インセクト型 (河川)砲艦

Insect Class (River)Gunboats

英国海軍 他 イギリス海軍 日本海軍


HMS Scarab

HMS Aphis
(上段)砲艦「スカラブ」(1920年代)/(下段)砲艦「エイフィズ」(1940年代:Photo from Wikipedia Commons)
スペックデータ(平均的な数値)
排水量:(基)625t ボイラー:Yarrow罐・重油石炭混焼×2基 燃料搭載量:重油54t+石炭35t
     (Moth、Glowwormは重油75t)
全長:(全)72.39m
全幅:10.98m 主機:直立型往復動蒸気機関(3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水:1.22m
出力:2,000hp
武装:
45口径6inch単装砲2基、12pdr(40口径7.62cm)単装砲2基、7.7mm単装機銃6基
(一部の艇は2pdr(40mm)単装ポンポン砲1基や45口径3inch単装高角砲1基、
20mm単装機関砲1基などを追加搭載した)
最大速力:14.0kt
航続距離:10ktで5,750浬
乗員定数:55名

同型艦名(12隻)
エイフィス[Aphis]ビー[Bee]シカーラ[Cicala]
コッケファー[Cockchafer]クリケット[Cricket]グローウォーム[Glowworm]
ナット[Gnat]レディバード[Ladybird]マンティス[Mantis]
モス[Moth]スカラブ[Scarab]タランチュラ[Tarantula]

インセクト型(河川)砲艦について

 19世紀に清朝との戦争(阿片戦争)で勝利したイギリスは、講和条約により中国大陸への権益を得た。この権益や現地に住む英国民を守るため、イギリス海軍は大型の河川用砲艦を建造して中国大陸の港湾へ配備を行っている。そのため英海軍では、これら浅吃水の大型砲艦を総称して「チャイナ・ガンボート」[China gunboat]と呼称している。
 当クラスは第一次大戦前に建造が計画された大型砲艦で、艦名を昆虫の名前から採っているため「インセクト(昆虫)」型と呼ばれているが、他に「大型チャイナ・ガンボート」とも呼ばれている。ただし、「チャイナ」としたのは欺瞞工作で、実際には対オーストリア・ハンガリー帝国を仮想敵としてドナウ川流域で運用する計画だった。
 河川用砲艦なので、浅吃水の船体に乾舷の低い甲板を持っているが、外洋での航行も可能なよう艦首と艦尾の甲板が高くされている。主砲は当時の戦艦副砲にも使用されていた6インチ砲が艦の前後に搭載された。基本的に砲艦は政治的・外交的意図で行動するため、あまり強力な武装は施されていない。

 第一次大戦中に順次竣工した当クラスは、本国周辺やエジプト、ペルシャ湾などに配備されている。新兵器として飛行船や飛行機が登場した際には、これに対抗するため3インチ高角砲などが追加装備された。第一次大戦終結後もロシア内戦に一部の艇が参加している。
 第二次大戦では、それまでに除籍廃艦されていなかった艇が、東洋艦隊や地中海艦隊などに所属して戦闘を行っているが、香港に配備されていた「モス」は対日戦開戦直後に日本軍へ捕獲され、日本海軍砲艦「須磨」となった。


