三八式小銃(九七式狙撃銃)

 「!」
 俺は気配を感じて目を覚ました。
 昨日から隠れ場所にしている暗闇の中から這い出した俺は、雑嚢から取り出した私物の単眼鏡を覗き込み眼下に見える 小さな集落を見つめた。
 二日前までは俺が所属している中隊の司令部があった集落に動き回る兵隊が見える。単眼鏡に飛び込んできた兵隊達は どう見ても日本人には見えなかった。
 「アメ公の斥候だな……」
 どうせ集落中を探したって猫一匹見つかるわけではないことを知っている俺はそうつぶやいて、また暗闇の中へ這い戻 った。斥候が戻れば次に前進してくるのは敵の前衛だろう。それまでもう一度装備を手入れする時間ぐらいは取れるだろ うから……

 俺が隠れ場所にしているのは小高い丘の上にある土マンジュウの中だ。地元出身の軍属に聞いた話では土地の有力者の 先祖代々の墓らしい。なんと呼ぶのかは忘れたがこのあたりでは子宮をかたどった土マンジュウみたいな墓を造るの が伝統だそうだ。
 下の集落からは木々が邪魔して見えにくい位置にあるし、ここまで上ってくる道も地元民でないと判りづらいほどの小 径だから、敵に見つからずに隠れておくにはもってこいの場所だ。
 墓の持ち主には悪いが漆喰で固められていた入り口を壊して中に入らせて貰ってるわけだ。南国特有の蒸し暑い気候で も墓の中ではひんやりとしており、すごしやすい。

 俺が中隊長から直々に命令を受けたのは二日前に中隊が後方へ『転進』する直前のことだった。アメ公が上陸してから というもの浮き足立っていた中隊長は一刻も早くこの場所を立ち去りたい様子で俺に命令を伝えた。
 「軍曹、貴様の腕を見込んでの任務だ。この地に留まり我々中隊が後方にて体制を整える為の時間を稼いで欲しい。」
 『〜して欲しい』と嘆願調ではあったが、帝国陸軍では上官の命令は絶対だ。要は俺一人でこの地を通過する敵を足止 めしろと言うことらしい。つまりは俺に死ねと言うことだ。
 狙撃兵として選抜されてから、いつかは最前線で死ぬという予感はあったものの、いざその時が来てみると意外と冷静 な自分に驚いた。
 これ以上司令部に留まっていても仕方がない俺は、世話になった連中に別れを告げると前々から目を付けていた丘の上 の墓に潜り込んだというわけだ。

 今、俺の手元にある武器は数少ない。俺が狙撃兵に選抜されてからずっと生死を共にしてきた九七式狙撃銃と弾薬が1 20発。行軍のときには重くて邪魔だった弾薬盒だが、いざ補給のない状態に置かれてみると120発という弾数はいかに も心細い。他には『万が一の時』に使えと渡された手榴弾が一つ。塹壕掘りでなまくらになった銃剣。それだけがこの地 を死守するための全兵力だ。
 銃工兵が名人芸とも言える技術で調整しないと役に立たない三八式小銃だが、命中精度は高い。その三八式小銃のうち から特に命中精度の高い銃に照準眼鏡を取り付けた九七式狙撃銃は今では俺の身体の一部と言っても可笑しくないほど馴 染んでしまっている。
 小銃を抱え暗闇の中に座り込んだ俺は昔のことを思い出していた。

 俺が兵隊になったのは5年ほど前だった。農家の4人兄弟の末っ子として暮らしていた俺は、地元の連隊に召集された。 当時は大陸で戦争が行われていたものの、内地はまだ平和であった。しかし、出来の良かった一番上の兄は海軍士官とし て軍艦に乗り組んでいたし、二番目の兄は大陸で戦闘中に行方不明となっていたため年老いた親父を支えて農作業をする のが三番目の兄と俺の仕事だった。
 俺が徴兵年齢に達し、陸軍へ召集されることが決まったとき三番目の兄は家のことは心配するなと言ってくれた。
 兄も昨年徴兵されていた海軍から満期除隊したばかりであり、いざ戦争となれば再招集されるであろうはずなのにだ。 そんな兄に感謝しつつ、俺は連隊の営門をくぐった。

