オケアン型 敷設艦

"Okean" Class Minelayer
Минный заградитель класса "Океан"


ソビエト赤軍 ソビエト海軍


Okean
「オケアン」(1930年代、測量船時代の姿)
スペックデータ
排水量:(基)2,375t ボイラー:形式不詳罐・石炭専焼×3基 燃料搭載量:石炭870〜1,000t
全長:(全)80.6m
全幅:13.0m
(Okeanのみ12.0m)
主機:Scotch式三段膨張式レシプロ機関×1基、1軸推進
吃水:5.6m
出力:2,400hp
武装:
50口径13cm単装砲3基、28口径76mm単装砲2基(Murmanのみ4基)、
12.7mm連装機銃2基(Murmanのみ単装2基)、機雷搭載数:Okean124個、
Murman152個、Okhotsk58個
最大速力:13.0kt
航続距離:13ktで2,800浬
乗員定数:173名

同型艦名(3隻)
オケアン [Океан (Okean)]ムルマン [Мурман (Murman)]
オホーツク [Охотск (Okhotsk)] 

オケアン型敷設艦について

 元は1930年代中盤に建造された非武装の砕氷船兼測量船だが、第二次大戦が勃発すると敷設艦として改造されることになり、1939年から順次改装が行われた。
 改装では上甲板および船倉に機雷を搭載し、自衛用として13センチ単装砲が3門搭載されるなどが行われている。

 改装が終了した各艦は、「ムルマン」が北海艦隊へ、「オケアン」と「オホーツク」が太平洋艦隊へ配備されており、大戦中は機雷敷設や航路啓開のための砕氷任務に従事している。太平洋艦隊に配備された二隻は、終戦間際の樺太侵攻にも参加しており、真岡(ソビエト占領後はホルムスク)上陸や幌筵島(ロシア名パラムシル)砲撃などに参加した。特に「オホーツク」が行った砲撃は現地の日本軍を降伏させる大きな要因になったとされ、作戦後に親衛称号を受賞している。


オケアン型敷設艦の歴史
オケアン [Океан (Okean)]
1934年 6月マルティ(194)工廠にて測量船として起工
1935年11月 1日進水
1936年 8月21日竣工
1937年 7月〜北極海航路(ムルマンスク〜ウラジオストク)の開拓を行う
1941年〜敷設艦への改修を実施。42年6月24日完了
太平洋沿岸部にて敷設任務や砕氷任務に従事
1945年 8月樺太侵攻に参加。真岡への上陸作戦に従事
       9月〜非武装化の工事を開始。完了後は測量任務に戻ったが、以降の消息は不明
ムルマン [Мурман (Murman)]
1934年 5月27日マルティ(194)工廠にて測量船として起工
1935年 5月28日進水
1937年 3月 3日竣工
1939年〜敷設艦への改修を実施。39年5月8日完了
北海にて敷設任務や砕氷任務に従事
1945年12月〜非武装化の工事を開始。完了後は測量任務に戻ったが、以降の消息は不明
オホーツク [Охотск (Okhotsk)]
1934年 6月マルティ(194)工廠にて測量船として起工
1935年11月 1日進水
1937年 4月10日竣工
       7月〜北極海航路(ムルマンスク〜ウラジオストク)の開拓を行う
1940年〜敷設艦への改修を実施。41年7月31日完了
太平洋沿岸部にて敷設任務や砕氷任務に従事
1945年 8月樺太侵攻に参加。幌筵島への侵攻作戦に従事
       8月26日勲功ありと認められ親衛称号を受賞
       9月〜非武装化の工事を開始。完了後は測量任務に戻ったが、以降の消息は不明


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