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スペックデータ(竣工時) | ||
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排水量:(常)6,740t | ボイラー:Yarrow罐・重油専焼×6基 | 燃料搭載量:重油1,500t |
全長:(全)158.5m | ||
全幅:18.0m | 主機:Parsons式ギヤードタービン×2基、2軸推進 (巡航用としてVickers式ディーゼル機関4基+電動モーター2基) | |
吃水:4.5m | ||
出力:40,000hp (電動時 8,000hp) |
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最大速力:27.8kt (電動時17.0kt) | ||
航続距離:12ktで4,500浬 | ||
乗員定数:395名 (戦時は560名) |
アドヴェンチャー[Adventure] |
19世紀に登場した触発式の機雷はクリミア戦争や南北戦争、日露戦争、第一次大戦などの戦争で大きな戦果を挙げた。しかし、これらの戦果は港湾の封鎖や海峡・航路の封鎖など守勢(受け身)のものであり、海戦などで攻勢的に機雷を使用するものではなかった。イギリス海軍では、艦隊に追従できるよう巡洋艦なみの性能を持ち、海戦時に搭載した機雷を散布できる航洋型の敷設艦を計画し、1920年代に1隻の建造を行った。
当艦は防護巡洋艦(軽巡洋艦)なみの船体に多数の機雷を搭載しており、また主砲も巡洋艦と同程度の火力を持った艦であったが、発達著しい主力艦と比較すると最高速度も平凡で装甲も薄かったため、巡洋艦としては戦力的価値の低いものであった。
竣工後は大西洋艦隊で任務に従事していたが、艦尾形状の欠陥(艦の推進により発生する水流に、投下した機雷が引き寄せられる)があったため、1930年代初頭に艦尾形状の改修が行われている。第二次大戦では機雷敷設や船団護衛の任務に従事しているが、大戦末期のフランス上陸作戦を支援した後は任務に従事することはなく、終戦直後に予備艦とされ1947年に除籍廃船となった。
敷設艦 アドヴェンチャーの歴史 | |
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アドヴェンチャー[Adventure] (M23) | |
1922年11月29日 | デヴォンポート工廠[Devonport Royal Dockyard]にて起工 (ディーゼル機関部分はヴィッカース社[Vickers Ltd.]にて別途建造) |
1924年 6月18日 | 進水 |
1926年10月 2日 | 竣工 |
1931年 | 艦尾形状の改修工事を実施(完了は翌年) |
1939年 9月〜 | 第二次大戦勃発。英仏海峡などで機雷敷設に従事 |
11月13日 | オランダ沖にて機雷敷設中、投下した機雷の暴発により船体に損傷を負う チャタム工廠まで曳航され応急修理後、プリマスへ回航される |
12月〜 | プリマスにて修理を実施(完了は翌年8月) |
1940年11月〜 | セントジョージズ海峡やビスケー湾などで機雷敷設に従事 |
1941年 1月14日 | リバプール湾にて搭載機雷の暴発により損傷を負う リバプールにて修理を実施(完了は同年7月) |
5月 7日 | 修理中、独軍機の空襲を受け損傷を負う |
7月末〜 | ムルマンスクへの船団護衛に従事 |
9月〜 | タービンに損傷が見つかりリバプールにて修理を実施(完了は同年11月) |
1942年 1月 | 戦線に復帰。東海岸沿岸や欧州南西部沖にて機雷敷設に従事 |
2月 3日 | ムルマンスクへの船団護衛のためクライド湾を出港 出港時に英戦車揚陸艦「タサヘラ」と衝突し損傷を負う |
2月中旬 | クライド湾にて応急修理後、サウサンプトンへ回航され修理を実施 |
6月〜 | 修理完了後、船団護衛や機雷敷設に復帰 |
1943年 1月〜 | 地中海へ転戦。オラン沖などで機雷敷設に従事 |
4月 | 本国へ帰還しオーバーホールを実施。ディーゼル機関を撤去 |
8月 4日 | 英掃海トローラ「ランディ」と衝突、損傷を負う ミルフォードヘブンにて応急修理後、デヴォンポートへ回航される |
9月〜 | デヴォンポートにて修理を実施(完了は翌年1月) |
1944年 4月〜 | フランス上陸作戦(ネプチューン作戦)の支援任務に従事 |
8月〜 | 本国艦隊へ転属。メンテナンスを実施 |
12月 | 待機状態となり、乗員定数を削減される |
1945年 8月 | 第二次大戦終結。予備艦となる |
1947年 7月 | 退役。後に解体処分 |