航空母艦ラングレーについて
アメリカ海軍は1910年に巡洋艦「バーミンガム」[Birmingham]の前甲板に設置した滑走台から陸上用
降着装置を備えた航空機の発艦実験に成功しており、世界で最初に艦船からの陸上機運用に先鞭を付けた海軍
であった。そこで次に全通甲板を備えた航空機運用艦の実験をするため、給炭艦「ジュピター」を全通甲板
を持った艦に改造することにし、1920年から改造工事に着手した(その際に艦名を「ラングレー」と改
称した)。
既に日本海軍(
「鳳翔」)や
英国海軍(
「ハーミス」)で
は新造の航空母艦を建造していたが、まだ航空
母艦自体が有効かどうか判らない時代だったため、アメリカ海軍はまず輸送艦改造の実験艦的なものとして
航空母艦を建造することにしたのだが、元々の船体の上に開放式の格納庫を設置し、その上を飛行甲板で蓋
をしただけの簡単な改造で、給炭艦時代の石炭庫の一部はエレベーターや航空機用ガソリンタンクへ改造さ
れている。
当艦でアメリカ海軍は航空母艦運用の基本を研究しており、アメリカ空母の特徴である航空機の露天係止
なども当艦で徹底的に研究されている。
第二次大戦前の1937年に飛行甲板の前部3分の1を撤去して水上機母艦へ改造されていたため、第二
次大戦では空母として活躍できなかったが、太平洋戦線において航空機の輸送任務に従事した。しかし、1
942年2月27日、ジャワ島への輸送任務中に日本海軍陸上攻撃機の攻撃を受け大破し、後に味方駆逐艦
の手によって自沈処分されてしまった。