ダナエー型(D型) 軽巡洋艦

"Danae" Class(D-Class) Light Cruisers

英国海軍 他 Royal Navy Marynarka Wojenna





(上段)「ダナエー」(1937年)/(下段)「ディスパッチ」(1942年)
スペックデータ(竣工時:【 】内は防空巡改装後(Delhiのみ))
排水量:(常)4,850t ボイラー:Yarrow罐・重油専焼×6基 燃料搭載量:重油1,050t
全長:(全)144.0m
全幅:14.1m 主機:Brown-Curtis式ギヤードタービン×2基、2軸推進
    (Dauntless、DiomedeはParsons式ギヤードタービン×2基)
吃水:5.0m
出力:40,000hp
武装:
45口径6inch単装砲6基、40口径3inch単装高角砲2基、2pdr単装ポンポン砲2基、
21inch魚雷3連装発射管4基、【主・副砲を撤去し38口径5inch単装高角砲5基、
2pdr4連装ポンポン砲2基、70口径20mm連装機銃2基、同単装機銃6基】
最大速力:29.0kt
航続距離:15ktで5,000浬
乗員定数:450名

同型艦名(8隻+未着工4隻)
(第1グループ:3隻)
ダナエー[Danae]ドーントレス[Dauntless]ドラゴン[Dragon]
(第2グループ:3隻)
デリー[Delhi]ダニーデン[Dunedin]ダーバン[Durban]
(第3グループ:2隻+キャンセル4隻)
ディスパッチ[Despatch]ダイオーミード[Diomedo]ディダラス[Daedalus]
デアリング[Daring]デスパレート[Desperate]ドライアド[Dryad]

ダナエー型(D型)軽巡洋艦について
 第一次大戦時に量産されたC型軽巡洋艦に続いて計画された軽巡。敵国であるドイツ海軍が保有していた新型軽巡は15センチ砲を8門搭載しており、これに対抗するため船体を延長し、C型では5門だった6インチ(15.2センチ)砲を6門に増やしている。しかし、それでも砲門数は劣っていたので、攻撃力を強化するために魚雷発射管は3連装に変更され、雷撃力は1.5倍(連装4基8門から3連装4基12門)へ強化された。基本的にC型軽巡の改良型として設計されているが、最初に建造された3隻は「シアリーズ」型と同様のナックルラインを持つ艦首をしており、続く「デリー」以降の艦では「カーライル」型のようにガンネルの高い艦首となっている。
 戦時中ということで全部で12隻の建造が計画されたが、第一次大戦の終結により4隻が発注をキャンセルされているため、就役したのは8隻であった。大戦末期に建造が行われたため、ほとんどの艦が第一次大戦では戦闘に参加することはなく、第二次大戦まで特に大きな改修などを行わずに使用されていた。第二次大戦では2隻(当初は「ドラゴン」を貸与。「ドラゴン」損傷後に代艦として「ダナエー」)が自由ポーランド海軍へ貸与されており、また、姉妹艦のうち「デリー」のみが防空巡へ改装された。姉妹艦8隻のうち3隻が戦没(2隻は人工岩礁(防波堤)として自沈処分)しているが、生き残った艦も終戦後すぐに解体処分となった。

