重巡洋艦 ペトロパブロフスク

Heavy Cruiser "Petropavlovsk"
Крейсер "Петропавловск"


ソビエト海軍


写真は係留練習艦Dnepr時代
スペックデータ(計画値:データはLützowのもの)
排水量:(満)19,042t ボイラー:Wagner罐・重油専焼×12基 燃料搭載量:4,250t
全長:(全)199.47m
全幅:21.21m 主機:Deschimag式ギヤードタービン×3基、3軸推進
吃水:4.70m(平均)
出力:132,000hp
武装:
55口径8inch連装砲4基、65口径10.5cm連装砲6基、83口径
37mm連装機関砲6基、65口径20mm機関砲6門、21inch魚雷3連装
発射管4基、水偵4基搭載
最大速力:32.0kt
航続距離:15ktで6,750浬
乗員定数:880名程度

同型艦名(1隻)
ペトロパブロフスク [Петропавловск (Petropavlovsk)]

重巡洋艦ペトロパブロフスクについて
 元はドイツ海軍が建造していた 「アドミラル・ヒッパー」型重 巡洋艦の最終艦「リュッツオウ」である が、1939年に調印された独ソ不可侵条約によってソビエトから提供された石油や小麦の対価として未 完成の状態でソビエトに譲られたものである。
 ソビエトに譲られた時点では、進水は完了していたものの上部構造物の艤装はほとんど行われていない 状態だったため、レニングラードに回航後ドイツ人技術者の監督の下で完成させられる予定だった。しか し不可侵条約を破棄しソビエトへ侵攻する予定だったヒトラーはこの技術援助規模を縮小したため艤装は 進まず、ドイツ軍が侵攻した時点で約70%の工事進捗率だったと言われている。
 ドイツ軍がレニングラードに迫った時、当艦は未完成(4基の主砲塔のうち2基が搭載されており、ま た37mm機関砲も一部搭載されていた)で航行こそできなかったが水上砲台として使用されており、その 後も工事は進まなかったものの何度か砲台として使用されている。
 結局完成することは無かったため一度も艦隊行動したことはなく、戦後は係留練習艦として過ごした後 1950年代末に除籍解体されている。

重巡洋艦ペトロパブロフスクの歴史
ペトロパブロフスク [Петропавловск (Petropavlovsk)]
1937年 8月 2日デシマーク社にて独重巡「リュッツオウ」として起工
1939年 7月 1日進水
1940年 2月11日ソビエトへ輸入品の対価として譲渡され、艦名を「タリン」[Талин (Talin)]と改名する
      4月15日回航されレニングラード(オルジョニキーゼ工廠)に到着。艤装工事を開始
      9月25日艦名を「ペトロパブロフスク」と改名する
1941年 8月15日未完成状態ながら艦隊へ就役させられる
      9月 7日〜レニングラードへ迫った独軍に対し艦砲射撃を実施する
      9月17日艦内電力の消耗や浸水により戦闘中止。工廠へ回航される
1942年 9月〜修理が完了し、再度水上砲台として艦隊に復帰
1944年 1月レニングラード包囲戦に参加
      9月 1日艦名を再度「タリン」に改名する
1953年 3月11日係留練習船となり、艦名を「ドニェプル」[Днепр (Dnepr)]と改名する
1956年12月倉庫船に類別変更。艦名を「PKZ-112」と改名する
1958年 4月除籍。後にスクラップとして解体処分される


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