パネー型 砲艦

"Panay" Class (River)Gunboat

アメリカ海軍 アメリカ海軍


USS Panay
砲艦「パネー」(1920年代末頃)
スペックデータ(1930年ごろ)
排水量:(常)450t ボイラー:Thornycroft罐・重油専焼×2基 燃料搭載量:不明
全長:(全)58.25m
全幅:8.56m 主機:三段膨張式レシプロ機関(1,100hp)×2基、2軸推進
吃水:1.60m
出力:2,200hp
武装:
50口径7.6cm単装砲2基
(Oahuは1940年頃に7.7mm軽機関銃8基を追加搭載)
最大速力:15.0kt
航続距離:不明
乗員定数:70名

同型艦名(2隻)
パネー [Panay]オアフ [Oahu] 

パネー型砲艦について

 アメリカ海軍が「グアム」型に続いて建造した河川用砲艦。建造は「グアム」型と同じく上海の江南造船所へ発注されている。船体は一回りほど大きくなり、それにあわせて機関出力も強化されている。
 竣工後の当クラスは、他の河川用砲艦と同様に中国大陸でのアメリカ権益と自国民保護のために行動した。

 「パネー」は、日中戦争が始まり日本軍の進出範囲が広がった1937年11月、南京から大使館員をはじめとする自国民を保護避難させる任務に従事し、12月初旬まで避難活動をおこなった。中立国の艦とはいえ、日中両国の戦闘に巻き込まれる可能性があったため、アメリカ政府は現地の日本陸軍司令部に対し、「パネー」による保護避難活動について連絡をしていたが、日本陸軍から日本海軍へ連絡が伝わっていなかった。1937年(昭和12年)12月11日、海軍攻撃機は『長江を航行する全船舶を攻撃せよ』との命令を受け出撃、最後の避難者を乗せ長江上流を航行中だった「パネー」ほかのアメリカ船を中国船と誤認して攻撃、「パネー」を撃沈する事件となった(パネー号事件)。
 連絡不徹底により中立国の艦船を攻撃・撃沈した本事件は国際問題となったが、日本政府は攻撃は故意では無いとしたものの非を認め、翌年4月に200万ドルの賠償金を支払って公式に解決した。また駐米の日本国大使もアメリカ市民に向けて謝罪のラジオ放送を行っている。日本政府は素早い対応でアメリカの反日感情が高まるのを防ごうとしたが、悪化していた日米関係が改善することはなかった。

 姉妹艦の「オアフ」は対日戦勃発後にフィリピンで行動していたが、1942年5月にコレヒドール島沿岸で戦没している。


パネー型砲艦の歴史
パネー [Panay](PG-45 → PR-5)
1927年上海の江南造船所[Jiangnan Dock and Engineering Works]にて起工(艦番PG-45)
      11月10日進水
1928年艦種類別を河川用砲艦とし、艦番をPR-5へ変更
1928年 9月10日竣工
1930年代アメリカ権益および自国民保護のため揚子江周辺で活動
1937年11月〜南京からの自国民避難のため長江上流にて行動
      12月11日長江上流にて日本軍機の攻撃を受け沈没
オアフ [Oahu](PG-46 → PR-6)
1926年12月18日上海の江南造船所にて起工(艦番PG-46)
1927年11月26日進水
1928年艦種類別を河川用砲艦とし、艦番をPR-6へ変更
1928年10月 8日竣工
1930年代アメリカ権益および自国民保護のため揚子江周辺で活動
1937年12月12日〜パネー号事件に際し、生存者救助と「パネー」引き揚げ作業に従事
1941年11月〜フィリピンへ向け脱出
      12月〜対日戦開戦後は、マニラ湾警備やバターン方面の地上軍支援に従事
1942年 4月〜コレヒドール島沿岸にて地上要塞の支援に従事
       5月 5日コレヒドール島沖にて日本軍と交戦し沈没
       5月 8日除籍


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