隊は四月十二日ポート・モレスビーの敵飛行場及び船舶を攻撃せり、戦果及び我が方の損害左の如し
 戦果   撃沈 輸送船一隻  撃墜 二十八機  地上撃破 大型機数機 小型機十数機
      地上爆破 軍事施設数カ所  撃砕 兵舎二十数棟
 我が方の損害  自爆五機

(実際の「い号作戦」での戦果・損害であるが、四月七日のガダルカナル急襲(X攻撃)では零戦157機と九九艦爆67機が参加し、米駆逐艦「アーロンワード」、コルベット艦1隻、タンカー1隻を撃沈、また米軍機7機を撃墜した。しかし零戦12機と九九艦爆12機を失っている。四月十一日のオロ湾強襲については前出のとおりであるためここでは省略する。そして四月十二日のポート・モレスビー強襲(Y攻撃)では零戦131機と一式陸攻44機が投入され、地上施設(飛行場)に多大な損害を与えたが敵航空機は地上撃破19機、撃墜2機にとどまった。なお、日本側の被害は零戦2機、一式陸攻6機であった。なお、この戦記では触れられていないが翌4月13日に「い号作戦」の締めとなるミルン湾攻撃が行われており、零戦131機、一式陸攻37機、九九艦爆23機が参加し、輸送船1隻撃沈、同1隻大破、敵機3機撃墜という戦果を挙げている。日本側の損害は零戦1機、一式陸攻3機、九九艦爆3機が未帰還となった。しかし、「い号作戦」最大の日本側の損害は作戦終了後の四月十八日に、視察のためブインへ飛行中だった連合艦隊長官山本五十六大将の搭乗する機体が米軍機に撃墜され、山本大将が戦死したことであろう。)
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