タイフーン型 (河川)砲艦

"Tayfun" class (River) Gunboat(Monitor)
Речные Канонерские Лодки(Мониторы) класса "Тайфун"


ソビエト赤軍 ソビエト海軍


Sverdlov

Shkval
(上段)砲艦「スヴェルドルフ」(「ヴィューガ」から改名後)
(下段)砲艦「シャクヴァル」(1910年頃:Photo from Wikipedia)

スペックデータ
排水量:(基)977t ボイラー:−−−−− 燃料搭載量:重油112t
全長:(全)70.9m
全幅:12.8m 主機:(メーカー不詳)ディーゼル機関×4基、4軸推進
吃水:1.4m
出力:1,000hp
武装:
49口径15.2cm単装砲2基、49口径12cm連装砲2基、7.6mm機銃6基
(第二次大戦時には各艇で武装が異なっている。砲を53口径13cm単装砲4基へ
換装したものや49口径85mm単装砲を追加搭載したものなどがある)
最大速力:10.0kt
航続距離:8ktで3,700浬
乗員定数:117名

同型艦名(8隻)
タイフーン(初代)
[Тайфун (Tayfun)]
シュトーム(初代)
[Шторм (Shtorm)]
ヴィーハー(初代)
[Вихрь (Vikhr')]
スメルチ(初代)
[Смерч (Smerch)]
ウーラガン(初代)
[Ураган (Uragan)]
ヴィューガ(初代)
[Вьюга (Vyuga)]
グローザ(初代)
[Гроза (Groza)]
シャクヴァル(初代)
[Шквал (Shkval)]
 

タイフーン型 (河川)砲艦について

 日露戦争での戦訓で、中ソ国境にあるアムール川には重砲を搭載した河川用砲艦(モニター艦)が必要であると認識されたため、『沿岸防衛委員会』[Комитета прибрежной обороны]の発注で建造された艇。比較的大型の浅吃水船体に15センチ口径と12センチ口径の重砲を砲塔形式にて複数搭載している。機関はディーゼル機関とされ、従前の蒸気機関よりも即応性が向上した。
 全艇がサンクトペテルブルグのバルチック造船所で建造されており、完成後に分解して鉄道輸送にてスレチェンスクまで運ばれ再組立、竣工後にアムール小艦隊へ就役している。

 第二次大戦時になってもアムール小艦隊で最強の一角を占めており、一部の艇は対日戦参戦後に満州への侵攻などに参加した。なお、下記年表には記載していないが、アムール小艦隊は1955年に解散し、所属していた艇は全てソビエト海軍太平洋艦隊の指揮下となっている。