 連隊で初めて小銃を握ったとき、射撃というものが俺の性に合っていることに驚いた。初年兵教育係の軍曹が言うとお りに的を狙い、『寒夜に霜の降るごとく』ジワリと引き金を引く。甲高い発射音と共に銃口から銃弾が飛び出し、銃尾を 押しつけた肩に心地よい反動が伝わる。今までに経験したことのない感覚に俺は鳥肌の立つ思いであった。
 中隊対抗の射撃競技で二年兵に混じって中隊代表に選抜された俺は、見事連隊で二位の成績を収めた。おかげでそれま でイジメ同然のシゴキを加えていた二年兵達も俺には一目置くようになった。
 俺が二年兵になり一等兵に階級が上がった直後、英米と開戦。大東亜戦争が始まった。連隊は南方へ回される精鋭部隊 に替わって満州国境を固めるため、船に乗って大陸へ渡ることになった。

 そのとき中隊付きの狙撃兵に選抜された俺に手渡されたのが、今も手元にある九七式狙撃銃だった。
 連隊の銃工中隊でも最古参で『銃工の神様』とまで言われていた曹長が
 「俺が扱った銃の中でも5本の指に入るぐらいの『当たり』だ。これに匹敵するヤツはそうそう手に入らんから大事に しろ。」
 と、言って手渡してくれた。可動部に機械油を注されて、銃口から覗くとクロムメッキされた銃身内の線条がピカピカ 光っていた。潮風にやられないように油紙を巻き、その上からサラシを巻いた銃を持った兵隊達は船から鉄道を乗り継ぎ 満州国境へとたどり着き、そこで防備を固めた。敵対する中国兵が越境し散発的に攻撃を行っているとのことだった。

 俺が初めて人を撃ったのは、昭和17年の春だった。国境沿いで夜間守備に就いているときに、隣に待機していた同年 兵が前方に怪しい動きを見つけた。こいつは夜目が利くらしく、狙撃兵である俺と組まされて最前線に配置されていた。
 「おい、前方の大きな岩が見えるか。あそこで人影が動いていた。中国兵かもしれんから気をつけろ。」
 そう、ささやかれた俺は銃を構え、照準眼鏡を覗いた。九七式狙撃銃に取り付けられている九七式望遠照準器は夜間に は視界が暗くなり狙いにくいが仕方がない。そのとき照準眼鏡に綿入れを着た中国兵らしき姿が写った。
 「いたぞ。たぶん中国兵だ…」
 俺は照準眼鏡を覗いたまま隣にいる同年兵にささやくと、小銃の安全装置を外した。俺達最前線の狙撃兵に伝えられて いた命令は簡潔な、『越境してくるものは射殺せよ』だったので俺は躊躇い無く引き金を引いた。
 銃声が轟き、照準眼鏡に写っていた中国兵が照準内から消えた。俺は訓練されたおかげで身に付いていたとおり無意識 のうちに槓桿を操作し次弾を機関部へ送り込んでいた。
 「おっ、命中だ。…他に動きは無いみたいだな。」
 祭の射的屋のオヤジよりも熱のこもらない声で同年兵がささやいた。俺は人を殺すと言うことが、あまりにも簡単なこ とに拍子抜けしていた。
 翌朝、偵察に出た分隊の奴らに聞いた話では岩陰にいたのはやはり中国兵だったらしく、脳天に一発浴びせた俺の腕前 を分隊長はしきりに褒めていた。

