ブリヤート型 (河川)砲艦

"Buryat" class (River) Gunboat
Речные Канонерские Лодки класса "Бурят"


ソビエト赤軍 ソビエト海軍


Buryat
砲艦「ブリヤート」(Photo from Wikimedia Commons)
スペックデータ
排水量:(基)193t ボイラー:(形式不詳)罐・重油石炭混焼×2基 燃料搭載量:石炭 45t
        重油 36t
全長:(全)54.5m
全幅:8.2m 主機:直立型往復動蒸気機関(3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:0.9m
出力:480hp
武装:
48口径75mm単装砲2基、7.6mm機銃2基、
(1930年代初頭に40口径47mm単装砲2基、38口径76mm単装砲2基、
7.6mm単装機銃8基へ換装)、(1930年代後半に単装機銃3基を減じ、
43口径45mm単装砲2基を搭載)
最大速力:11.5kt
航続距離:8ktで1,000浬
乗員定数:40名

同型艦名(3隻)
ブリヤート
[Бурят (Buryat)]
モンゴル
[Монгол (Mongol)]
オロチャニン
[Орочанин (Orochanin)]

ブリヤート型 (河川)砲艦について

 二十世紀初頭に建造された砲艦。広大なロシアの大河川で使用するために設計されており、浅吃水の典型的な河川用砲艦である。
 第一次大戦時には戦線から離れたアムール川に配備されていたため、国境警備などの簡単な任務に従事していたが、ロシア革命が勃発すると赤軍として内戦に参加した。なお、姉妹艇のうち「ブリヤート」と「モンゴル」はシベリア出兵に際して日本軍に拿捕され、「オロチャニン」は拿捕を逃れるために自爆している。

 自爆後に解体処分となった「オロチャニン」以外の艇は第二次大戦時にも現役であったが、国境警備などに従事したのみで大きな作戦への参加はなく、終戦後の1948年に除籍となっている。


ブリヤート型 (河川)砲艦の歴史
ブリヤート [Бурят (Buryat)]
1905年ソルノヴォ工場[Сормово]にて起工
1907年進水
       9月竣工。アムール川へ輸送され、アムール小艦隊に配属
1918年ロシア革命に際し、赤軍として内戦に参加
       9月シベリア出兵に際し日本軍に拿捕され、サハリンにて抑留となる
1925年頃ソビエトへ返還。アムール小艦隊にて任務に従事
1944年中ソ国境の紛争に際し哨戒などに従事
1953年 4月29日退役。予備役艦となる
1958年 3月13日除籍
モンゴル [Монгол (Mongol)]
1905年ソルノヴォ工場[Сормово]にて起工
1907年進水
       9月竣工。アムール川へ輸送され、アムール小艦隊に配属
1918年ロシア革命に際し、赤軍として内戦に参加
       9月シベリア出兵に際し日本軍に拿捕され、サハリンにて抑留となる
1925年頃ソビエトへ返還。アムール小艦隊にて任務に従事
1945年 8月対日戦参戦に際し、満州への侵攻に参加
1948年 2月28日除籍
オロチャニン [Орочанин (Orochanin)]
1905年ソルノヴォ工場[Сормово]にて起工
1907年進水
       9月竣工。アムール川へ輸送され、アムール小艦隊に配属
1918年ロシア革命に際し、赤軍として内戦に参加
       9月18日日本軍の拿捕を避けるために自爆
1921年 7月25日退役。23年から解体
1925年11月21日除籍


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