ペンシルヴァニア型 戦艦

"Pennsylvania" Class BattleShips

アメリカ海軍


USS BB-38 Pennsylvania(改装前)
スペックデータ(竣工時)
排水量:(満)32,440t ボイラー:Babcock&Wilcox罐・重油専焼×12基 燃料搭載量:重油3,870t
全長:(全)185.32m
全幅:29.66m 主機:Curtis式減速ギアタービン×2基、4軸推進(Pennsylvania)
  Parsons式減速ギアタービン×2基、4軸推進(Arizona)
吃水:10.21m
出力:31,500hp
武装:
45口径14inch3連装砲4基、51口径5inch単装砲22基、
50口径3inch単装砲4基、21inch魚雷発射管2門
最大速力:21.0kt
航続距離:12ktで6,070浬
乗員定数:915名
スペックデータ(1942年改装後)
排水量:(満)40,605t ボイラー:Bureau Express罐・重油専焼×1基
   およびWhite-Forster罐・重油専焼×5基(Pennsylvania)
      White-Forster罐・重油専焼×6基(Arizona)
燃料搭載量:重油9,860t
全長:(全)185.32m
全幅:32.38m 主機:Curtis式減速ギアタービン×2基、4軸推進(Pennsylvania)
  Westinghouse式ギヤードタービン×2基、4軸推進(Arizona)
吃水:10.21m
出力:35,200hp
(Arizonaは35,081hp)
武装:
45口径14inch3連装砲4基、38口径5inch連装高角砲8基、
40mmボフォース機関砲10基、20mmエリコン機関砲51門
最大速力:20.8kt
航続距離:18ktで7,310浬
乗員定数:1,300名

同型艦名(2隻)
ペンシルヴァニア[Pennsylvania]アリゾナ[Arizona]

ペンシルヴァニア型戦艦について
 「ネヴァダ」型戦艦で 3連装砲塔を実用化したアメリカ海軍は、更なる火力増強のため全砲塔を3連装とした戦艦の建造に着手 することにした。
 基本的に「ネヴァダ」型の拡大モデルであったが、機関にギヤードタービンを使用しており完全にレシ プロ機関から脱却を果たしている。そのため「ネヴァダ」型に比べ船体が拡大しているものの速度は若干 高くなっている。3連装砲塔を前後に2基ずつ配置したため最大12門もの砲口を敵に向けられる強大な 火力を当艦は持っており、この配置によりバイタルパートも極力抑えることができている。
 第一次大戦では大西洋艦隊旗艦として英国へ派遣する予定もあったのだが、重油不足に苦しむ英国では 重油専用となったアメリカ戦艦を運用する余裕がなかったため、この計画は中止となり船団護衛などの任 務をこなすのみとなっている。
 1920年代末に大改修が行われ、これにより搭載燃料が倍以上に増大し、アメリカ海軍最大の排水量 を持つ艦となった「ペンシルヴァニア」は対日戦開戦まで米国艦隊旗艦を勤めている。
 対日戦では開戦初頭の真珠湾攻撃で被弾し「アリゾナ」は沈没、現在もハワイで記念艦としてその姿を 水面下に沈めた姿で居るが、「ペンシルヴァニア」は自力で本国へ脱出し近代化改修を実施され、以降沖 縄戦まで前線で活躍している。

ペンシルヴァニア型戦艦の歴史
ペンシルヴァニア[Pennsylvania](BB-38)
1913年10月27日ニューポートニューズ造船にて起工
1915年 4月16日進水
1916年 6月12日竣工
1918年〜西大西洋にて船団護衛等に従事
1921年〜アメリカ艦隊旗艦となる
1929年 6月〜兵装や機関等の改修工事を実施。完了は1931年5月
1941年12月 7日真珠湾にて乾ドック入渠中に日本軍の攻撃を受け破損
1942年10月〜修理の後、本土へ回航し近代化改修を実施
1943年 5月アッツ島上陸作戦を支援
      8月キスカ島上陸作戦を支援
     11月ギルバート諸島攻略作戦に参加
1944年 6月〜サイパン、テニアン、クェゼリン等日本軍拠点を砲撃
      9月〜レイテ島攻略作戦を支援
     10月24日スリガオ海峡海戦に参加
1945年 1月リンガエン湾強襲に参加
      8月12日沖縄沖にて日本軍機の攻撃を受け損傷(WW2最後の被弾した戦列艦)
1946年 4月29日除籍
      6月ビキニ環礁において原爆実験の標的艦となる
1948年 2月19日残留放射能研究用としてクェゼリンに係留中損傷。放棄される
アリゾナ[Arizona](BB-39)
1914年 3月16日ニューヨーク海軍工廠にて起工
1915年 6月19日進水
1916年10月17日竣工
1918年〜西大西洋にて船団護衛等に従事
1920年〜中南米諸国を訪問
1929年〜兵装や機関等の改修工事を実施。完了は1931年
1931年 3月フーヴァー大統領のプエルトリコ訪問に警護艦として随行
      8月太平洋艦隊に所属。1940年からハワイを根拠地とする
1941年12月 7日真珠湾において日本軍機の攻撃を受け沈没着底
 再使用可能な兵装等を取り外される
1952年記念艦として使用開始。1962年に国定公園に指定される


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