マーシャル・ネイ型 モニター艦

"Marshal Ney" Class Monitors

英国海軍 イギリス海軍


HMS Marshal Ney
HMS「マーシャル・ネイ」(1915年:Photo from Wikimedia Commons)
スペックデータ(建造当初:【 】内はMarshal Ney、[ ]内はMarshal Soultのデータ)
排水量:(常)6,670t ボイラー:−−−−− 燃料搭載量:重油235t
全長:(全)108.3m
全幅:27.5m 主機:MAN式ディーゼル機関×2基、2軸推進
    [Marshal Soult はVickers式ディーゼル機関×2基、2軸推進]
吃水:3.2m
出力:1,500hp
武装:
42口径15inch(38.1cm)連装砲1基【1916年に40口径23cm単装砲1基へ換装】、
50口径12pdr(7.6cm)単装砲2基、50口径3pdr(4.7cm)単装砲1基[1918年撤去]、
【1916年に40口径15cm単装砲4基、1918年に3inch単装高角砲2基を追加】
[1917年に40口径15cm単装砲2基を追加、1918年に撤去][1918年に50口径10cm
単装砲8基、3inch単装高角砲2基を追加][1937年に15inchおよび10cm砲撤去]
最大速力:9.0kt
航続距離:4ktで1,500浬
乗員定数:187名

同型艦名(2隻)
マーシャル・ネイ[Marshal Ney]マーシャル・スール[Marshal Soult]

マーシャル・ネイ型モニター艦について

 19世紀アメリカの南北戦争で合衆国(北軍)海軍が使用した軍艦「モニター」[USS Monitor]は、小型の船体に砲塔に搭載した大口径主砲を装備した装甲艦であった。「モニター」は姉妹艦と連合国(南軍)艦隊の足止めや対地砲撃などに従事し成果を残した。「モニター」は連合国が投入した装甲艦「バージニア」[CSS Virginia]とともに、旧来の木造帆船の戦列艦やフリゲート艦とは異なる戦いぶりで、新たな装甲艦による海戦の時代を築いたといわれている。
 この「モニター」の成果を見た各国海軍により、(大型の装甲艦より)比較的低予算で建造できる強力な沿岸用の戦闘艦として同様の艦が建造されることになった。これらの艦は小型かつ低い乾舷の装甲化船体に強力な主砲塔を搭載する機走艦として建造されており、一般的に米艦「モニター」の名前からモニター艦と呼ばれるようになった。

 イギリスでは、第一次大戦勃発とともにブラジル海軍の発注により英国内で建造中だった「ジャヴァリ」[Javari]型3隻を接収し、「ハンバー」[HMS Humber]型と名付け英海軍籍に編入したのが最初のモニター艦であったが、その後もイギリス海峡の長い海岸線を防御するためには沿岸用モニター艦が多数必要だとして、「アバクロンビー」[HMS Abercrombie]型4隻に始まる大量の建造を1914年末から開始した。

 当クラスは「アバクロンビー」の次に建造着手した「ロード・クライブ」[HMS Lord Clive]型8隻に続く形で建造されたもので、「クライブ」型が搭載する30センチ砲よりも強力な38センチ砲が搭載されることになった。この38センチ砲は今後建造する英海軍の戦艦に用いる連装砲塔のテストケースとしての意味合いもあった。低乾舷低吃水の厚みがない小型の船体には従来のボイラーを組み込むことが困難だったため、当クラスではディーゼル機関が採用されているが、調達したディーゼル機関は小型の船舶用だったため艦の大きさに比べ低出力であり、最高速度は9ノット(計画値。実際には6ノット程度であったと言われる)しか発揮できなかった。艦の速度があまりに遅いため「ネイ」は1916年に主砲塔を撤去し、代わりに23センチ砲1門として艦の軽量化を図っているが、性能に変化は無かったため以降に建造される英海軍の大型モニター艦にはディーゼルエンジンは使用されなかった。
 当クラスは第一次大戦後は砲術練習船となり、第二次大戦時には「ネイ」は機関員練習船、「スール」は補給船として使用されていたため、実戦への参加は無かった。


マーシャル・ネイ型モニター艦の歴史
マーシャル・ネイ[Marshal Ney]
1915年 1月パルマーズ造船[Palmers Shipbuilding and Iron Company]にて起工
       6月17日進水
       8月竣工
1915年後半〜ドーバー管区にて作戦に従事
1916年主砲塔の換装工事を実施
1918年兵装の追加工事を実施
1919年〜クイーンズバラにて基地船[base ship]として使用される
1920年〜非武装化され、フォート・ブロックハウスにて補給船として使用される
1922年 6月〜艦名を「ヴィヴィッド」[Vivid]と改名。機関員練習船として使用される
1934年艦名を「ドレイク」[Drake]と改名
1947年艦名を「アロニア2」[Alaunia II]と改名
1957年10月スクラップとして売却。後に解体処分
マーシャル・スール[Marshal Soult]
1915年 2月パルマーズ造船にて起工
       8月24日進水
       11月竣工
1915年末〜ドーバー管区にて作戦に従事
1917年兵装の追加工事を実施
1918年兵装の追加・換装工事を実施
       4月23日オーステンデ(ベルギー)への対地砲撃を実施(第一次オーステンデ襲撃)
      10月ポーツマスの英海軍砲術学校へ転属
1921年 3月退役。デヴォンポートにて保管船となる
1924年再就役
1926年 4月〜チャタムにて練習船として使用される
1937年主砲および10センチ砲の撤去を実施
1940年 3月非武装化され、ポーツマスにて補給船として使用される
1946年 7月10日スクラップとして売却。後に解体処分


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