ダナエー型(D型)軽巡洋艦の歴史
ダナエー[Danae]
1916年12月 1日アームストロング・ホイットワース社にて起工
1918年 1月26日進水
       7月22日竣工
 第一次大戦に参加。第5巡洋艦戦隊に所属し、北海での哨戒任務などに従事
1919年ロシア内戦に介入。共産勢力に対抗するためバルト海へ進出
1920年 2月大西洋艦隊第2巡洋艦戦隊へ転属
1923年11月〜スペシャル・サービス隊へ転属。海軍の宣伝活動のため世界巡航に参加
1927年〜地中海艦隊へ転属
1929年〜オーバーホールおよび近代化改修を実施
1930年第8巡洋艦戦隊(西インド諸島駐留)へ転属
1935年日中戦争勃発のため、上海・香港を脱出する英国人保護に出撃
      11月〜予備役艦となる
1939年 7月〜再就役。大西洋方面で任務に従事
第二次大戦勃発後は、インド洋方面へ進出
1940年 3月〜マラヤ方面隊へ転属。蘭領東インド・シンガポール方面の哨戒に従事
       1月〜中国方面隊へ転属。黄海・蘭領東インド方面の哨戒に従事
1942年夏〜ケープタウンにてオーバーホール・改装工事を実施
工事完了は翌年7月。完了後は戦隊へ復帰
1944年 3月〜本国艦隊へ転属。同年5月〜ノルマンディ上陸を支援
       8月予備役艦となり、プリマスにて係留倉庫船(ハルク)として使用される
      10月 4日自由ポーランド海軍へ貸与。艦名を「コンラッド」[Conrad]と改名
1945年 5月〜第二次大戦終結。ヴィルヘルムスハーフェン進駐や、北欧への輸送などに従事
1946年 9月28日英国へ返還。艦名を「ダナエー」へ戻す
1948年 1月22日スクラップとして売却。同年3月解体処分
ドーントレス[Dauntless]
1917年 1月 3日パーマーズ造船鉄工社にて起工
1918年 4月10日進水
      11月22日竣工
1919年ロシア内戦に介入。共産勢力に対抗するためバルト海へ進出
1920年 2月大西洋艦隊第1巡洋艦戦隊へ転属
1923年11月〜スペシャル・サービス隊へ転属。海軍の宣伝活動のため世界巡航に参加
1928年 5月〜北米・西インド諸島艦隊へ転属
       7月カナダ・ハリファクス沖にて座礁、損傷を負う
引き揚げ後に修理を実施。完了は29年末。完了後は戦隊へ復帰
1934年〜地中海艦隊第3巡洋艦戦隊へ転属
1935年〜予備役艦となる
1939年 7月〜再就役。南大西洋方面で任務に従事
第二次大戦勃発後は、黄海・マラヤ方面へ進出
1941年 6月15日マラッカ沖にて英軽巡「エメラルド」と衝突、損傷
シンガポールにて修理を実施(完了は同年8月)
1942年 2月本国へ帰還。ポーツマスにて修理後、再度東洋艦隊へ転属
      11月南ア・サイモンズタウンにて乾ドック入渠。修理完了は翌年1月
1943年 1月〜練習艦として使用される
1945年 2月予備役艦となる
1946年 2月13日スクラップとして売却。同年4月解体処分
ドラゴン[Dragon]
1917年 1月24日スコッツ造船にて起工
      12月29日進水
1918年 8月16日竣工
1919年 8月英皇太子(後の英国王エドワード8世)カナダ行啓の御召艦となる
1919年10月〜ロシア内戦に介入。共産勢力に対抗するためバルト海へ進出
同年10月17日リガの海岸陣地を砲撃
1920年大西洋艦隊第1巡洋艦戦隊へ転属
1923年11月〜スペシャル・サービス隊へ転属。海軍の宣伝活動のため世界巡航に参加
1926年 2月〜地中海艦隊へ転属
      10月〜東洋艦隊中国ステーションへ転属
1928年12月〜予備役艦となる
1930年 3月再就役。北米・西インド諸島艦隊へ配属
1937年 7月〜予備役艦となる
1939年 7月〜再就役。北大西洋方面で任務に従事
第二次大戦勃発後は、シェットランド方面にて対潜哨戒などに従事
      11月独ポケット戦艦「グラフ・シュペー」追撃に参加
1940年 2月〜地中海艦隊へ転属。船団護衛や哨戒任務に従事
1941年12月〜対日戦勃発。ABDA艦隊に所属し、インド洋・ジャワ海方面で作戦に従事
1942年秋〜本国へ帰還。近代化改修工事を実施
1943年 1月15日自由ポーランド海軍へ貸与。艦名は「ドラゴン」のまま
(ただし[dragon]は、ポーランド語では「竜」[smok]よりも「竜騎兵」[dragoni]に近い)
       8月〜近代化改修工事完了。北海の船団護衛などに従事
1944年 6月 2日〜ノルマンディ上陸を支援
トゥルビルやカーンの敵陣地を砲撃
       6月18日触雷損傷した英戦艦「ネルソン」を護衛して本国へ帰還
       7月 7日カーン沖にて独小型潜「ニガー」の攻撃を受け大破
       7月10日〜放棄が決定。兵装の撤去や乗員の退避が行われる
       7月16日除籍。曳航されクルス=シュル=メール沖へ移動
同月20日に人工岩礁として自沈処分となる
デリー[Delhi]
1917年10月29日アームストロング・ホイットワース社にて起工
1918年 8月23日進水
1919年 6月竣工
1919年末〜ロシア内戦に介入。共産勢力に対抗するためバルト海へ進出
1936年夏スペイン内戦勃発。マルタを拠点に難民救助などに従事