 なお、「シャクヴァル」が1927年に改名した艇名「スン・ヤット・セン」は中国革命に敬意を表して、立役者の孫文(孫逸仙)の名前を冠したものである。


タイフーン型 (河川)砲艦の歴史
タイフーン(初代)[Тайфун (Tayfun)]
1907年 7月バルチック造船所[Baltic Shipyard]にて起工
1909年 6月進水
1910年 8月28日竣工。分解され鉄道輸送にてアムール川へ配備
1928年 6月11日モニター艦へ類別変更
1932年 8月14日艇名を「ヴォストレトソフ」[Вострецов (Vostretsov)]と改名
1936年近代化改修を実施(完了は37年)
1939年 2月 1日艇名を「ジェルジンスキー」[Дзержинский (Dzerzhinskiy)]と改名
1952年12月練習艦へ類別変更
1953年 4月29日退役。予備艦となる
1958年 3月13日除籍
シュトーム(初代)[Шторм (Shtorm)]
1907年 7月バルチック造船所にて起工
1909年 8月11日進水
1910年 8月28日竣工。分解され鉄道輸送にてアムール川へ配備
1922年 4月24日艇名を「レーニン」[Ленин (Lenin)]と改名
1928年 6月11日モニター艦へ類別変更
1929年中ソ国境紛争に参加
1935年近代化改修を実施
1945年 8月対日戦参戦後、満州への侵攻に参加
1953年 4月29日退役。予備艦となる
1958年 3月13日除籍
ヴィーハー(初代)[Вихрь (Vikhr')]
1907年 7月バルチック造船所にて起工
1909年 7月12日進水
1910年 9月 2日竣工。分解され鉄道輸送にてアムール川へ配備
1921年12月21日白軍および日本軍の捕獲をおそれオシポウスカヤ[Осиповском]にて自爆自沈
1923年10月15日浮揚修理後に再就役。艇名を「アムール」[Амур (Amur)]と改名
1928年水先案内母船(自走式)[самоходную плавучую базу гидронавигации]へ類別変更
1933年近代化改修を実施(完了は翌年)
(近代化改修に先立って艇名を「ヴィーハー」へ戻したとする資料もある)
1934年 7月24日モニター艦へ類別変更。艇名を「ダリニヴァストーチヌィ・コムソモーレツ」[Дальневосточный комсомолец (Dal'nevostochnyy komsomolets)]と改名
1945年 8月対日戦参戦後、満州への侵攻に参加
1958年 3月13日除籍
スメルチ(初代)[Смерч (Smerch)]
1907年 7月バルチック造船所にて起工
1909年 7月進水
1910年 9月 2日竣工。分解され鉄道輸送にてアムール川へ配備
1921年12月21日白軍および日本軍の捕獲をおそれオシポウスカヤにて自爆自沈
1932年 8月14日浮揚修理後に再就役。モニター艦へ類別変更。艇名を「トリアンダフィーロフ」[Триандафилов (Triandafilov)]と改名
1936年近代化改修を実施(完了は翌年)
1939年 1月 2日艇名を「キーロフ」[Киров (Kirov)]と改名
1952年11月12日練習艦へ類別変更
1958年 3月13日除籍
ウーラガン(初代)[Ураган (Uragan)]
1907年バルチック造船所にて起工
1909年 7月進水
1910年 8月20日竣工。分解され鉄道輸送にてアムール川へ配備
1922年 4月24日艇名を「トロツキー」[Троцкий (Trotskiy)]と改名
1927年12月16日艇名を「クラスヌイ・ヴォストーク」[Красный Восток (Krasnyy Vostok)]と改名
1928年11月 6日モニター艦へ類別変更
1929年中ソ国境紛争に参加
1940年近代化改修を実施
1945年 8月対日戦参戦後、満州への侵攻に参加
1953年 4月29日退役。予備艦となる
1958年 3月13日除籍
ヴィューガ(初代)[Вьюга (Vyuga)]
1907年 8月バルチック造船所にて起工
1909年 7月12日進水
1910年 9月27日竣工。分解され鉄道輸送にてアムール川へ配備
1922年 4月24日艇名を「スヴェルドルフ」[Свердлов (Sverdlov)]と改名
1928年モニター艦へ類別変更
1934年近代化改修を実施(完了は翌年)
1945年 8月対日戦参戦後、満州への侵攻に参加
       8月30日戦功大として親衛称号を受賞
1953年 6月11日退役。予備艦となる
1958年 3月13日除籍
グローザ(初代)[Гроза (Groza)]
1907年バルチック造船所にて起工
1909年 7月進水
1910年 9月27日竣工。分解され鉄道輸送にてアムール川へ配備
1921年12月23日白軍および日本軍の捕獲をおそれハバロフスク[Хабаровске]にて自爆自沈
シャクヴァル(初代)[Шквал (Shkval)]
1907年バルチック造船所にて起工
1909年 6月進水
1910年10月 3日(16日説あり)竣工。分解され鉄道輸送にてアムール川へ配備
1920年日本軍により拿捕され、サハリンにて抑留となる
1925年 5月 1日ソビエトへ返還
1927年 2月15日艇名を「スン・ヤット・セン」[Сун-Ят-Сен (Sun-Yat-Sen)]と改名
1928年11月 6日モニター艦へ類別変更
1937年近代化改修を実施(完了は翌年)
1945年 8月対日戦参戦後、満州への侵攻に参加
       8月16日日本軍からの反撃(中口径砲による砲撃)により損傷を負う
       8月30日戦功大として親衛称号を受賞
1947年 7月19日艇名を「スーチャン」[Сучан (Suchan)]と改名
1955年 8月23日退役。予備艦となる
1958年 3月13日除籍


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