アトランタ(初代)型 防空軽巡洋艦

"Atlanta" Class Light Anti-Aircraft Cruisers

アメリカ海軍


USS CL51 Atlanta
スペックデータ(【 】内は第2グループ、《 》内は第3グループのデータ)
排水量:(満)8,500t ボイラー:Babcok&Wilcox罐・重油専焼×4基 燃料搭載量:重油1,360t
全長:(全)165.05m
全幅:16.21m 主機:Westinghouse式ギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:8.08m
出力:75,000hp
武装:
38口径5inch連装両用砲8基【同6基】《同6基》、40mmボフォース
機関砲6門【24門】《36門》、20mmエリコン機関砲14門【16門】
《16門》、21inch魚雷4連装発射管2基(一部艦は後に撤去)
最大速力:32.5kt
航続距離:15ktで8,500浬
乗員定数:650名

同型艦名(11隻)
(第1グループ:1938年度計画艦/4隻)
アトランタ(初代)[Atlanta(1)]ジュノー(初代)[Juneau(1)]サン・ディエゴ[San Diego]
サン・ジュアン[San Juan]  
(第2グループ:1940年度計画艦/4隻)
オークランド[Oakland]リノ(2代)[Reno(2)]フリント[Flint]
ツーソン[Tucson]  
(第3グループ:1943年度計画艦/3隻)
ジュノー(2代)[Juneau(2)]スポーケン[Spokane]フレズノ[Fresno]

アトランタ型防空軽巡洋艦について
 駆逐艦部隊を率いる水雷戦隊旗艦や、艦隊に対する敵水雷戦隊の攻撃を防御するという任務が主であった 軽巡洋艦であるが、第二次大戦前になって航空機の発達が著しくなり艦隊防空の重要性が高まってくると、 米英海軍は防空能力を持った軽巡洋艦の建造を行うようになった。英海軍が建造した防空軽巡 「ディド」型より遅れて米海軍が 建造に着手した防空軽巡が当「アトランタ」型である。
 米海軍お得意の平型甲板(上甲板階層が艦首から艦尾まで同じ階層)の船体に、大型艦の対空高角砲と して使用されている5インチ連装両用砲を8基も搭載し、最高速度を増すため細長くなった姿はこれまで の米海軍巡洋艦には見られないスタイルをしている。
 38年度計画の4隻に続き、40年度計画でも4隻の建造が行われたが、40年度計画艦は高速化する 航空機に対応するため砲塔を2基減らし、替わりに発射速度の速い機関砲の増設を行っている。また水雷 戦に重きを置いていなかった米海軍らしく一部の艦は大戦中に水雷装備を撤去しており、43年度計画で 建造された3隻には最初から水雷装備は搭載されなかった(この43年度計画艦は戦後竣工となった)。
 大戦緒戦では日本艦隊との砲撃戦を行い戦没艦を出したものの、中期以降レーダーの発達や日本艦隊の 弱体化により防空任務に専念できるようになると空母を中心とした機動部隊防空の要として重宝された。

