キング・ジョージV世型 戦艦

"King George V" Class BattleShips

英国海軍


Prince of Wales

HMS Anson
(上段)HMS「プリンス・オブ・ウェールズ(1941年)/(下段)HMS「アンソン」(1945年)

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
プリンス・オブ・ウェールズ
第46号(2014.10.28)
戦艦「プリンス・オブ・ウェールズ」1941年

スペックデータ
排水量:(満)44,650t ボイラー:Admiralty罐・重油専焼×8基 燃料搭載量:重油3,842t
全長:(全)227.0m
全幅:31.4m 主機:Parsons式オールギヤードタービン×4基、4軸推進
吃水:10.8m
出力:110,000hp
武装:
45口径14inch4連装砲2基、45口径14inch連装砲1基、50口径5.25inch連装砲8基、
45口径2pdrポンポン砲32〜48基、UP7inch対空機雷ロケット20連装ランチャー4基
(後にポンポン砲やロケットランチャーは撤去され40mmボフォース機関砲や20mmエリコン
機関砲が多数追加された)
最大速力:27.5kt
航続距離:20ktで6,300浬
乗員定数:1,530名

同型艦名(5隻)
キング・ジョージV世[King George V]プリンス・オブ・ウェールズ[Prince of Wales]
デューク・オブ・ヨーク[Duke of York]アンソン[Anson]ハウ[Howe]

キング・ジョージV世型戦艦について
 ワシントン海軍条約に基づいて建造された「ネルソン」型戦艦と同じように、当艦はロンドン海軍条約に基づき設計された戦艦である。当初ロンドン条約では排水量35,000トンや主砲口径14インチなどの上限が課せられる予定だったため、当艦の設計もそれに合わせた形となっている。(結局、条約では主砲口径の上限は課せられなかったのだが、「ネルソン」型で大口径主砲の設計開発が難航したことや船体基本設計の問題から口径アップは見送られ、14インチ砲のまま完成している)。
 「ネルソン」型と同様に、バイタルパートを必要最小限にすることで軽量化を図っており、そのため主砲配置は前後に四連装の砲塔各1基と前部に連装砲塔1基の計10門という特異な形を取っている。また5.25インチの副砲群は高射砲を兼ねる両用砲であったが、砲の旋回速度が遅く航空機に追随できなかったため高射砲としては今ひとつの性能であった。また「キング・ジョージV世」「プリンス・オブ・ウェールズ」には対空兵装として、非回転式発射体(Unrotated Projectile:空中に発射したロケット弾がパラシュートで空中を漂い、弾体から伸びたワイヤーに敵機が接触すると弾体の炸薬が爆発する空中機雷)という20連装の対空ロケット砲が4基搭載されていたが、効果的ではないとして1941年中頃に撤去されている。
 二番艦「プリンス・オブ・ウェールズ」は太平洋戦争開戦直後にマレー沖で日本海軍の陸上攻撃機に撃沈され、世界初の航空攻撃による沈没戦艦となっているが、残された姉妹艦達は大戦末期に日本本土を艦砲射撃する任務に投入、一応の敵を取った形となっている。

キング・ジョージV世型戦艦の歴史
キング・ジョージV世[King George V]
1937年 1月 2日ビッカース社にて起工
1939年 2月21日進水
1940年12月11日竣工
1941年 5月27日本国艦隊旗艦として独戦艦「ビスマルク」追撃戦に参加
1942年 5月 1日船団護衛任務中に駆逐艦「パンジャビ」と衝突、損傷を負う
1943年H部隊に所属し地中海方面で作戦に参加
       7月〜シチリア上陸作戦を支援
1944年破損個所の修理を実施。完了後は太平洋方面へ派遣される
1945年 7月日立市、浜松市などの軍需施設に対して艦砲射撃を実施
1946年予備役に編入される
1950年除籍。1958年1月スクラップとして売却される
プリンス・オブ・ウェールズ[Prince of Wales]
1937年 1月 2日キャンメル・レイアード社にて起工
1939年 5月 3日進水
1941年 1月19日竣工
1941年 5月27日独戦艦「ビスマルク」追撃戦に参加。中破
       8月米大統領との会談のためチャーチル首相をニューファンドランド島まで送迎する
       9月護衛部隊に所属し、ジブラルタル〜マルタの船団護衛に従事
      10月シンガポールへの派遣が決定、ケープタウン、コロンボ経由で回航される
      12月 2日シンガポール到着。東洋艦隊Z部隊旗艦となる
      12月 8日マラヤ北部に展開する日本軍船団に対する攻撃のためシンガポールを出港
      12月10日マレー半島沖にて日本海軍機の攻撃を受け沈没
デューク・オブ・ヨーク[Duke of York]
1937年 5月 5日ジョン・ブラウン社にて起工
1940年 2月28日進水
1941年11月 4日竣工
1942年本国艦隊に所属し、船団護衛任務等に従事
      11月H部隊旗艦として北アフリカ上陸(トーチ作戦)を支援
1943年10月ノルウェー沿岸の独船団攻撃(リーダー作戦)に参加
      12月26日北岬沖海戦に参加。独戦艦「シャルンホルスト」を撃沈
1945年 7月太平洋方面へ派遣される
       9月 2日英太平洋艦隊旗艦として東京湾へ入港。降伏調印に参加
1951年除籍。1958年2月スクラップとして売却される
アンソン[Anson]
1937年 7月20日スワン・ハンター社にて起工
1940年 2月24日進水
1942年 6月22日竣工
 本国艦隊に所属し、船団護衛任務等に従事
1943年 7月シチリア上陸作戦を支援
      10月ノルウェー沿岸の独船団攻撃(リーダー作戦)に参加
1944年ノルウェー沿岸への攻撃等に参加
       6月〜改修を実施。完了は翌年3月
1945年太平洋方面へ派遣される
       8月降伏調印のための艦隊先導艦として日本に寄港
1951年除籍。1957年12月スクラップとして売却される
ハウ[Howe]
1937年 6月 1日フェアフィールド社にて起工
1940年 4月 9日進水
1942年 8月29日竣工
 本国艦隊に所属し、船団護衛任務等に従事
1943年H部隊に所属し地中海方面で作戦に参加
       7月〜シチリア上陸作戦を支援
      10月破損個所の修理を実施。完了は翌年6月
1944年 7月太平洋方面へ派遣される
1946年練習戦艦に類別変更
1950年予備役に編入される
1955年除籍。1958年6月スクラップとして売却される


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