砲艦(河川モニター艦) ベルジャンスク

Gunboat(River Monitor) "Berdyansk"
Канонерские Лодки(Речной Мониторы) "Бердянск"


ソビエト赤軍(旧オーストリア・ハンガリー帝国→ユーゴスラビア→ルーマニア) ソビエト海軍 オーストリア・ハンガリー海軍 ユーゴスラビア海軍 ルーマニア海軍


Ardeal
Berdyansk
砲艦「ベルジャンスク」((上段)ルーマニア海軍「アーデアル」時代/(下段)ソビエト海軍時代?)
スペックデータ(兵装はソビエト海軍編入時)
排水量:(基)450t ボイラー:Yarrow罐・石炭専焼×2基 燃料搭載量:石炭 62t
全長:(全)59.0m
全幅:9.5m 主機:(メーカー不詳)三段膨張式レシプロ機関×2基、2軸推進
吃水:1.6m
出力:1,400hp
武装:
50口径12cm単装砲3基、63口径37mm単装機関砲4基、70口径
20mm単装機関砲4基
最大速力:10.0kt
航続距離:8ktで500浬
乗員定数:129名

同型艦名(1隻)
ベルジャンスク [Бердянск (Berdyansk)]

砲艦(河川モニター艦)ベルジャンスクについて

 元はルーマニア海軍のドナウ川用モニター艦「アーデアル」[Ardeal]だが、1944年にルーマニアがソビエトに降伏した際に鹵獲、艦籍編入となったものである。当艦の経歴は数奇なもので、一番最初の経歴はオーストリア・ハンガリー帝国海軍の河川モニター艦「テメス」[Temes]として建造されたところから始まる。
 第一次大戦で敗北したオーストリア・ハンガリー帝国は多くの領土を失い、当艦も独立したユーゴスラビア王国へ持って行かれることとなったが、すぐにルーマニアへ移っている。

 第二次大戦では1940年にソビエトがルーマニアの一部を占領したため、ルーマニアは枢軸国側として参戦し占領地を取り戻した。しかし枢軸国側の戦況が悪化するとルーマニアで政変が起き、1944年には単独で連合国へ降伏、連合国側として参戦することになった。当艦はこの降伏の前にソビエト軍が鹵獲している。
 ソビエト鹵獲後はドナウ小艦隊へ編入されることになったが、老朽化していたため第二線級の任務に従事するのみにとどまった。戦後はルーマニアへ返還され、1960年頃まで使用された。


砲艦(河川モニター艦)ベルジャンスクの歴史
ベルジャンスク [Бердянск (Berdyansk)]
1903年 1月ブダペストのダヌビウス社[Danubius Schenischen Hartmann AG]にて起工
1904年 3月26日進水
       4月15日竣工。オーストリア・ハンガリー帝国海軍モニター艦「テメス」[Temes]となる
1914年第一次大戦に参加。同年10月23日に触雷。浸水着底
1916年 6月27日浮揚修理後、翌年7月に再就役
1918年12月31日敗戦のためユーゴスラビアへ譲渡。艇名を「ドリナ」[Drina]と改名
1920年 4月15日オーストリア・ハンガリー艦隊の分割条約に基づきルーマニアへ割譲
艇名を「アーデアル」[Ardeal]と改名し、ルーマニア海軍へ編入
1940年第二次大戦に参加。ドナウ川で対ソ戦に従事
1941年 8月21日ビルコボ[Vilkovo](現ウクライナ・ルーマニア国境)付近にてソ連機の爆撃を受け損傷
1944年 5月 9日イズマイール[Izmail](現ウクライナ国内)付近にてソビエト軍に鹵獲
(同年8月26日ルーマニアは連合国へ降伏。同日枢軸国へ宣戦布告)
      10月30日(11月10日説あり)ソビエト海軍ドナウ小艦隊へ編入。艇名を「ベルジャンスク」と改名
1948年 2月28日退役
1951年 7月 3日ルーマニアへ返還。ルーマニア海軍へ編入。艇名を「M207」と改名
1960年(1959年説あり)除籍


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