敷設艦 マルティ

Minelayer "Marti"
Минный заградитель "Марти"


ソビエト赤軍 ソビエト海軍


Marti
「マルティ」(1942年頃:Photo from Wikipedia Commons)
スペックデータ(敷設艦に改修後の数値)
排水量:(基)5,665t ボイラー:形式不詳罐・重油専焼×4基 燃料搭載量:重油930t
全長:(全)122.30m
全幅:15.40m 主機:(メーカー不詳)三段膨張式レシプロ機関×2基、2軸推進
吃水:6.80m
出力:11,500hp
武装:
53口径13cm単装砲4基、52口径76mm単装砲7基、43口径45mm
単装砲3基、7.6mm機銃4基(大戦中に12.7mm機銃3基へ換装)、
機雷320〜390個搭載
最大速力:14.0kt
航続距離:12ktで2,260浬
乗員定数:400名

同型艦名(1隻)
マルティ [Марти (Marti)]

敷設艦 マルティについて

 元はロシア皇帝アレクサンドル3世により建造された皇帝ヨット「スタンダルト」[Штандарт (Standart)]で、贅を尽くした艦であったが、ロシア革命により皇帝一家が処刑されロマノフ王朝が崩壊すると、当艦はソビエト政府に接収され、その後海軍へ編入されている。

 1936年に当艦は機雷敷設艦へ改装され、第二次大戦ではバルト海で敷設任務や沿岸部への砲撃に従事している。終戦後は航海練習船へ転換され1957年まで使用されている(戦後の状況については諸説あり、1948年に宿泊船となったのち、1960年代初頭にロケット発射台へ改造されたとの説もある)。


敷設艦 マルティの歴史
マルティ [Марти (Marti)]
1893年10月 1日デンマークのバーマイスター&ウェイン社[Burmeister&Wain]にて起工
1895年 3月10日進水
1896年 9月竣工。毎年、夏には皇室一家の休養などに使用された
1907年フィヨルドを巡航中に座礁、損傷
1914年 6月皇帝はオーストリア=ハンガリー皇太子暗殺(サラエボ事件)の第一報を当艦で受け取る
       7月第一次大戦参戦のため、当艦はドック入りとなる
1917年二月革命および十月革命によりロマノフ王朝崩壊
当艦はバルト海艦隊中央委員会に接収される。艦名を「3月18日」[18 марта]と改名
1918年 2月バルト海にて帝政ロシア支配下の港からの脱出に成功
1933年〜敷設艦への改修を実施。艦名を「マルティ」と改名
1936年改修完了。バルト海艦隊へ配属
1939年 9月〜第二次大戦勃発。フィンランド沖などで行動
1941年 6月〜ソビエト参戦(大祖国戦争)。バルト海などで敷設任務に従事
また、レニングラード防衛に際し支援砲撃を実施
1942年 4月親衛称号を受賞
1948年(1957年説あり)艦名を「オカ」[Ока (Oka)]と改名
航海練習船として使用される(宿泊船として使用の説あり)
1963年退役(1961年ロケット発射台へ改造との説あり)


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