レニングラード型 (嚮導)駆逐艦

"Leningrad" Class Destroyer Leader
Лидеры класса "Ленинград"


ソビエト海軍


Moskva
スペックデータ(馬力・最高速度は計画値)
排水量:(基)2,032t ボイラー:GEU(ГЭУ)罐・重油専焼×3基 燃料搭載量:重油600t
全長:(全)127.48m
全幅:11.68m 主機:メーカー不詳ギヤードタービン×3基、3軸推進
吃水:4.18m
出力:66,000hp
武装:
50口径13cm単装砲5基、55口径7.6cm単装砲2基、46口径45mm
単装機関砲2基、55口径37mm単装機関砲3基、21inch魚雷4連装
発射管2基、爆雷32個(投射機1)もしくは機雷84個搭載可能
最大速力:43.5kt
航続距離:20ktで1,800浬
乗員定数:243名

同型艦名(3隻)
レニングラード
[Ленинград (Leningrad)]
モスクワ
[Москва (Moskva)]
ハリコフ
[Харьков (Kharkov)]

レニングラード型駆逐艦について
 革命後のソビエトでは低下した工業力を増強するため段階的な5カ年計画により工業力強化を図るこ ととした。その最初の5カ年計画である第一次5カ年計画により建造されたのが当駆逐艦である。
 それまで黎明期の比較的小型な近海用駆逐艦しか持っていなかったソビエト(旧帝政ロシア)海軍だ ったが、他国が駆逐隊を率いるための大型(嚮導)駆逐艦の建造を行ったため、これに倣い大型の嚮導 駆逐艦として1928年に『プロジェクト1』の名で建造がスタートしている。
 2,000トンを超える大型の船体を持つ駆逐艦であるが、搭載される兵装はその大型船体を持って しても過大と言えるものであったため復原性に劣り、6万馬力以上を発揮する機関で40ノット超の最 高速度を目指したが、この機関は好調に動作することがほとんど無く、設計値である43ノットを発揮 することは叶わなかった。
 3隻建造された姉妹艦のうち大戦を生き残ったのはネームシップである「レニングラード」だけで、 黒海艦隊に所属した残り2隻は戦没してしまっている。

レニングラード型駆逐艦の歴史
レニングラード [Ленинград(Leningrad)]
1932年11月 5日ジダーノフ(190)工廠にて起工
1933年11月17日進水
1936年12月 5日竣工
 バルチック艦隊に所属し各種任務に従事
1939年〜独軍の侵攻により交戦状態となる
1941年10月12日レニングラードにて独軍重砲の攻撃を受け損傷を負う
     11月11日バルト海にて触雷、損傷を負う
     11月末〜オーバーホールを実施。完了は翌年5月
1942年夏〜戦線に復帰するが目立った作戦参加は無く、終戦後退役となる
1949年 1月12日再就役
1951年12月19日〜近代化改修工事を実施。完了は54年11月
1958年 4月18日標的艦へ類別変更。艦名を「TsL-75」と改称
1959年10月13日北海艦隊へ転属
1960年 9月15日非武装化され倉庫船となる。艦名を「PZK-16」と改称
1962年〜対艦ミサイル実験の標的船として使用される
1963年 5月白海にてミサイル標的として使用され、沈没
モスクワ [Москва(Moskva)]
1932年10月29日マルティ(198)工廠にて起工
1934年10月30日進水
1938年 8月10日竣工
 黒海艦隊に所属し各種任務に従事
1939年〜独軍の侵攻により交戦状態となる
1941年 1月26日コンスタンツァ上陸戦を支援中、触雷沈没
(自軍潜水艦の誤射による沈没説もある)
ハリコフ [Харьков(Kharkov)]
1932年10月29日マルティ(198)工廠にて起工
1934年 9月 9日進水
1938年11月10日竣工
 黒海艦隊に所属し各種任務に従事
1939年〜独軍の侵攻により交戦状態となる
1941年 6月〜ルーマニアへの上陸作戦を支援
1943年10月 6日ヤルタ沖にて対地砲撃任務に従事中、独軍機の攻撃を受け沈没


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