1939年 9月〜第二次大戦勃発。北海やスカンジナビア沖方面にて対潜哨戒などに従事
1941年12月〜米ブルックリン海軍工廠にて防空巡への改装工事を実施(完了は翌年夏)
1942年 9月〜地中海方面で上陸作戦を支援
      11月20日作戦中、伊軍機の攻撃を受け艦尾切断の大破
英本国にて修理を実施(完了は翌年4月)
1944年 1月〜アンツィオ上陸を支援。同月29日作戦中に僚艦と衝突し損傷
       6月〜南フランス上陸を支援
1945年 2月12日ユーゴスラビア(現クロアチア)・スプリト沖にて独海軍の特攻艇攻撃を受け損傷
       4月〜損傷修理は行われず放置となる(終戦時点で予備役艦?)
1948年 1月22日スクラップとして売却。同年4月解体処分
ダニーデン[Dunedin]
1917年11月 5日アームストロング・ホイットワース社にて起工
1918年11月19日進水
1919年 9月13日竣工
1920年10月物資揚陸の警護のためダンツィヒへ派遣される
1924年〜中国ステーション・ニュージーランド部隊(後のニュージーランド海軍)へ派遣
1931年 2月ニュージーランドのホークスベイ地震に際し救援を実施
1937年本国艦隊へ復帰
1939年 9月〜第二次大戦勃発。哨戒任務などに従事
      11月29日英仮装巡洋艦「ラワルピンディ」[Rawalpindi]を撃沈した独艦隊追撃に参加
1940年初頭〜北米・西インド諸島艦隊へ転属。カリブ海の哨戒任務などに従事
       3月 8日カリブ海にて独商船「ハノーバー」[Hannover]を拿捕
(「ハノーバー」は後に改装され護衛空母「オーダシティ」となる)
       7月〜マルティニーク島の封鎖に参加
1941年 6月15日独商船「ロートリンゲン」[Lothringen]を拿捕
(「ロートリンゲン」は後に給油艦「エンパイア・サルベージ」となる)
      11月24日南大西洋にて独潜「U-124」の攻撃を受け沈没
ダーバン[Durban]
1918年 1月スコッツ造船にて起工
1919年 5月29日進水
1921年11月 1日竣工
1922年〜第5巡洋艦戦隊に所属し、中国ステーションへ配備
1928年〜北米・西インド諸島艦隊へ転属
1931年本国艦隊へ転属。南大西洋方面にて行動
1934年 3月〜地中海艦隊へ転属
1936年 9月予備役艦となる
1939年 9月〜第二次大戦勃発のため現役に復帰。第9巡洋艦戦隊に所属し南大西洋で行動
1940年 3月〜インド洋経由でシンガポールへ進出。東洋艦隊へ転属
1942年 2月ジャワ海で船団護衛中、日本軍機の攻撃を受け損傷を負う
同年4月から修理を実施(完了は同年8月)
      12月 8日モンバサ港にて座礁
離礁後はボンベイにて仮修理後、ニューヨークで修理を実施(完了は同年6月)
1943年11月予備役艦となる
1944年 6月 9日仏ウイストラム沖に防波堤として自沈処分
ディスパッチ[Despatch]
1918年 7月 8日フェアフィールド造船にて起工
1919年 9月24日進水
1922年 6月 2日竣工
1939年 9月〜第二次大戦勃発のため現役に復帰。南大西洋で行動
      12月 5日チリ沖にて独商船「デュッセルドルフ」[Düsseldorf]を拿捕
1940年 3月 1日カリブ海アルバ島沖にて独商船「トロヤ」[Troja]を捕捉するも、
「トロヤ」は捕獲をおそれ自沈した
1940年後半〜地中海にて船団護衛に従事
1945年 1月予備役艦となる
1946年 4月 5日スクラップとして売却される。同年5月解体処分
ダイオーミード[Diomedo]
1918年 6月 3日ビッカース社にて起工
1919年 4月29日進水
1922年10月竣工
1926年〜中国ステーション・ニュージーランド部隊(後のニュージーランド海軍)へ派遣
1931年 2月ニュージーランドのホークスベイ地震に際し救援を実施
1935年本国艦隊へ復帰
1936年 3月31日予備役艦となる
1939年 9月〜第二次大戦勃発のため現役に復帰。北大西洋で行動
1940年〜地中海艦隊へ転属
1940年後半〜北米・西インド諸島艦隊へ転属
      12月 8日メキシコ沖にて独商船「イーダルヴァルト」[Idarwald]を捕捉するも、
「イーダルヴァルト」は捕獲をおそれ自沈した
1942年〜第9巡洋艦戦隊へ転属。南大西洋にて行動
1943年 9月〜本国へ帰還。以降は練習艦として使用される
1945年 5月?終戦により予備役艦となる
1946年 4月 5日スクラップとして売却される。同年5月解体処分
ディダラス[Daedalus]
1918年 3月アームストロング・ホイットワース社へ建造発注
      11月26日発注キャンセル
デアリング[Daring]
1918年 3月ビアドモア造船へ建造発注
      11月26日発注キャンセル
デスパレート[Desperate]
1918年 3月ホーソン・レスリー社へ建造発注
      11月26日発注キャンセル
ドライアド[Dryad]
1918年 3月ビッカース社へ建造発注
      11月26日発注キャンセル


検索画面に戻るときはブラウザの「戻る」等の機能を使用してください。 LAST UPDATE 2016,02,27