キーロフ型 重巡洋艦

"Kirov" Class Heavy Cruisers
Крейсер класса "Киров"


ソビエト海軍


Kirov
スペックデータ(【 】内はVoroshilovのデータ)
排水量:(満)9,287t
     【(満)9,793t】
ボイラー:Yarrow罐・重油専焼×6基 燃料搭載量:重油1,280t
全長:(全)191.01m
全幅:17.65m 主機:(メーカー不詳)ギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:7.24m
出力:113,000hp
   【122,500hp】
武装:
(共通)57口径18cm3連装砲3基、10cm単装砲6基(後に8基)、21inch魚雷
3連装発射管2基
(Kirov)45mm機関砲6門(後に37mm機関砲10門へ換装)、機雷90個、水偵2
機搭載(後に撤去)
(Voroshilov)45mm機関砲9門(後に3門へ減じ37mm機関砲14門追加)、機雷
50個、水偵1機搭載(後に撤去)
最大速力:36.0kt
      【34.0kt】
航続距離:18ktで3,750浬
      【18ktで2,140浬】
乗員定数:880名程度

同型艦名(2隻)
キーロフ [Киров (Kirov)]ヴォロシロフ [Ворошилов (Voroshilov)]

キーロフ型重巡洋艦について
 ロシア革命の混乱がひとまず落ち着いたソビエトでは海軍力の増強を図ることとし、1933年からの 第二次5カ年計画において4隻の巡洋艦建造を計画した。しかし、大戦や革命の影響による造船界のブラ ンクのため自国独力での開発がおぼつかなかったため外国へ助力を仰ぐこととし、結果イタリアからの助力 を得ることが出来た。
 イタリアから技術者を招き、またイタリア海軍の軽巡洋艦である 「ライモンド・モンテクッコリ」の設 計図面の提供を受けたソビエトでは、これらイタリアの技術を存分に生かした巡洋艦の設計を行った。当 初の計画では16.7センチ砲8門(連装砲塔4基)を搭載予定であったが、 「クラスヌイ・カフカズ」に搭 載した18センチ砲が優秀であったため、これを3連装砲塔に搭載し3基9門が装備されることになった。また 地中海を舞台とするイタリア軽巡の設計では厳寒のバルト海において能力不足だとして、寒冷地向けの 能力(船体の砕氷能力など)を加えた結果、基準排水量は7,700トンに増えている。
 第二次大戦では「キーロフ」はバルト海艦隊、「ヴォロシロフ」は黒海艦隊に所属しドイツ軍と戦って いるが、1943年末以降は大型艦の活動が制限されたため両艦とも大戦を生き残り、戦後も練習艦や試 験艦などに使用されている。
 なお4隻の建造が計画されたが最初の2隻で建造はうち切られ、残りは改良型となる 「マキシム・ゴーリキー」型と して建造されている。

キーロフ型重巡洋艦の歴史
キーロフ [Киров (Kirov)]
1935年10月22日オルジョニキーゼ工廠にて起工
1938年11月30日進水
1939年 9月23日竣工
     12月〜バルト海艦隊に所属し、対フィンランド戦(冬戦争)に参加
1941年 6月〜対独戦勃発のためリガ近海の機雷原敷設に従事
      6月末〜リガ撤退を支援
      8月〜タリン撤退を支援。レニングラードへの支援を行う
1942年 4月 4日独軍機の爆撃を受け大破。修理完了は翌年前半
1944年 1月〜地上軍を支援して独軍部隊に対する艦砲射撃を実施
1946年〜戦後はバルト海艦隊の指揮艦や練習艦として任務に従事
1974年12月除籍。後にスクラップとして解体処分される
ヴォロシロフ [Ворошилов (Voroshilov)]
1935年10月15日マルティ南工廠にて起工
1939年 6月28日進水
1940年 6月20日竣工
1941年 6月〜黒海艦隊に所属し、対独戦に参加
      6月25日〜コンスタンツァへの攻撃を支援
      9月〜オデッサ防御戦を支援
     11月 2日独軍の攻撃を受け損傷。修理完了は翌年2月
1942年 5月〜タマンへの軍事行動支援、セバストーポリへの兵員輸送などに従事
     11月末〜ルーマニア沿岸にて独輸送船の哨戒・阻止任務に従事
     12月 2日ズミーニィ島沖にて触雷、損傷する
1943年 1月末ミシャコー上陸戦を支援(作戦は失敗に終わる)
1946年〜戦後は黒海艦隊の練習艦などに使用される
1960年代対艦ミサイルの開発プラットフォーム船として使用される
1970年除籍。後にスクラップとして解体処分される


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