砲艦「箱根」

 昭和20年4月
 朝靄の中を3ノットで進む砲艦「箱根」

 深夜直明けで疲れの見える水兵が艦首にある主砲(といっても口径7.6センチの高角砲だが)に寄りかかって欠伸を している。その横に、やはり疲れた顔をしてしゃがみ込んでいる水兵の姿も見える。
 「ふぁ〜っ、徹夜明けは辛いやねぇ。あと深夜直を2日も続けなきゃならんとはなぁ」
 砲に寄りかかった水兵が同僚に声をかけた。
 「まぁ、そう言うなよ。あと1時間程でお役ご免だ。朝飯かっこんだら午後までは寝てて良いんだからさ」
 しゃがみ込んだ水兵は同僚をなだめているようだ。
 「しっかし、深夜直とはいえ各砲に二人ずつも張り付けるかよ。どうせ中国軍の奴らなんかに帝国海軍へ手出しできる はず無ぇんだよ」
 「ま、そう言うなよ」
 どうやら彼らは勤務体系に不満があるようだ。

 あと少しで勤務明けという最も緊張が無くなる時間帯だけあって彼らもゆるみきっている。そこへ艦尾の方向から声が かかった。
 「こらっ、貴様ら!しゃんとせんかっ!!」
 一瞬で直立不動の姿勢を取る水兵二人。
 「はっ、おはようございます、砲術長」
 しゃがみ込んでいた水兵が声の主に挨拶する。どうやら彼の方が同僚よりも機転が利くようだ。
 初老の域に達していると思われる砲術長は彼の挨拶を無視し小言を述べる。
 「勤務中は気を抜くな。貴様らの扱う砲は戦艦に比べれば豆鉄砲かもしれんが、オモチャでは無いんだぞ」
 「はっ、肝に銘じるであります」
 自分の父親程も年の離れた砲術長に向かい敬礼で答える水兵。砲術長は毒気を抜かれたのか口の中でブツブツと小言を 繰り返しながら船室へと戻っていった。

 「ふう……驚いたな。あのオッサン、意外と早起きだな」
 「しかし、あの歳なのにまだ大尉なんだろ。きっと小言ばかりで使えねぇオッサンなんだよ」
 砲術長の悪口を言い合い、怒られたことに対して溜飲を下げる水兵達。
 どの戦線においても日本軍は破滅へ向かっている状況であったが、今朝も中国大陸の大河川は一応平和であった。



 また夜がやってきた。黒々とした水が逆巻く川面は広い河川の幅と相まってどこまでも続くように見える。
 「やっぱ、深夜直はやだね。まだ明日も深夜直だぜ」
 「おまえ、今朝もそんなこと言ってなかったか?」
 深夜直担当の両水兵も勤務に就いたようだ。上海を出て河川を遡上しはじめてからもう3週間が経過している。そろそ ろ根拠地である上海が懐かしく思えてくるのであろうか。
 「で、艦長はどうした。なんでも昼間にランチで陸(おか)に上がったって話じゃねぇか」
 「なんでも陸さんとの作戦会議らしいぞ。明日の朝、また戻ってくるんだとよ」
 「ってことは、今、艦(うち)の最先任は砲術長のオッサンってことか?あのオッサンに指揮ができるのかよ」
 「今も艦橋で小言を言ってるのかもな」
 いつの時代も上司への悪口は一服の清涼剤らしい。

 「ん?向こう岸で何か光ったぞ」
 何かに気づいた水兵が同僚に伝える。マストの上にいる見張兵も気が付いたようで、艦橋に向かって大声で報告している ようだ。
 シャシャシャシャ〜ッ。
 何かが風を切って飛ぶような音がしたかと思うと、ズバーンという轟音と共に艦尾の十数メートル横へ水柱が立ち上る。
 「敵襲〜〜っ!!!!」
 一斉に艦内があわただしくなる。伝声管から砲術長の声が聞こえてきた。
 「各主砲とも右舷の光源を照準せよ、弾種は榴弾!!」
 水兵達は冷や汗をかきながら砲をまわし、砲弾を込める。
 「なんだなんだ、中国軍の野郎ホントに撃ってきやがったのか!?」
 中国軍は手出しできないはずとたかをくくっていた水兵は青ざめた顔で砲尾栓を閉じた。
 「光源を狙えって言っても、敵が発砲しないと光源なんて見えないんだ…よっと」
 もう一人の水兵はハンドルを回して砲を回転させる。軍用艦艇の主砲としては最も小型と言っても良い主砲ではあるが、 陸軍の野砲が何十人もの手を必要とするのに比べ、艦艇の砲はとりあえず数名居れば射撃は可能だ。
 ピカッ。対岸でまた一瞬だけ光がきらめく。
 「敵、第二射発砲!」
 見張兵がマストの上から絶叫する。
 「畜生、中国兵のヤツは夜目が利くのか?こっちからは全く見えんぞ」
 砲を操作する水兵が毒づきつつ、先ほどの光の方向へ砲の照準を微調整する。
 シャシャシャシャ〜ッ。
 敵弾の迫り来る音に恐怖をおぼえていると、伝声管から砲術長の一声が聞こえてきた。
 「発射(テ)ッ!」
 射撃指示と同時に砲火を開く。
 ズドン。力強い砲声が響く。さぁ反撃の狼煙だと思った矢先、
 ズガーン!。足下が立っていられないほど動揺した。
 「機関室被弾!船足止まります!!」
 せっぱ詰まった誰かの声がする。艦尾方向では火災も発生しているようだ。
 伝声管も途切れたのか、砲術長の声もしなくなっている。

