ペンサコラ型 重巡洋艦

"Pensacola" Class Heavy Cruisers

アメリカ海軍


USS CA25 Solt Lake City
スペックデータ
排水量:(満)11,500t ボイラー:Westinghouse罐・重油専焼×8基 燃料搭載量:不明
全長:(全)178.31m
全幅:19.58m 主機:メーカー不詳蒸気タービン×4基、4軸推進
吃水:6.10m
出力:105,000hp
武装:
55口径8inch3連装砲2基、同連装砲2基、25口径5inch高角砲4門、
40mmボフォース機関砲24門、20mmエリコン機関砲28門、21inch
魚雷3連装発射管2基、水偵2機搭載
最大速力:32.5kt
航続距離:15ktで10,000浬
乗員定数:625名

同型艦名(2隻)
ペンサコラ[Pensacola]ソルト・レーク・シティ[Solt Lake City]

ペンサコラ型重巡洋艦について
 ワシントン軍縮条約が締結されて初めて米国が建造した重巡洋艦(ただし条約では砲口径による軽・ 重巡の区別は無かったため、米海軍では最初当クラスを軽巡洋艦と分類していた)。日英では条約による 制限(基準排水量1万トン未満)一杯を使って重巡洋艦( 日「妙高」型、 英「ケント」型など)の設計を 行っているが、米海軍は若干余裕を持たせて基準排水量9,100トンの艦として当クラスを設計してい る。
 主砲は条約制限一杯の8インチ砲を3連装にした砲塔を背負い式としているが、計画では3連装4基だ ったものを、艦幅を広げないため1番・4番砲塔(艦の前後端側にある砲塔)は連装に変更されており、 砲門数は合計10門となっている。また米国巡洋艦として初めて機関の分散配置を行っており、被弾損傷 時の生存性が高められている。
 「ペンサコラ」「ソルト・レーク・シティ」とも太平洋戦線で日本海軍と死闘を繰り広げているが、両 艦とも戦争を生き抜いた。しかし老朽化した両艦を待ち受けていたのはビキニ環礁での原爆実験標的艦と いう運命であり、この実験に供された直後に退役となっている。

ペンサコラ型重巡洋艦の歴史
ペンサコラ[Pensacola](CL-24/CA-24)
1926年10月27日ニューヨーク海軍工廠にて軽巡洋艦(CL-24)として起工
1929年 8月25日進水
1930年 2月 6日竣工
1931年 7月 1日ロンドン条約により重巡洋艦(CA-24)へ類別変更される
 主に太平洋、カリブ海にて任務に従事
1941年12月〜太平洋戦争勃発により南太平洋方面の警戒任務に従事
1942年 2月20日バリ島沖海戦(米呼称バドウン海峡海戦)に参加
      6月 5日ミッドウェイ海戦に参加
     10月26日南太平洋海戦(米呼称サンタ・クルーズ諸島海戦)に参加
     11月30日ルンガ沖夜戦(米呼称タサファロンガ海戦)に参加。日駆逐艦の雷撃を受け大破
1943年 1月〜真珠湾にて修理を実施。完了は同年11月
     11月19日タラワ砲撃を実施
1944年 1月〜南太平洋にて島嶼攻撃を実施
      6月〜アリューシャン海域へ展開。北千島列島への攻撃を実施
      9月〜南太平洋へ移動。マリアナ、ウェーキ島の日本軍拠点を攻撃
     10月23日〜比島沖海戦(米呼称レイテ湾海戦)に参加
     12月〜硫黄島攻撃を実施。硫黄島上陸作戦を支援
1945年 3月〜沖縄攻略作戦を支援
      9月進駐任務のため大湊へ入港
     11月〜大湊を出港。途中真珠湾などで退役兵を乗せ本国へ帰還
1946年 7月ビキニ環礁にて原爆実験標的艦として使用される
      8月26日除籍。48年11月10日クェゼリン沖にて自沈処分となる
ソルト・レーク・シティ[Solt Lake City](CL-25/CA-25)
1927年 6月 9日ニューヨーク造船にて軽巡洋艦(CL-25)として起工
1929年 1月23日進水
     12月11日竣工
1931年 7月 1日ロンドン条約により重巡洋艦(CA-25)へ類別変更される
 主に太平洋、カリブ海にて任務に従事
1941年12月 7日〜太平洋戦争勃発により日本軍奇襲部隊の捜索に従事
1942年 1月〜サモア沖にて機動部隊直衛艦として任務に従事
      4月〜東京空襲の機動部隊に所属し空母「ホーネット」を護衛
      9月16日日潜水艦に撃沈された空母「ワスプ」の乗員救助を実施
     10月11日サボ島沖海戦(米呼称エスペランス岬海戦)に参加。日重巡「古鷹」の砲撃により小破
     11月〜真珠湾にて修理を実施。完了は翌年2月
1943年 3月〜アリューシャン海域へ展開。アッツへの攻撃を実施
      3月27日アッツ島沖海戦(米呼称コマンドルスキー諸島海戦)に参加。日艦隊の砲撃を受け小破
      4月〜応急修理の後、アッツ島、キスカ攻略作戦を支援
     10月〜真珠湾にて修理を実施。完了は同年11月
     11月〜南太平洋にて島嶼攻撃を実施
1944年 5月〜メアーアイランド造船にて修理を実施。戦線復帰は同年7月
      7月〜アリューシャン海域へ展開
      8月〜南太平洋へ移動。ウェーキ島、エニウェトクなどを砲撃
     10月23日〜比島沖海戦(米呼称レイテ湾海戦)に参加
     11月〜硫黄島攻撃を実施。硫黄島上陸作戦を支援
1945年 3月〜沖縄攻略作戦を支援
      9月進駐任務のため大湊へ入港
     10月〜大湊を出港。途中真珠湾などで退役兵を乗せ本国へ帰還
1946年 7月ビキニ環礁にて原爆実験標的艦として使用される
      8月26日退役
1948年 5月25日カリフォルニア沖にて実艦標的として使用され沈没。同年6月18日除籍


検索画面に戻るときはブラウザの「戻る」等の機能を使用してください。 LAST UPDATE 2003,11,24