シアリーズ型(C型) 軽巡洋艦

"Ceres" Class(C-Class) Light Cruisers

英国海軍


HMS Ceres

HMS Cardiff
(上段)「シアリーズ」(第一次大戦時)/(下段)「カーディフ」(1942年)
スペックデータ(WW2開戦時:【 】内は改修後のCoventry、Curlew、Curacoaの数値)
排水量:(常)4,150t ボイラー:Yarrow罐・重油専焼×6基 燃料搭載量:重油950t
全長:(全)137.2m
全幅:13.26m 主機:Brown-Curtis式ギヤードタービン×2基、2軸推進
   (CurlewのみParsons式ギヤードタービン×2基)
吃水:4.9m
出力:40,000hp
武装:
45口径6inch単装砲5基、45口径3inch単装高角砲2基、2pdr4連装ポンポン砲2基、
21inch魚雷連装発射管4基、【主・副砲を撤去し4inch連装高角砲4基、2pdr連装ポン
ポン砲8基(Curacoaは単装4基)】
最大速力:29.5kt
航続距離:10ktで5,900浬
      【12ktで3,250浬】
乗員定数:400名【437名】

同型艦名(5隻)
シアリーズ
[Ceres]
カーディフ
[Cardiff]
コベントリー
[Coventry]
キュラソー
[Curacoa]
クールー
[Curlew]

シアリーズ型(C型)軽巡洋艦について
 「カレドン」型に続いて1916年から1918年の間に建造されたC型軽巡洋艦。基本的に「カレドン」型と変化は無いが、凌波性を向上させるため艦首部分のナックルラインが大きくなっている。搭載機関はパーソンズ式からブラウン・カーチス式に変更されているが、最大出力や航続距離にあまり変化は無かった。
 1935年にイタリアとエチオピアの間でおこったアビシニア危機(翌年、戦争となり第二次エチオピア戦争とも呼ばれる)の際、イギリス海軍はジブラルタルへ展開したが、イタリア軍が保有する航空戦力に対して艦隊が脆弱であることが判明したため、当クラスの「シアリーズ」と「カーディフ」を防空軽巡へ改装することとなった。その後、1939年に「キュラソー」も同様の改修を実施した。
 第二次大戦では全艦が参戦し本国艦隊や地中海艦隊などで作戦に従事しているが、5隻の姉妹艦中3隻が戦没しており、生き残った2隻(「シアリーズ」と「カーディフ」)も終戦の翌年にスクラップとして売却されている。

シアリーズ型(C型)軽巡洋艦の歴史
シアリーズ[Ceres]
1916年 4月26日ジョン・ブラウン社にて起工
1917年 3月24日進水
       6月 1日竣工
       7月〜本国艦隊第6巡洋艦戦隊に所属し、第一次大戦に参加
1919年第3巡洋艦戦隊に転属。地中海方面で任務に従事
1920年ロシア内戦に介入。共産勢力に対抗するため黒海へ進出
1923年 3月30日コンスタンティノープル港にて米駆「フォックス」に衝突され損傷を負う
1927年本国艦隊へ転属
1929年〜オーバーホールを実施。完了後は予備役艦となる
1932年一時的に現役復帰。地中海艦隊に所属するが同年11月に再度予備役艦となる
1939年 9月〜第二次大戦勃発のため現役に復帰。デンマーク海峡の哨戒に従事
1940年 1月〜修理を実施。同年2月地中海へ進出しイオニア海などで哨戒任務に従事
       5月〜東洋艦隊に転属。インド洋の哨戒やアラビア海での護衛任務に従事
1941年 2月ソマリランドのイタリア軍攻撃などのためアデン湾へ展開
1942年対空兵装の強化改修を実施。完了後はジブチ方面で護衛任務に従事
1943年10月〜本国艦隊へ転属。王立海軍大学校の指揮艦[Station ship]として使用される
1944年 4月〜米海軍との共同作戦に従事。ノルマンディー上陸などを支援
       9月〜予備役艦となり、ポーツマスにて宿泊船として使用される
1946年 7月スクラップとして売却され、後に解体処分
カーディフ[Cardiff]
1916年 7月22日フェアフィールド造船にて起工
1917年 4月12日進水
       6月25日竣工
       7月〜本国艦隊第6巡洋艦戦隊に所属し、第一次大戦に参加
1921年11月マデイラ島へ流されるオーストリア=ハンガリー帝国皇帝カール一世を送り届ける
1920年代共産勢力への牽制のためバルト海方面へ展開
1930年代英海軍アフリカ艦隊の旗艦となる
1939年 9月〜第二次大戦勃発のため現役に復帰。哨戒任務などに従事
      11月29日英仮装巡洋艦「ラワルピンディ」[Rawalpindi]を撃沈した独艦隊追撃に参加
1942年後半〜練習艦として訓練任務に従事
1946年 1月23日スクラップとして売却され、後に解体処分
コベントリー[Coventry]
1916年 8月 4日スワンハンター社にて起工(当初の艦名は「コルセア」[Corsair])
1917年 7月 6日進水
1918年 2月21日竣工
 第5巡洋艦戦隊に所属し、第一次大戦に参加
1919年 5月〜国際連盟軍縮委員会の司令艦として任務に従事
1920年後半オーバーホールを実施。完了後は第2巡洋艦戦隊に転属し戦隊旗艦となる
1923年 3月ジブラルタルにて搭載魚雷の暴発事故をおこし損傷を負う
1935年防空軽巡への改装工事を実施
1939年 9月〜第二次大戦勃発。本国艦隊に所属し哨戒任務などに従事
1940年 1月 1日シェトランド諸島近海にて独軍機の攻撃を受け損傷を負う
修理完了後は地中海艦隊へ転属となる
      11月27日スパルティヴェント岬沖海戦に参加
      12月13日クレタ島沖にて伊潜「ネゲリ」の雷撃を受け損傷を負う
1942年 9月14日アレクサンドリア沖にて独軍機の攻撃を受け大破炎上。英駆「ズールー」の雷撃
により自沈処分となる(この1時間後に「ズールー」も独軍機の攻撃により沈没した)
キュラソー[Curacoa]
1916年 7月ハーランド&ウルフ社にて起工
1917年 5月 5日進水
1918年 2月18日竣工
 第5巡洋艦戦隊に所属し、第一次大戦に参加
1919年 4月大西洋艦隊第1巡洋艦戦隊に転属
       5月ロシア内戦に介入。共産勢力に対抗するためタリンへ進出
       5月17日タリン沖にて触雷し損傷を負う
修理のため英本国へ帰還
1928年本国艦隊へ転属
1935年地中海艦隊へ転属
1939年前半防空軽巡への改装工事を実施
1940年 4月24日ノルウェーの独軍への攻撃任務中、独軍機の攻撃を受け損傷を負う
       8月〜修理完了後は、本国北東部の船団護衛任務に従事
1942年10月 2日北アイルランド沿岸にて船団護衛任務中、兵員輸送中の客船「クイーン・メリー」
[Queen Mary](81,237総トン)に衝突され船体切断、沈没
クールー[Curlew]
1916年 8月21日ビッカース社にて起工
1917年 7月 5日進水
      12月14日竣工
 第一次大戦に参加
1935年防空軽巡への改装工事を実施
1939年 9月〜第二次大戦勃発。本国艦隊に所属し哨戒任務などに従事
1940年 5月26日ノルウェー沖にて任務中、独軍機の攻撃を受け沈没


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