ハサン型 モニター艦

"Khasan" Class Monitors
Мониторы типа "Хасан"


ソビエト海軍 ソビエト海軍


Перекоп
「ペレコフ」(1940年代)
スペックデータ(【 】内はСивашのデータ)
排水量:(常)1,704t ボイラー:−−−−− 燃料搭載量:重油167t
全長:(全)88.0m
全幅:11.1m 主機:38KR−8ディーゼル機関×4基、4軸推進
吃水:2.95m
出力:3,200hp
武装:
50口径【51口径】13cm連装砲3基、52口径【55口径】7.6cm連装砲2基、
43口径【46口径】4.7cm連装機砲2基、12.7mm連装機銃5基、機雷29個搭載
最大速力:15.0kt
航続距離:11ktで5,500浬
乗員定数:242名

同型艦名(3隻)(艦名は竣工時のもの)
ハサン [Хасан](Khasan)ペレコフ [Перекоп](Perekop)
シヴァシュ [Сиваш](Sivash) 

ハサン型モニター艦について

 帝政ロシア時代に沿岸警備用の装甲艦として海防戦艦を複数建造したロシア海軍だったが、警備用砲艦(モニター艦)は小型の艦ばかりで、大河川の河口付近や狭隘な海峡の警備には能力不足の感があった。日露戦争で日本海軍の発展を目にしたロシア海軍は、極東アムール川(黒竜江)河口やタタール海峡(間宮海峡)の警備には日本海軍に対抗できうる強力な艦が必要だとして、1915年に大型モニター艦の建造を計画した。しかし、この計画はロシア革命の勃発により立ち消えとなってしまった。

 1930年代になって日ソの国境紛争や日本の傀儡国家である満州国の建国などが続き、極東の警備強化の必要性が高まるとソビエト海軍は1915年の計画にあった大型モニター艦の建造を復活させることにし、プロジェクト1190の名称で建造が行われることになった。元の計画では13センチ連装砲塔4基の強力な武装や水上偵察機の搭載などが盛り込まれていたが、ソビエト海軍ではこの仕様は過剰だとして、主砲塔は3基に減じられ水偵の搭載も廃案となっている。冬季の行動のために砕氷能力を付与された船体を持ち、駆逐艦程度のサイズながら重巡に匹敵する装甲を施された当クラスは、史上最大級の河川用(低吃水の平船底を持つ)モニター艦と言われている。

 ゴーリキーのクラスノエ・ソルモヴォ(No.112)工廠で1936年から建造された当クラスだったが、1939年に戦争の気配が近づいたため残工事をヨーロッパから離れた極東で行うこととし、シベリア鉄道で260ものパーツに分解した船体をハバロフスクの工場(No.368)へ輸送している。しかし、設備の限られた極東では工事が進まず、起工から竣工までに6年以上かかっており、最終艦の「シヴァシュ」に至っては第二次大戦終結までに完成することも叶わなかった。
 1942年に竣工した「ハサン」と翌年竣工した「ペレコフ」はソビエト海軍の北太平洋艦隊に配属され、予定どおりタタール海峡などの警備に従事したが、戦争末期のソビエト軍による満州や北方領土への侵攻には参加しておらず、戦後竣工した「シヴァシュ」とあわせて退役するまで実戦へ参加することはなかった。


ハサン型モニター艦の歴史
ハサン [Хасан](Khasan)
1936年 6月15日クラスノエ・ソルモヴォ[Krasnoye Sormovo](No.112)工廠にて起工
当初の艦名は「ラゾー」[Лазо](Lazo)
1939年12月ハバロフスクの第368工場へ鉄路輸送され、工事を続行
1940年 8月30日進水
       9月25日艦名を「ハサン」に改名
1942年 2月 1日(1月1日説、11月4日説、12月1日説あり)竣工
1942年〜北太平洋艦隊に所属し、ハバロフスク海域の警備任務に従事
1945年〜第二次大戦終結後は練習艦に類別され、訓練任務に従事
1949年 1月12日(海洋)モニター艦に再度類別される
1951年 7月 8日河川モニター艦に類別される
1955年 9月 7日退役。保管船となる
1960年 3月23日除籍。武装解除しハバロフスク造船所の支援船として利用
ペレコフ [Перекоп](Perekop)
1936年 6月15日クラスノエ・ソルモヴォ(No.112)工廠にて起工
当初の艦名は「シンビルツェフ」[Симбирцев](Simbirtsev)
1939年12月ハバロフスクの第368工場へ鉄路輸送され、工事を続行
1940年 9月25日艦名を「ペレコフ」に改名
1941年 6月14日進水
1944年 1月30日(43年12月24日、43年10月2日説あり)竣工
1944年〜北太平洋艦隊に所属し、ハバロフスク海域の警備任務に従事
1945年〜第二次大戦終結後は練習艦に類別され、訓練任務に従事
1949年 1月12日(海洋)モニター艦に再度類別される
1951年 7月 8日河川モニター艦に類別される
1953年 6月11日退役。保管船となる
1960年 3月23日除籍。武装解除しハバロフスク造船所の支援船として利用
シヴァシュ [Сиваш](Sivash)
1936年 6月15日クラスノエ・ソルモヴォ(No.112)工廠にて起工
当初の艦名は「セリシェフ」[Серышев](Seryshev)
1939年12月ハバロフスクの第368工場へ鉄路輸送され、工事を続行
1940年 9月25日艦名を「シヴァシュ」に改名
1941年10月 1日進水
1946年10月 1日(10月31日説あり)竣工
1947年〜北太平洋艦隊にて任務に従事
1960年 9月15日退役。武装解除され、艦名を「PKZ-22」[ПКЗ-22]と改名。宿泊船として使用
1964年 7月31日放射線測定船となり、艦名を「PKDS-7」[ПКДС-7]と改名
1968年 2月28日除籍


検索画面に戻るときはブラウザの「戻る」等の機能を使用してください。 LAST UPDATE 2016,05,07