アトランタ型防空軽巡洋艦の歴史
アトランタ(初代)[Atlanta(1)](CL-51)
1940年 4月22日フェデラル造船にて起工
1941年 9月 7日進水
     12月24日竣工
1942年 4月〜太平洋戦線へ投入される
      6月 5日〜TF16直衛艦としてミッドウェイ海戦に参加
      8月24日第二次ソロモン海戦(米呼称東部ソロモン海戦)に参加
     11月12日〜第三次ソロモン海戦(米呼称ガダルカナル海戦)に参加。
日戦艦「比叡」の砲弾直撃により大破、翌13日に自沈処分となる
ジュノー(初代)[Juneau(1)](CL-52)
1940年 5月27日フェデラル造船にて起工
1941年10月25日進水
1942年 2月14日竣工
      8月〜太平洋戦線へ投入される
     10月26日TF17直衛艦として南太平洋海戦(米呼称サンタ・クルーズ諸島海戦)に参加
     11月12日〜第三次ソロモン海戦に参加。日本艦隊の砲雷撃を受け戦闘不能となる。
翌13日、戦線離脱中に日潜水艦「イ−26」の雷撃を受け沈没
サン・ディエゴ[San Diego](CL-53/CLAA-53)
1940年 3月27日ベスレヘム・スティール社にて起工
1941年 7月26日進水
1942年 1月12日竣工
      6月〜太平洋戦線へ投入される
     10月26日南太平洋海戦(米呼称サンタ・クルーズ諸島海戦)に参加
     12月〜サン・フランシスコにて改修工事を実施。レーダーや対空機関砲を換装
1943年11月〜TF51直衛艦として戦線に復帰。島嶼攻略戦を支援
1944年 2月〜トラック島、フィリピン、マーカス諸島などへの攻撃を支援
      6月19日〜マリアナ沖海戦(米呼称フィリピン沖海戦)に参加
     10月12日〜台湾沖航空戦を支援
1945年 1月〜日本本土攻撃や硫黄島攻略、沖縄上陸戦に参加
      3月〜大東島砲撃、九州攻撃などに参加
      8月27日占領任務のため東京湾に入港(戦後東京湾に入港した最初の連合軍艦艇となる)
      9月〜復員兵輸送のため米本土へ帰還
1946年11月 4日退役。保管船となる
1949年 3月18日防空軽巡洋艦(CLAA-53)に類別変更
1959年 3月 1日除籍。翌年12月スクラップとして売却される
サン・ジュアン[San Juan](CL-54/CLAA-54)
1940年 5月15日ベスレヘム・スティール社にて起工
1941年 9月 6日進水
1942年 2月28日竣工
      6月〜太平洋戦線へ投入される
      8月 9日第一次ソロモン海戦(米呼称サボ島海戦)に参加
     10月26日南太平洋海戦に参加。日艦爆の爆撃を受け中破
     11月〜シドニーで修理を実施。戦線復帰は同年12月
     12月〜珊瑚海にて空母機動部隊の直衛艦として島嶼攻略を支援
1943年12月〜メアーアイランドにてオーバーホールを実施
1944年 1月〜エニウェトク、ヤップ、マーシャル諸島などの攻略を支援
      6月19日〜マリアナ沖海戦に参加
      7月〜硫黄島、パラオなどの攻略を支援
     11月〜台湾、ルソンへの上陸戦を支援
1945年 3月〜沖縄攻略戦を支援
      8月27日占領任務のため相模湾へ入港
      8月29日戦時捕虜輸送のため東京湾へ入港
     12月〜復員兵輸送任務のため米本土へ帰還
1946年 1月24日モスボール(不活性化)処理が実施される。退役は同年11月9日
1949年 2月28日防空軽巡洋艦(CLAA-54)に類別変更
1959年 3月 1日除籍。61年スクラップとして売却される
オークランド[Oakland](CL-95/CLAA-95)
1941年 7月14日ベスレヘム・スティール社にて起工
1942年10月23日進水
1943年 7月17日竣工
     11月〜太平洋戦線へ投入される
1944年 1月〜クェゼリン、マジュロ、トラックなどへの攻撃を支援
      6月19日マリアナ沖海戦に参加
     10月23日〜比島沖海戦に参加
     11月〜フィリピン攻略を支援
1945年 4月〜沖縄戦、日本本土攻撃を支援
      8月30日〜占領任務のため東京湾へ入港
     10月末〜復員兵輸送任務のため米本土へ帰還
1946年 7月〜砲術練習艦として使用される
1947年 1月〜西太平洋にて練習航海に使用される
