エリー型 砲艦

"Erie" Class Gunboat

アメリカ海軍 アメリカ海軍


USS Erie
砲艦「エリー」(1936年)
スペックデータ
排水量:(常)2,000t ボイラー:Babcock & Wilcox罐・重油専焼×2基 燃料搭載量:重油489t
全長:(全)100.13m
全幅:12.57m 主機:Parsons式ギヤード蒸気タービン×2基、2軸推進
吃水:3.45m
出力:6,200hp
武装:
47口径6inch(15.2cm)単装砲4基、75口径1.1inch(28mm)4連装高射機関砲4基
水偵1機搭載(SOC
最大速力:20.0kt
航続距離:12ktで8,000浬
乗員定数:236名

同型艦名(2隻)
エリー [Erie]チャールストン [Charleston] 

エリー型砲艦について

 1930年に締結されたロンドン海軍条約では、列強各国の主力艦艇保有量について制限が課せられるようになった。しかし、アメリカ海軍は条約の抜け道として、その他の艦艇の範疇(排水量2千トン未満、主砲は6インチ以内を4門まで、最高速度は20ノット未満の艦)でカリブ海域にて使用する警備艦の設計を行った。
 当クラスは条約対象外に収まるよう入念に設計が行われており、制限一杯の能力を持った艦だったが、主力艦として配備することはできないため砲艦へ類別されている。これまでのような航洋型砲艦とは異なり、イギリス海軍におけるスループ艦のような任務のほか、上陸支援や掃海任務などにも使用できる万能性を持たされていた。

 就役後の「エリー」はスペイン内戦に際してアメリカ人の保護避難に従事した。第二次大戦前に両艦とも中南米への親善訪問を行っており、開戦後はカリブ海やアリューシャンに分かれて哨戒任務に従事しているが、「エリー」は1942年12月にドイツ潜水艦の雷撃を受け戦没した。終戦まで生き残った「チャールストン」も終戦の翌年には除籍となっている。


エリー型砲艦の歴史
エリー [Erie](PG-50)
1934年12月ニューヨーク海軍工廠[New York Navy Yard]にて起工
1936年 1月29日進水
       7月 1日竣工
      12月〜スペイン内戦勃発に際し、スペインからの米国民避難に従事
1937年 5月〜海軍士官学校の練習任務に従事
1938年 1月〜キューバへ派遣。その後中南米諸国への親善訪問を実施
1939年10月〜第二次大戦勃発に伴い、中南米沿岸で中立パトロールに従事
1941年12月〜米国参戦(太平洋戦争勃発)に伴い、カリブ海の警備に従事
1942年11月12日蘭領キュラソー島近海にて独潜「U-163」の雷撃を受け大破
沈没を避けるためキュラソー島の浜へ乗りあげる
      11月28日キュラソー島ウィレムスタット港へ曳航される
      12月 5日ウィレムスタットにて転覆、沈没
1943年 7月28日除籍
チャールストン [Charleston](PG-51)
1934年10月27日チャールストン海軍工廠[Charleston Navy Yard]にて起工
1936年 2月25日進水
       7月 8日竣工
1938年 4月〜カリブ海の警備任務や中南米諸国の親善訪問を実施
1940年11月〜アラスカ方面へ転属。アリューシャン方面の警備任務に従事
1941年12月〜米国参戦に伴い、アリューシャン方面の警備を強化
1943年 5月アッツ島上陸作戦を支援。対地砲撃などを実施
1945年11月〜戦争終結のため、香港経由で本国西海岸へ帰還
1946年 5月10日退役。海事委員会へ移管
1948年 3月25日マサチューセッツ海事大学へ移管。練習船として使用される
1957年海事委員会へ返還。売却処分となる


検索画面に戻るときはブラウザの「戻る」等の機能を使用してください。 LAST UPDATE 2016,11,26