 中隊狙撃兵の中で最優秀だと周りから言われるようになった俺は、兵役が明けても戦争が続く限り除隊できそうになか ったので職業軍人として軍に残ることを選択した。上官もその選択には喜んだようで、俺の階級は兵長に格上げされた。
 大陸ではドンパチの修羅場に叩き込まれることは無かったが、常に最前線で敵兵を狙い撃っていた俺は何度か死ぬよう な目にもあった。中国軍のチェッコ機銃に追い回されたり青龍刀を携えた夜襲隊の訪問を受けたり…しかし運良く死神の 手には捕まらずに済んだ。

 昭和19年末に俺達の連隊は本土へ戻ることになった。死んだ兵隊の補充として本土から送られて来ていた新兵達は喜 んでいたが、古参兵は『どうせ、次の戦場へ回されるんだ』と達観しているところがあった。
 中隊付きの狙撃小隊軍曹になっていた俺は、司令部の知り合いから『どうも、沖縄へ回されるらしい』との情報を仕入 れていた。『寒い満州から南国の地沖縄へとはご苦労なことで』というのが俺の素直な思いだった。
 ところが、部隊が沖縄へ到着して間もなくアメ公の矛先が沖縄へ向けられ、4月に入ってからすぐに沖縄本島へアメ公が上陸 してきた。在沖縄陸軍部隊による総攻撃も失敗に終わり、徹底抗戦が叫ばれるなか残り少なくなった部隊は後方へ後方へと 追いつめられていった。そして、もう後がないわが中隊も最後の体制を整えるために俺を残して『転進』を行ったのだ。

 遠くから地響きが聞こえてくる。どうやらアメ公の本隊が近づいてきているようだ。前衛部隊ではなく本隊がそのまま 前進してくるとは、この付近で日本軍の抵抗は無いと踏んだらしい。
 「…さて、と…」
 俺は墓の中から這い出して、土マンジュウの陰に伏せた。手持ちの弾数は120発。これを全部使い切るまでは敵の弾に やられないと妄執めいた確信が俺にはあった。行軍のときには背中側につけておく60発入りの弾薬盒を外して傍らに置き 銃を構えて待った。…見えた。トラックに乗った兵隊連中や、小型自動車(確か司令部付きの運転兵が『ジープ』と呼んでいた やつだ)に乗った指揮官などが目に入った。もちろん最初に狙うのは大将首だ。
 司令官だと思われるベタ金の階級章をつけたヤツに照準をつける。星二つを描いた鉄兜を被り、黒眼鏡をかけて煙草をくわえ た姿で乗用車の後部席に立ち上がり、周りを見回している。
 「へっ、お高くとまりやがって…」
 指揮官の頭に狙いを付けたまま、俺は引き金に指をかけた。
 『そういや、親父…田植えは終わったのかな…』引き金を引く前にふと思ったのは、こんな事だった。



三八式小銃(九七式狙撃銃)
九七式狙撃銃
 明治39年(1906年)に制式化された(完成は明治38年のため三八式と名付けられた)小銃で、日本陸海軍を代表する主力小銃である。シベリア出兵のころから太平洋戦争全期間に渡って使用された。
 使用する弾薬は直径6.5ミリの三八式小銃実包で、他国の使用弾薬に比べると威力は落ちるものの、命中精度は優れていた。
 工作技術の不足から、量産品にもかかわらず一丁一丁微調整が必要であったと言われ、同型の銃でも部品の互換性が少なかったようだ。
 昭和15年(1940年)に九九式小銃が制式採用された後も、多数の部隊で使用されている。
 製造された銃のうち、特に命中精度の高かったものに九七式望遠照準器をつけたものを九七式狙撃銃として使用していた。
 
全長:127.5センチ 銃身長79.7センチ 重量:4.45キロ 装弾数:5発

と、いうことでオリジナルストーリー第1弾を発表です。うひゃぁ、駄文駄文(笑)
最初の話と言うことで、日本を代表する三八式小銃を中心に、沖縄戦を絡めて書いてみました。
一昔前のハードボイルド小説風の書き方にしてみましたが、どんなものでしょう?
次作の案は何も固まってませんけど、反響次第で書く予定(偉そう)なので気長く待って下さい。


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