レキシントン(初代)型 航空母艦

"Lexington(1)" Class Aircraft Carriers

アメリカ海軍


USS CV3 Saratoga
スペックデータ(竣工時:【 】内はSaratogaのデータ)
排水量:(満)43,400t ボイラー:Yarrow罐・重油専焼×16基
     【White-Forster罐・重油専焼×16基】
燃料搭載量:不明
全長:(全)270.66m
全幅:(船)32.31m 主機:General Electric式電気駆動タービン×4基、4軸推進
吃水:7.34m
出力:210,000hp
武装:
55口径8inch連装砲4基、25口径5inch単装高角砲12基【Saratogaは
1942年に砲を全部38口径5inch高角砲(連装5基、単装8基)へ換装】、
航空機80〜90機搭載
最大速力:34.5kt
航続距離:不明
乗員定数:約1,900名 飛行甲板:268.22×27.43m、昇降機2基

同型艦名(2隻)
レキシントン(初代)[Lexington(1)]サラトガ[Saratoga]

レキシントン型航空母艦について
 1916年にJ・ダニエル海軍長官が提唱した海軍増強計画『ダニエルズ・プラン』の中で巡洋戦艦 として計画され1920年代初頭から建造が開始された「レキシントン」「サラトガ」を前身とする米 海軍初の正規空母。1921年に締結されたワシントン海軍条約において戦艦の保有量が制限されたた め両艦の建造は中止することになったが、排水量32,000トン以内という制限内であれば航空母艦 へ改造して保有することが認められたため、建造途中から航空母艦への改造が施された。これは日本海 軍の「天城」型2隻(「天 城」は関東大震災で被災し破棄されたため、代艦として 「加賀」が航空母艦へ改造さ れた)と同じ経緯である。
 アメリカ海軍初の大型正規空母として竣工した両艦だったが、巡洋戦艦としての名残か大きな艦上構 造物(艦橋や煙突)や20センチ連装砲などを持ち、甲板が狭く感じる艦に仕上がっている(全通甲板 やエンクローズド・バウの採用により、実際にはそれほど航空機運用に支障はなかったようだ)。
 日本軍が真珠湾を攻撃した際、「レキシントン」はミッドウェー島への航空機運搬任務の帰路にあり、 ハワイへ向かっていたが、間一髪で被害を免れている。戦争緒戦において両艦は太平洋戦線で日本軍を 相手に丁々発止を繰り返したが、1942年1月11日に「サラトガ」が 「イ−6」潜の 雷撃を受け損傷、同年5月7日には「レキシントン」が珊瑚海海戦にて日本軍艦載機の攻撃により大破、 その後に沈没するという被害を受けている。
 「レキシントン」は戦没してしまったものの「サラトガ」は何度もの日本軍の攻撃による大損害を耐 えきり、終戦まで生き残った。しかし、この歴戦の強者を待っていた運命はビキニ環礁での原爆実験標 的という過酷な最期だったのである(ちなみに、この実験には戦艦 「長門」も標 的艦として使用されている)。

レキシントン型航空母艦の歴史
レキシントン(初代)[Lexington(1)](CC-1/CV-2)
1921年 1月 8日フォアリバー造船にて巡洋戦艦として起工
1922年 7月 1日航空母艦として完成させることが決定
1925年10月 3日進水
1927年12月14日竣工
1928年 4月〜サン・ペドロを母港とし各種訓練や演習に参加
1941年秋演習のためハワイへ進出
     12月初頭航空機運搬のためミッドウェー島へ航海。帰路、ハワイへ向かう
     12月 7日真珠湾を攻撃した日本艦隊を補足するため偵察機を飛ばすが、発見できず
     12月18日ハワイ沖の機動艦隊と合流
     12月27日「サラトガ」と共にハワイへ帰還
1942年 1月11日〜TF11の旗艦としてニューギニア方面の攻撃任務に従事
      3月26日ハワイ真珠湾へ帰還する
      4月15日〜TF17に所属し、珊瑚海方面へ進出
      5月 7日珊瑚海海戦に参加。「翔鶴」「瑞鶴」搭載機の攻撃を受け大破
同日、航空機用ガソリンタンクの引火により大爆発をおこす
      5月 8日駆逐艦「フェルプス」の雷撃により自沈処分される
サラトガ[Saratoga](CC-2/CV-3)
1920年 9月25日ニューヨーク造船にて巡洋戦艦として起工
1922年 7月 1日航空母艦として完成させることが決定
1925年 4月 7日進水
1927年11月16日竣工
1928年 4月〜サン・ペドロを母港とし各種訓練や演習に参加
1941年12月22日日本軍の真珠湾攻撃のため、オーバーホールを切り上げ出港
     12月27日〜ハワイ真珠湾に到着。以降ハワイ近海での作戦任務に従事
1942年 1月11日日潜「イ−6」の雷撃を受け損傷
 ブレマートン海軍工廠にて修理を実施。その際に主砲を対空砲へ換装した
      5月22日戦線へ復帰
      8月 7日ガダルカナル島上陸作戦を支援
      8月23日〜東部ソロモン海戦(日本側呼称:第二次ソロモン海戦)に参加。「龍驤」を大破沈没させる
      8月31日「イ−26」潜の雷撃を受け損傷。曳航されトンガタブへ移動、応急修理を実施
      9月21日ハワイ真珠湾にて本格的な修理工事を実施
     11月10日戦線へ復帰
     12月 5日〜フィジーを拠点にソロモン海方面で作戦に従事
1943年11月 1日ブーゲンビル島上陸作戦を支援
     11月 5日〜ラバウル島空襲に参加
     11月19日〜ナウル攻撃に参加後は輸送任務に従事
     12月 9日〜サンフランシスコにてオーバーホールを実施。完了は翌年1月
1944年 1月 7日戦線へ復帰
      1月29日〜中南洋方面で作戦攻撃に従事
      4月〜インド洋へ展開。英艦隊と合同でスマトラ、スラバヤ攻撃などを実施
      6月10日〜ブレマートン海軍工廠にて整備を実施
      夏頃〜第11航空艦隊に所属し、各種訓練任務に従事
1945年 2月16日〜硫黄島上陸作戦を支援
      2月23日日本軍特攻機の攻撃により損傷。本土へ帰還する
      3月16日〜米本土にて修理を実施。完了は同年5月
      5月22日戦線へ復帰。ハワイ近海にて訓練任務に従事
      9月 6日〜終戦のため訓練任務を解かれ、復員兵輸送任務に従事
1946年 7月 1日ビキニ環礁にて原子爆弾実験の標的艦として使用されるも損傷のみで沈没せず
      7月25日至近距離での原爆実験により沈没。損傷と放射能のため船体は放棄される
      8月15日除籍


検索画面に戻るときはブラウザの「戻る」等の機能を使用してください。 LAST UPDATE 2003,10,02