 どれほどの時間が過ぎたのか?五分?一時間?半ば放心状態に陥っていた艦首砲の水兵は艦橋を覆い尽くそうとする煙の中から 誰かが歩み出てくるのを見た。
 「貴様ら、まだ残っていたのか。総員退艦だ!早く飛び込め!!」
 そう怒鳴ったのは砲術長であった。伝声管が途切れたため艦首砲へ退艦命令が届いてなかったのだ。
 ギクシャクとした動きで川面に飛びこもうとする水兵の目に、砲弾を持ち上げ砲尾に込めようとしている砲術長の姿が映る。
 「砲術長!早く逃げましょう」
 声をかけるが、砲術長は唇の端をゆがめ
 「一発かまして逃げるから、貴様は先に行け」
 と言い切り、ためらっている水兵を川へ突き飛ばした。
 「うわっ」
 ドボンと川へ落ちた水兵は、若干パニックに陥りながらも暗い水中をもがき進む。そして川面から頭を出した水兵が見たものは 直撃弾を受け炎の中に消えていく艦首砲であった……


 朝日が昇ってきた。脱出し生き延びた乗員達は川岸で濡れ鼠のまま川面を眺めている。そこへ陸軍の自動車が近づいてきた。
 乗っていたのは昨日会議のため艦を降りていた艦長であった。
 生き残った乗員の中で最先任の下士官が艦長へ報告を行っている。
 「砲術長をはじめ戦死25名、生存者のうち負傷者12名。他異常なし」
 艦首砲の水兵は、その報告を聞くとも無しに聞いて『兵隊言葉ってのは変なもんだ。船が沈もうが人が死のうが、すべては異常 なしときた』などと考えていた。
 艦長は下士官と二言三言言葉を交わすと、岸辺に座り込んでいる水兵の元へ歩いてきた。
 水兵はノロノロと立ち上がると、艦長へ向かい敬礼を行う。
 艦長は答礼を返し「ヤスメ」と言ったあと、少しためらってから彼に尋ねた。
 「貴様が砲術長の最期を見届けたそうだな」
 水兵は自分を川に落とし砲撃を続けようとしていた砲術長の姿を艦長に伝えた。
 「そうか……ヤツとは海兵の同期だったんだ。同期の鉄砲屋(砲術士官)のうちでもヤツは出世頭でな」
 そう言って瞑目する艦長に、水兵は疑問を抱いて質問した。
 「出世頭…あのオッサ……もとい、砲術長がですか?」
 「そうか、オッサンか。ヤツは小言が多くて水兵には嫌われていたようだな」
 苦笑する艦長を前に、水兵は気まずい思いをする。
 「オイ、砲術長の前の任地(乗艦)を知っているか?」
 目を泳がせる水兵に艦長は質問する。
 「はぁ、自分は存じません。砲術長とは個人的に会話したことがありませんので」
 「そうか。ヤツは此処へ来る前は陸奥の砲術長をしていたんだ。陸奥は知ってるよな」
 「はっ、連合艦隊が誇る戦艦であります……って、そんな大戦艦の砲術長をされてたんですか!?」
 「そうだ。だが陸奥最後の砲術長でもあったわけだ。陸奥が爆沈したことは知っておるか」
 「噂程度には……」
 遠い目をして艦長は言葉を続ける
 「ヤツは部下に対して怒ると言うことを知らない男だった。だから結構部下達は好き勝手なことをやっていたようだ。陸奥の事故も 断定こそされていないが、砲塔内での飲酒が原因とも言われておる。ヤツはその責任を取って左遷されたんだよ」
 「砲術長が怒らない人だったんですか?我々にはいつも小言ばかり言ってましたが」
 「だからだよ。怒り方を知らなかったから、細かいことでも何でも小言を言うようになったんだろう」
 黙り込んだ水兵を余所に艦長はタバコに火を付ける。紫煙をはき出しながら
 「これでオレも艦を沈めた艦長様だ……ヤツのように死に場所を見つけられれば良いんだがな」
 とつぶやいた横顔に、水兵は何も言えずに目をそらすだけであった。


砲艦「箱根」
 今回登場の砲艦「箱根」は実在しません。太平洋戦争で戦没した河川用砲艦ってのが存在しないので、 さすがに実在の艦を小説中とは言え沈没させられなかったんです。ということで架空艦を作っちゃいました。 一応基本設定としては砲艦「鳥羽」の2 番艦ということになってます。
 
(想定スペック)基準排水量:215t、全長55m、乗員60名

 頭の片隅に思い浮かんだ簡単なネタだけを頼りに、一気に書き上げました。
 話のつながりや場面描写が全然全く駄目ですが、手直しする気力も起きませんので


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