アゾフ型 砲艦(河川モニター艦)

"Azov" class Gunboat(River Monitor)
Канонерские Лодки(Речной Мониторы) класса "Азов"


ソビエト赤軍(旧ルーマニア→オーストリア・ハンガリー帝国→ルーマニア) ソビエト海軍 オーストリア・ハンガリー海軍 ルーマニア海軍


Mariupol
砲艦「マリウポリ」(撮影時期不詳:Photo from Wikipedia)
スペックデータ(武装はソビエト海軍編入時)
排水量:(基)680t ボイラー:Yarrow罐・石炭専焼×2基 燃料搭載量:石炭60t
全長:(全)63.5m
全幅:10.5m 主機:(メーカー不詳)三段膨張式レシプロ機関×2基、2軸推進
吃水:1.8m
出力:1,800hp
武装:
50口径12cm単装砲3基、63口径37mm単装砲5基、70口径20mm
単装機関砲2基、12.7mm単装機銃4基
(「Mariupol」は20mm単装機関砲4基、12.7mm機銃は搭載せず)
最大速力:13.5kt
航続距離:10ktで1,500浬
乗員定数:119名

同型艦名(2隻)
アゾフ [Азов (Azov)]
(旧艇名「イオン・C・ブラティアヌ」[Ion C.Bratianu])
マリウポリ [Мариуполь (Mariupol)]
(旧艇名「アレクサンドル・ラチョヴァリ」[Alexandru Lachovari)])

アゾフ型 砲艦(河川モニター艦)について

 トリエステ(この自治都市は時代によって所属する国家が替わる。第一次大戦前はオーストリア・ハンガリー帝国領内だが、敗戦によりイタリアへ併合された)で建造された当クラスは、元はルーマニア海軍の河川用モニター艦だが、第一次大戦中の1915年にオーストリア・ハンガリー帝国に捕獲された。第一次大戦で帝国が敗戦したため、イギリスによる管理の後、ルーマニアへ返還されている。
 「アーデアル」よりも一回り大きな船体に、12センチ口径の砲を3門搭載しており、また機関出力も大きかったため最大で13ノット超えの速度を発揮できた。

 ルーマニアが連合国へ降伏した際にソビエトが鹵獲しドナウ小艦隊へ編入したことや、戦後ルーマニアに返還され1960年頃まで使用されたことは「ベルジャンスク」と同じ経過である。


アゾフ型 砲艦(河川モニター艦)の歴史
アゾフ [Азов (Azov)]
1906年トリエステ技術工場[Stabilimento Tecnico Triestino]にて起工
1907年進水。同年竣工。ルーマニア海軍モニター艦「イオン・C・ブラティアヌ」となる
1914年第一次大戦に参加
1915年オーストリア・ハンガリー帝国海軍に捕獲される
1916年近代化改修を実施(完了は翌年)
1918年第一次大戦終結。帝国の敗戦によりイギリスの管理下に置かれる
1920年ルーマニアへ返還され、再就役
1937年近代化改修を実施
1940年第二次大戦に参加。ドナウ川で対ソ戦に従事
1944年 8月26日ルーマニアは連合国へ降伏。同日枢軸国へ宣戦布告
ルーマニア艦艇はソビエト海軍の監視下に置かれる
      10月10日ソビエト海軍ドナウ小艦隊へ編入。同月30日艇名を「アゾフ」と改名
1945年 3月消磁設備を搭載し、磁気機雷掃海に従事
       4月ウィーン攻略を支援
1948年 2月28日退役
1951年 7月 3日ルーマニアへ返還。ルーマニア海軍へ編入。艇名を「M202」と改名
1960年頃除籍
マリウポリ [Мариуполь (Mariupol)]
1906年トリエステ技術工場にて起工
1907年進水。同年竣工。ルーマニア海軍モニター艦「アレクサンドル・ラチョヴァリ」となる
1914年第一次大戦に参加
1917年オーストリア・ハンガリー帝国海軍に捕獲される
1918年第一次大戦終結。帝国の敗戦によりイギリスの管理下に置かれる
1920年ルーマニアへ返還され、再就役
1937年近代化改修を実施(完了は翌年)
1940年第二次大戦に参加。ドナウ川で対ソ戦に従事
1944年 8月26日ルーマニアは連合国へ降伏。同日枢軸国へ宣戦布告
ルーマニア艦艇はソビエト海軍の監視下に置かれる
      10月10日ソビエト海軍ドナウ小艦隊へ編入。同月30日艇名を「マリウポリ」と改名
1948年 2月28日退役
1951年 7月 3日ルーマニアへ返還。ルーマニア海軍へ編入。艇名を「M201」と改名
1960年頃除籍


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