ペトロパブロフスク型 戦艦

"Petropavlovsk" Class BattleShip
Линейные корабли класса "Петропавловск"


ソビエト海軍


Parishskaya Kommuna(Sevastopol)

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
ガングート
第79号(2016.02.02)
戦艦「ガングート」1914年

スペックデータ
排水量:(満)25,850t ボイラー:Yarrow罐・石炭重油混焼×25基
   Sevastopolは1938年に新型罐×22基へ換装
燃料搭載量:石炭3,000t
        重油1,170t
全長:(全)182.88m
全幅:24.38m 主機:Parsons式ギヤード蒸気機械×8基、4軸推進
吃水:8.38m
出力:50,000hp
武装:
52口径12inch3連装砲4基、50口径4.7inch単装砲16基、
3inch単装砲2基(第二次大戦中に3inch高角砲が6基追加された)、
18inch魚雷発射管4門
最大速力:24.6kt
航続距離:16ktで4,000浬
乗員定数:1,125名

同型艦名(4隻)(艦名は竣工時のもの)
ペトロパブロフスク
[Петропавловск (Petropavlovsk)]
ガングート[Гангут (Gangout)]
セバストーポリ[Севастополь (Sevastopol)]ポルタワ[Полтава (Poltava)]

ペトロパブロフスク型戦艦について
 帝政ロシア海軍が建造し、第一次大戦中に竣工したド級戦艦。戦艦の増強に力を入れなかった(革命 の影響で力を入れられなかった)ソビエト海軍は、第二次大戦にも旧式な当艦を使用した。
 第一次大戦中に建造されたド級艦としてスタンダードな12インチ砲を主砲としているが、砲身長は 52口径(参考:少し前に就役した日本海軍の 戦艦「鞍馬」型は 45口径だった)と長いものが装備されており、当時の戦艦としては世界最高レベルの砲撃力を持ってい た。ただし艦の強度が弱かったため全砲門による一斉発射(斉射)は不可能だった。
 完成直後にロシア革命がおこり革命政府の管理下に入って艦名も変更されたのだが、予算や人員の都合 から放置されたままとなっていた。1930年代になってようやく政治状態が落ち着いたため近代化改修 に着手し、艦型も艦橋の大型化が行われ近代的なスタイルに一新されている。
 第二次大戦では「ペトロパブロフスク」「ガングート」はバルト海で、「セバストーポリ」は黒海でド イツ軍と闘ったが、基本的に沿岸海軍だったソビエト海軍は艦隊戦などを行うことはなく、当艦も対地砲 撃などの支援任務が主であった(「ミハイル・フルンゼ」は1919年に火災のため放棄されていたため 第二次大戦には参加していない)。
 大戦を生き残った当艦は1950年代まで練習艦として使用されていた。

ペトロパブロフスク型戦艦の歴史
ペトロパブロフスク [Петропавловск (Petropavlovsk)]
1909年 6月16日バルチック工廠にて起工
1911年 6月29日進水
1914年 1月12日竣工
 第一次大戦に参加。バルト海方面で作戦に従事
1917年革命政府(ソビエト)の管理下に置かれる
1919年 8月18日クロンシュタット湾で英軍の水雷艇の攻撃を受け大破着底
1920年浮揚後応急修理を行う。艦名を「マラート」[Марат (Marat)]に変更
1926年〜本格的な修理を実施。完了は翌年
1931年近代化改修工事を実施
1939年〜バルト海艦隊に所属し第二次大戦へ参加
1941年クロンシュタット湾にて独軍機の攻撃を受け大破着底
1942年艦名を「ペトロパブロフスク」に変更
1945年?浮揚後修理される。戦後は練習艦として使用された
1955年廃棄が決定。スクラップとして処分される
ガングート [Гангут (Gangout)]
1909年 6月アドミラリティ工廠で起工
1911年10月 7日進水
1914年 1月竣工
 第一次大戦に参加。バルト海方面で作戦に従事
1917年革命政府(ソビエト)の管理下に置かれる
1920年艦名を「オクチャブルスカ・レボルーチア」
[Октябрьская революция (Oktyabrskaya Revolutsia)]に変更
1926年〜修理を実施。完了は翌年
1931年近代化改修工事を実施。完了は1934年
1939年〜バルト海艦隊に所属し第二次大戦へ参加
1942年艦名を「ガングート」に変更
1943年独軍機の空襲により損傷を受け、翌年まで修理を行う
1945年〜戦後は練習艦として使用された
1952年除籍。1957年廃棄が決定、スクラップとして処分される
セバストーポリ [Севастополь (Sevastopol)]
1909年 6月16日バルチック工廠にて起工
1911年 9月26日進水
1914年11月17日竣工
 第一次大戦に参加。バルト海方面で作戦に従事
1917年革命政府(ソビエト)の管理下に置かれる
1920年艦名を「パリシュスカ・コムーナ」[Парижская комунна (Parishskaya Kommuna)]に変更
1920年代初頭黒海艦隊へ移籍
1936年〜近代化改修工事を実施。完了は1939年
1939年〜黒海艦隊に所属し第二次大戦へ参加
1942年艦名を「セバストーポリ」に変更
1943年独軍機の空襲により損傷を受け、翌年まで修理を行う
1945年〜戦後は練習艦として使用された
1955年廃棄が決定。スクラップとして処分される
ポルタワ [Полтава (Poltava)]
1909年 6月16日アドミラリティ工廠で起工
1911年 7月10日進水
1914年12月17日竣工
 第一次大戦に参加。バルト海方面で作戦に従事
1917年革命政府(ソビエト)の管理下に置かれる
1920年艦名を「ミハイル・フルンゼ」[Михаил Фрунэе (Mikhail Frunze)]に変更
1922年火災により大破。艦体は放棄された(1919年説もある)
1925年再使用可能な装備を撤去し、スクラップとして処分される(WW2終戦後解体説もある)


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