エメラルド型(E型) 軽巡洋艦

"Emerald" Class(E-Class) Light Cruisers

英国海軍 Royal Navy


HMS Emerald

HMS Enterprise
(上段)「エメラルド」(1920年代)/(下段)「エンタープライズ」(1943年)
スペックデータ(竣工時:【 】内はEnterprise(1936年)のデータ)
排水量:(常)7,550t
    【(常)7,580t】
ボイラー:Yarrow罐・重油専焼×6基 燃料搭載量:重油1,746t
全長:(全)173.7m
全幅:16.6m 主機:Brown-Curtis式ギヤードタービン×4基、4軸推進
吃水:5.0m
出力:80,000hp
武装:
45口径6inch単装砲7基【同単装砲5基および50口径6inch連装砲1基】、
45口径4inch単装高角砲3基、2pdr単装ポンポン砲2基、21inch魚雷4連装
発射管4基、水偵1機搭載(後に射出機を撤去し対空レーダー・機銃を増設)
最大速力:33.0kt
航続距離:15ktで8,000浬
乗員定数:572名

同型艦名(2隻+未着工1隻)
エメラルド[Emerald]エンタープライズ[EnterPrise]ユーフレィティズ[Euphrates]

エメラルド型(E型)軽巡洋艦について
 第一次大戦時に発注建造された最後の軽巡洋艦。敵国ドイツ海軍が保有していると噂されていた新型の高速巡洋艦に対抗するため、最高速度を33ノットとして計画設計された。「ダナエー」型(後期グループ)の設計を基にしているが、高速発揮のため船体は約30メートルも延長されており、排水量は5割増しとなった。そのため機関は従前のC型・D型軽巡二隻分が搭載され、最大出力八万馬力を発揮するに至った。船体は延長されたものの、主砲はD型より1門増えただけであったが、魚雷は4連装発射管4基16門とC型と比べて倍増した。また、射出機が装備され水上偵察機1機を搭載することが可能となっている(第二次大戦時に対空火力増強のため、射出機は撤去され対空レーダーや対空機銃が増設された)。
 1918年3月に3隻の建造が発注されたが、第一次大戦終結にともない1隻はキャンセルとなり、建造された2隻も完成が急がれず1920年代半ばに就役した。第二次大戦では両艦とも他の旧式軽巡と同様、各地の戦線へ展開して活躍しており終戦直前まで現役として使用されたが、終戦前に予備役艦となり戦後に解体処分されている。

エメラルド型(E型)軽巡洋艦の歴史
エメラルド[Emerald]
1918年 9月23日アームストロング・ホイットワース社にて起工
1920年 5月19日進水
1926年 1月14日竣工。習熟訓練後は東洋艦隊へ配属
1927年 3月南京事件(中国国民革命軍による在南京領事館・居留民襲撃)勃発
現地にて英国権益および英国籍居留民保護のため行動する
1933年 7月〜本国へ帰還。オーバーホールを実施
1934年 8月〜再度、東洋艦隊へ配属
1937年 9月本国へ帰還。予備役艦となる
1939年 9月〜第二次大戦勃発のため再就役。北大西洋にて哨戒・船団護衛に従事
1941年初頭〜インド洋へ転戦。中東・ペルシャ湾にて船団護衛などに従事
       6月15日マラッカ沖にて英軽巡「ドーントレス」と衝突
      12月〜対日戦勃発。東洋艦隊に所属し東南アジア方面へ展開
1942年 8月〜本国へ帰還。修理および対空兵装改修を実施(完了は翌年初頭)
1943年 4月再度、東洋艦隊へ配属
1943年末〜本国へ帰還。大西洋方面にて船団護衛などに従事
1944年 5月〜ノルマンディー上陸などを支援
1945年 1月予備役艦となる
1947年標的艦として使用される
同年10月24日ロスシー(グラスゴー西方)沖にて実艦標的として沈没
1948年 6月浮揚され、解体処分となる
エンタープライズ[EnterPrise]
1918年 6月28日ジョン・ブラウン造船にて起工
1919年12月23日進水
1926年 4月 7日竣工。習熟訓練後は第4巡洋艦戦隊へ配属されインド洋で行動
1929年ケニアにて行われたラグビーの国際親善試合に選手として将兵を派遣
この親善試合は現在もエンタープライズ・カップとして毎年開催されている
1934年 7月本国へ帰還。オーバーホールおよび兵装改修を実施
艦首の主砲2門を連装砲塔1基へ換装した
1936年 1月再度、東インドへ配属
       5月イタリアのエチオピア侵攻を受け、エチオピア皇帝ハイレ・セラシエ一世を
ジブチから脱出させ、ロンドンへ亡命させる
1938年 9月30日予備役艦となる
1939年 9月〜第二次大戦勃発のため再就役。北大西洋にて哨戒・船団護衛に従事
1940年 4月〜本国艦隊へ転属。ノルウェーにて陸上部隊の支援を行う
       6月〜H戦隊へ転属。地中海方面へ展開
       7月 3日メルセルケビール海戦に参加
1941年初頭〜インド洋へ転戦。哨戒任務などに従事
      12月〜対日戦勃発。東南アジア方面にて船団護衛などに従事
1942年 4月 8日セイロン沖海戦で沈没した英重巡の生存者救助を行う
      12月本国へ帰還。修理および対空兵装改修を実施(完了は翌年)
1943年12月24日〜ストーンウォール作戦(独船の封鎖突破阻止)に参加
      12月28日ビスケー湾にて独艦隊と交戦(ビスケー湾の戦い)。独魚雷艇を撃沈
1944年 2月デヴォンポート工廠にて修理を実施
       5月〜ノルマンディー上陸などを支援
      10月予備役艦となる
1945年 5月〜再就役。アジア・アフリカ方面からの復員兵輸送に従事
1946年 1月退役。同年4月解体処分
ユーフレィティズ[Euphrates]
1918年 3月フェアフィールド造船へ建造発注
      11月26日発注キャンセル


検索画面に戻るときはブラウザの「戻る」等の機能を使用してください。 LAST UPDATE 2016,02,28