1949年 3月18日防空軽巡洋艦(CLAA-95)に類別変更
      7月 1日退役。保管船となる
1959年 3月 1日除籍。同年12月スクラップとして売却される
リノ(2代)[Reno(2)](CL-96/CLAA-96)
1941年 8月 1日ベスレヘム・スティール社にて起工
1942年12月23日進水
1943年12月29日竣工
1944年 4月〜太平洋戦線へ投入される
      5月〜マーカス、ウェーキ、サイパンなどへの攻撃を支援
     10月〜南西諸島、台湾への攻撃を支援
     10月23日〜比島沖海戦に参加
     11月 3日レイテ湾にて日潜水艦「イ−41」の雷撃を受け損傷
1945年 3月〜チャールストンにて修理を実施。完了は同年10月
     11月〜大西洋方面にて復員兵輸送任務に従事
1946年11月 4日退役。保管船となる
1949年 3月18日防空軽巡洋艦(CLAA-96)に類別変更
1959年 3月 1日除籍。62年スクラップとして売却される
フリント[Flint](CL-97/CLAA-97)
1942年10月23日ベスレヘム・スティール社にて起工
1944年 1月25日進水
      8月31日竣工
     12月〜太平洋戦線へ投入される
1945年 1月〜台湾、中国沿岸部、硫黄島への攻撃を支援
      3月〜沖縄、日本本土への攻撃を支援
      9月〜占領任務のため東京湾へ入港
     11月〜復員兵輸送任務のため米本土へ帰還
1947年 5月 6日退役。保管船となる
1949年 3月18日?防空軽巡洋艦(CLAA-97)に類別変更
1959年 3月 1日?除籍。65年スクラップとして売却される
ツーソン[Tucson](CL-98/CLAA-98)
1942年12月23日ベスレヘム・スティール社にて起工
1944年 9月 2日進水
1945年 2月 3日竣工
      6月〜太平洋戦線へ投入される
      7月〜日本本土攻撃を支援
      9月〜占領任務のため日本近海に留まる
     11月〜砲術練習艦として使用される
1947年 3月〜真珠湾を根拠地とし、ハワイ近海や極東方面で任務に従事
1949年 2月 9日モスボール(不活性化)処理が実施される。退役は同年6月11日
      3月18日防空軽巡洋艦(CLAA-98)に類別変更
1966年 6月 1日?除籍。以降は係留試験船として使用され71年にスクラップとして売却される
ジュノー(2代)[Juneau(2)](CL-119/CLAA-119)
1944年 9月15日フェデラル造船にて起工
1945年 7月14日進水
1946年 2月15日竣工
 米東海岸やカリブ海などで訓練任務に従事
1947年 5月〜領土問題で対立するイタリア・ユーゴスラビアを牽制するため地中海へ派遣
1949年 3月18日防空軽巡洋艦(CLAA-119)に類別変更
1950年 4月〜横須賀を母港とし、第5巡洋艦戦隊旗艦となる
      6月〜朝鮮戦争勃発により対馬海峡で哨戒任務に従事
      7月〜朝鮮半島沿岸部で攻撃任務を支援
1953年 5月〜第6艦隊へ転属。地中海方面で任務に従事
1956年 7月23日退役。保管船となる
1959年11月 1日除籍。62年スクラップとして売却される
スポーケン[Spokane](CL-120/CLAA-120/AC-191)
1944年11月15日フェデラル造船にて起工
1945年 9月22日進水
1946年 5月17日竣工
 カリブ海、大西洋などで任務に従事
1949年 3月18日防空軽巡洋艦(CLAA-120)に類別変更
     10月24日モスボール(不活性化)処理が実施される。退役は翌年2月27日
1966年 4月 1日特務巡洋艦(AC-191)に類別変更
1972年 4月15日除籍。翌年5月スクラップとして売却される
フレズノ[Fresno](CL-121/CLAA-121)
1945年 2月12日フェデラル造船にて起工
1946年 3月 5日進水
     11月27日竣工
 カリブ海、大西洋方面にて任務に従事
1949年 3月18日防空軽巡洋艦(CLAA-121)に類別変更
      5月17日退役。保管船となる
1966年 6月17日スクラップとして売却される(除籍年月日不詳)


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