アリシューザ型 軽巡洋艦

"Arethusa" Class Light Cruisers

英国海軍


HMS Arethusa
スペックデータ
排水量:(満)6,695t ボイラー:Admiralty罐・重油専焼×4基 燃料搭載量:重油1,325t
全長:(全)154.23m
全幅:15.55m 主機:Parsons式ギヤードタービン×4基、4軸推進
吃水:5.18m
出力:64,000hp
武装:
50口径6inch連装砲3基、45口径4inch単装砲4基(後に連装砲へ
換装)、21inch魚雷3連装発射管2基、水偵1機搭載
最大速力:32.5kt
航続距離:15ktで6,600浬
乗員定数:500名

同型艦名(4隻)
アリシューザ[Arethusa]ガラテア[Galatea]
ペネロープ[Penelope]オーロラ[Aurora]

アリシューザ型軽巡洋艦について
 「リアンダー」型と 同様にロンドン条約の制限下で建造された軽巡洋艦。「リアンダー」型よりも船体 を小型化しているため規模的には日本海軍の5,500トン型軽巡( 「球磨」型「長良」型)に 近いものがあるが、水雷戦隊旗艦としての役目を持っていた日本海軍の軽巡と異なり通商航路の警備を主 任務とするよう設計されている。
 基本的に「リアンダー」型から3番砲塔(艦後部中央よりの砲塔)部分を切り取って寸詰めにした形状 をしているが、排水量減少のためボイラーは3分の2に減らされている(また、重量軽減策として英巡洋 艦としては初めて広範囲に溶接を用いた艦でもある)。しかし小型化されてはいるものの、水偵搭載設備 や防御装甲などは充実しており、比較的大型の軽巡洋艦(というと矛盾した言い回しだが)と比べても何 ら遜色のない能力を持っていた。
 第二次大戦では建造当初に予定された当艦の主任務である哨戒・警備活動よりも艦隊随伴する戦列艦と して使用されることが多かったことも当クラスの能力の高さを示す証拠と言えよう。

アリシューザ型軽巡洋艦の歴史
アリシューザ[Arethusa]
1933年 1月25日チャタム工廠にて起工
1934年 3月 6日進水
1935年 5月23日竣工
 第3巡洋艦戦隊に所属し、地中海方面で行動
1940年初頭〜本国艦隊に編入され、ノルウェー近海で作戦に従事
      6月〜ジブラルタル付近で哨戒・船団護衛に従事
1941年 5月23日〜独戦艦「ビスマルク」追撃戦に参加
      12月24日〜ロフォーテン諸島上陸(アンクレット作戦)の事前演習に出撃
同月27日独軍機の攻撃を受け、回避時に英掃海艇「スコット」と衝突損傷
      12月末〜修理を実施。完了は翌年4月
1942年 6月〜第15巡洋艦戦隊に所属し、地中海方面で作戦に従事
     11月18日アレクサンドリア沖にて伊軍機の雷撃を受け損傷
     12月〜米国にて修理を実施。完了は43年2月
1943年 2月〜修理完了後、改修のためドック入り。完了は同年12月
1944年 6月〜戦線に復帰。ノルマンディ上陸作戦に参加
1945年 1月〜第15巡洋艦戦隊に所属し、地中海方面で作戦に従事
 戦後すぐに除籍され、実験船として使用される
1950年スクラップとして売却される
ガラテア[Galatea]
1933年 6月22日スコッツ社にて起工
1934年 8月 9日進水
1935年 8月 4日竣工
 地中海艦隊旗艦として、地中海方面で行動
1939年〜第二次大戦開戦のため本国艦隊へ編入
1940年 4月〜ノルウェー近海で作戦行動
      5月〜第2巡洋艦戦隊旗艦となる
     10月〜修理を実施。完了は翌年1月
1941年 5月23日〜独戦艦「ビスマルク」追撃戦に参加
      7月〜地中海艦隊に所属し、紅海方面で作戦に従事
     11月〜K部隊に所属し、北アフリカ近海で哨戒任務に従事
     12月14日エジプト沖にて独潜水艦「U−557」の雷撃を受け沈没
ペネロープ[Penelope]
1934年 4月30日ハーランド&ヴォルフ社にて起工
1935年10月15日進水
1936年11月13日竣工
 第3巡洋艦戦隊に所属し、地中海方面で行動
1940年初頭〜本国艦隊に編入され、ノルウェー近海で作戦に従事
      4月11日オストフィヨルドにて損傷を負う
 修理を実施。完了は翌年7月
1941年10月〜戦線に復帰。地中海方面で作戦に従事
     12月19日触雷により損傷を負う
 マルタ島で応急修理中に敵機の爆撃至近弾を受け、さらに損傷する
1942年 4月〜マルタ島を出港し、米ニューヨークへ回航される
      9月〜ニューヨーク海軍工廠にて本格的修理を実施。完了は翌年初頭
1943年〜第15巡洋艦戦隊に所属し、地中海方面で作戦に従事
1944年 1月アンツィオ上陸作戦を支援
      2月18日地中海にて独潜水艦「U−410」の雷撃を受け沈没
オーロラ[Aurora]
1935年 7月23日ポーツマス工廠にて起工
1936年 8月20日進水
1937年11月12日竣工
1939年〜第2巡洋艦戦隊に所属し、スカンジナビア方面の船団護衛に従事
 独戦艦「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」に対する哨戒を実施
1941年 5月23日〜独戦艦「ビスマルク」追撃戦に参加
      7月〜スピッツベルゲン島攻略作戦の支援
     12月19日触雷により損傷を負う
1942年 3月〜修理を実施。完了は同年7月
      7月〜北アフリカにおける反攻作戦を支援
1943年〜シシリー、サレルノなどへの上陸作戦を支援
     10月30日敵機の爆撃を受け損傷。修理は翌年4月完了
1944年 8月〜南フランスへの上陸作戦を支援
1948年 5月19日中国国府軍へ売却される。艦名を「チュン・キン」[Chung King]と改名
 中共軍に離脱し、艦名を「チョウ・キン」[Tchoung King]と改名
1949年 3月国府軍機の攻撃を受け損傷、着底
 浮揚修理の後、戦線に復帰
1951年何度か艦名を変更したことが判明しているが、以降の消息は不明


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