ゼレズナコフ(初代)型 砲艦(河川モニター艦)

"Zheleznyacov(1)" class Gunboat(River Monitor)
Канонерские Лодки(Речной Мониторы) класса "Железняков"


ソビエト赤軍 ソビエト海軍


Zheleznyakov
Zheleznyakov
砲艦「ゼレズナコフ」(上段:第二次大戦前後/下段:記念艦(2014年時点))
(下段の写真はWikipediaから引用。Photo by Pavlo-1)

スペックデータ
排水量:(基)230t ボイラー:−−−−− 燃料搭載量:重油22t
全長:(全)51.2m
全幅:8.2m 主機:4SD-19/32型ディーゼル機関×2基、2軸推進
吃水:0.9m
出力:280hp
武装:
43口径10.2cm連装砲1基、43口径45mm単装砲2基、7.6mm単装機銃2基
(1940年に45mm単装砲1基を同連装砲1基に換装、7.6mm4連装機銃1基を追加)
(「Zheleznyakov」は1943年に4連装機銃を撤去し37mm単装砲2基、12.7mm単装機銃3基を追加)
(「Zheleznyakov」は1944年に12.7mm単装機銃1基を同4連装機銃1基に換装)
最大速力:8.3kt
航続距離:8ktで3,700浬
乗員定数:78名

同型艦名(6隻)
ゼレズナコフ(初代)
[Железняков (Zheleznyakov)]
リヴァチョフ
[Левачёв (Levachov)]
ジェムチュージン
[Жемчужин (Zhemchuzhin)]
マルティノフ
[Мартынов (Martynov)]
フリアギン
[Флягин (Flyagin)]
ロストフツェフ
[Ростовцев (Rostovtsev)]

ゼレズナコフ(初代)型 砲艦(河川モニター艦)について

 砲艦「アクチーヴヌィ」と同時期に建造された河川用モニター艦。基本的な設計に大きな差はないが、装甲が若干薄くなっているため排水量は当クラスの方が若干小さい。当クラスはプロジェクトSB−37[СБ-37]と呼称されている。「アクチーヴヌィ」と同様、主砲塔の上に司令塔(艦橋)が乗る形状をしており、砲の旋回とともに司令塔も回るのも同様であった。
 黒海周辺の河川小艦隊(ドニエプル小艦隊)に配属するために設計・建造されているが、1940年にドニエプル小艦隊が解体した際には、ドナウ小艦隊やピンスク小艦隊へ転属している。

 1941年に独ソ戦が勃発すると全艇ともドイツ軍へ抵抗したが、姉妹艇6隻のうち4隻が退路を断たれたため、捕獲をおそれ自爆自沈した。開戦後のドイツ軍侵攻を乗り越えた2隻(「ゼレズナコフ」および「ロストフツェフ」)は終戦まで生き残り、1950年代に退役した。
 なお、「ゼレズナコフ」は記念艦としてキエフ市リバルスキに現在も展示されている。→外部サイト(グーグルマップ)


ゼレズナコフ(初代)型 砲艦(河川モニター艦)の歴史
ゼレズナコフ(初代)[Железняков (Zheleznyakov)]
1934年11月25日レーニンスカ・クズニヤ(第300)工廠[Leninska Kuznya]にて起工
1935年11月22日進水
1936年10月27日竣工。ドニエプル小艦隊へ配属
1940年 6月ドニエプル小艦隊解体のためドナウ小艦隊へ転属
1941年 6月独ソ戦勃発。ドナウ川で独軍の渡河に抵抗
1944年独軍の後退にあわせてドナウ川沿岸国の『解放』に参加
1958年 3月11日退役。同月18日倉庫船へ類別変更。艇名を「ПСКЛ-4」(PSKL-4)と改名
1960年 9月10日除籍。ドナウ川で貨物船として従事後、浮き桟橋となる
1965年記念艦として保存することになり第300工廠にて修理を実施
1967年 6月10日現在位置にて記念艦として公開開始
リヴァチョフ [Левачёв (Levachov)]
1934年 7月31日レーニンスカ・クズニヤ(第300)工廠にて起工
1935年進水
1936年10月27日竣工。ドニエプル小艦隊へ配属
1940年 6月ドニエプル小艦隊解体のためピンスク小艦隊へ転属
1941年 6月独ソ戦勃発。ドニエプル川で独軍の渡河に抵抗
       9月19日独軍の捕獲をおそれ、キエフ市南方(下流側)にて自爆自沈
ジェムチュージン [Жемчужин (Zhemchuzhin)]
1934年 7月31日レーニンスカ・クズニヤ(第300)工廠にて起工
1935年進水
1936年11月27日竣工。ドニエプル小艦隊へ配属
1940年 6月ドニエプル小艦隊解体のためドナウ小艦隊へ転属
1941年 6月独ソ戦勃発。ドナウ川で独軍の渡河に抵抗
       7月ピンスク小艦隊へ転属。ドニエプル川へ転戦
       8月12日ドニエプル川中流域(チェルカシ〜クレメンチュクの間)で独軍と交戦
大きな損傷を負い行動不能となり自爆自沈
      10月16日除籍
1945年 1月船体が引き揚げられ、スクラップとして再利用される
マルティノフ [Мартынов (Martynov)]
1934年 7月31日レーニンスカ・クズニヤ(第300)工廠にて起工
1935年進水
1936年12月 8日竣工。ドニエプル小艦隊へ配属
1940年 6月ドニエプル小艦隊解体のためドナウ小艦隊へ転属
1941年 6月独ソ戦勃発。ドナウ川で独軍の渡河に抵抗
(時期不詳)ドニエプル川下流域(支流のコンカ川)へ転戦
       9月18日独軍の捕獲をおそれ、ブラホヴィスチェンカ(ザポリージャ南方)付近で自爆自沈
フリアギン [Флягин (Flyagin)]
1934年 7月31日レーニンスカ・クズニヤ(第300)工廠にて起工
1935年進水
1936年12月30日竣工。ドニエプル小艦隊へ配属
1940年 6月ドニエプル小艦隊解体のためピンスク小艦隊へ転属
1941年 6月独ソ戦勃発。ドニエプル川で独軍の渡河に抵抗
       9月19日独軍の捕獲をおそれ、キエフ市南方(ダルニスキィ付近)にて自爆自沈
ロストフツェフ [Ростовцев (Rostovtsev)]
1934年 7月31日レーニンスカ・クズニヤ(第300)工廠にて起工
1935年進水
1937年 5月13日竣工。ドニエプル小艦隊へ配属
1940年 6月ドニエプル小艦隊解体のためドナウ小艦隊へ転属
1941年 6月独ソ戦勃発。ドナウ川で独軍の渡河に抵抗
       7月ピンスク小艦隊へ転属。ドニエプル川へ転戦
       8月27日独軍機の爆撃により大破沈没
(ただし船体は翌日浮揚された)
       8月31日修復不能と判断され除籍
       9月10日ピンスク小艦隊へ再編入するもドニエプル川からの脱出ができず、
同月19日下流域にて自爆自沈(41年中に除籍)
1944年 6月29日浮揚後、ピンスク小艦隊へ再編入。修理を実施
1945年モニター艦兼練習艦として再就役
1950年 9月除籍。浮き桟橋として利用される
1955年スクラップとして売却


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