インセクト型(河川)砲艦の歴史
エイフィス[Aphis]
1915年エールサ造船[Ailsa Shipbuilding Company]にて起工
       9月15日進水
      11月竣工。ポートサイド(エジプト)へ配備され、第一次大戦に参加
1917年ブカレスト(ルーマニア)へ転戦。ドナウ川にて作戦支援に従事
1919年第一次大戦終結後、中国大陸へ派遣。長江小艦隊に所属し権益保護に従事
1940年 6月第二次大戦勃発のため地中海艦隊へ転属。アレクサンドリアへ拠点を移す
      12月〜トブルクにて陸軍への支援砲撃を実施
1943年 4月〜マルタ島へ転戦。パンテレリア上陸などを支援
1944年 7月〜連合軍特殊部隊の南仏上陸を支援
1945年 6月〜太平洋艦隊へ転属。翌月マヌス島(アドミラルティ諸島)へ進出
1945年後半対日戦終結後、シンガポールへ到着。そのまま退役。保管船となる
1946年除籍。同年5月スクラップとして売却
ビー[Bee]
1915年エールサ造船にて起工
      12月 8日進水
1916年竣工。ポートサイド(エジプト)へ配備され、第一次大戦に参加
1919年第一次大戦終結後、中国大陸へ派遣。長江小艦隊に所属し権益保護に従事
1920年長江小艦隊旗艦となる
1937年12月12日蕪湖(現中国安徽省)沖にて日本軍の誤認による砲撃を受け損傷
(レディバード号事件)
1938年退役。翌年スクラップとして売却
シカーラ[Cicala]
1915年バークレイ・カール社[Barclay Curle]にて起工
      12月19日進水
1916年 2月竣工。本国東岸に配備され、第一次大戦に参加
1919年ロシア内戦に際し、協商国として白軍支援に参加
1939年 9月〜第二次大戦勃発により、西江小艦隊[West River Flotilla]へ配属
1941年 1月〜香港へ転属
      12月21日対日戦勃発後も香港にて抗戦するが、日軍機の攻撃を受け沈没
コッケファー[Cockchafer]
1915年バークレイ・カール社にて起工
      12月17日進水
1916年 4月竣工。本国東岸に配備され、第一次大戦に参加
1919年ロシア内戦に際し、協商国として白軍支援に参加
1920年代中国大陸へ派遣。権益保護に従事
1926年 9月中国軍閥に英商船が拿捕抑留されたため、長江を遡上し万県(ワンシェン:現中国重慶市万州区)へ派遣。同月5日に中国兵と交戦。万県市街地への砲撃を行う(万県事件)
1939年 9月〜第二次大戦勃発に伴い、長江警備に従事
1940年初頭香港へ移動し、機雷敷設装備を搭載する工事を実施
1940年末〜東インド艦隊へ転属。ペルシャ湾にて任務に従事
1943年初頭〜地中海艦隊へ転属。マルタを拠点に作戦支援に従事
       7月シチリア上陸(ハスキー作戦)を支援
1945年初頭〜東洋艦隊へ転属。同年夏ビルマ攻略を支援
1945年後半対日戦終結後、シンガポールにて退役。保管船
1946年除籍。翌年解体処分
クリケット[Cricket]
1915年バークレイ・カール社にて起工
      12月17日進水
1916年竣工。本国東岸に配備され、第一次大戦に参加
1917年メソポタミア方面へ転戦。チグリス川などで作戦支援に従事
1919年ロシア内戦に際し、協商国として白軍支援に参加
1920年代中国大陸へ派遣。権益保護に従事
1940年第二次大戦勃発のため地中海艦隊へ転属。アレクサンドリアへ拠点を移す
1941年 7月12日イタリア軍機の攻撃を受け大破。アレクサンドリアにて係留放置となる
1942年 6月30日全損判定となり、部品取りのためスペアとされる
1944年キプロス沖にて航空機訓練の実艦標的として使用され沈没
グローウォーム[Glowworm]
1915年バークレイ・カール社にて起工
1916年 2月 5日進水
1916年竣工。本国東岸に配備され、第一次大戦に参加
1919年ロシア内戦に際し、協商国として白軍支援に参加
1920年弾薬用はしけの爆発事故に巻き込まれ損傷を負う。後に全損判定となる
1928年除籍。同年9月解体処分
ナット[Gnat]
1915年ロブニッツ社[Lobnitz]にて起工
      12月 3日進水
1915年末?竣工。ペルシャ湾に配備され、第一次大戦に参加
1917年メソポタミア方面へ転戦。チグリス川などで作戦支援に従事
1920年代中国大陸へ派遣。権益保護に従事
1927年 3月25日南京事件勃発を受け居留民保護のため南京城内を砲撃
1940年第二次大戦勃発のため地中海艦隊へ転属。アレクサンドリアへ拠点を移す
1941年10月21日アレキサンドリア沿岸にて独潜「U-79」の雷撃を受け大破着底
アレキサンドリアに曳航され、対空浮き砲台として利用される
1945年全損判定となり、除籍。後に解体処分
レディバード[Ladybird]
1915年ロブニッツ社にて起工
1916年 4月12日進水
       5月竣工。ポートサイド(エジプト)へ配備され、第一次大戦に参加
1919年第一次大戦終結後、中国大陸へ派遣。長江小艦隊に所属し権益保護に従事
1937年12月12日蕪湖沖にて日本軍の誤認による砲撃を受け損傷(レディバード号事件)
1939年主砲を50口径6インチ砲へ換装(第一次大戦後に廃艦となった英戦艦「エジンコート」(第二次大戦時の同名駆逐艦とは異なる)の副砲を流用)
1940年第二次大戦勃発のため地中海艦隊へ転属。アレクサンドリアへ拠点を移す
1941年 2月カステロリゾ島(ギリシア)攻略を支援
       5月12日トブルク港にて独軍機の攻撃を受け大破着底(その後もしばらくの間は対空砲台として使用された)
マンティス[Mantis]
1915年ドックスフォード造船所[William Doxford & Sons]にて起工
       9月14日進水
1915年末?竣工。ペルシャ湾に配備され、第一次大戦に参加
1919年ロシア内戦に際し、協商国として白軍支援に参加
1920年代中国大陸へ派遣。権益保護に従事
1940年 1月20日除籍。後にスクラップとして売却
モス[Moth]
1915年ドックスフォード造船所にて起工
      10月 9日進水
1916年 1月 5日竣工。ペルシャ湾に配備され、第一次大戦に参加
1917年メソポタミア方面へ転戦。チグリス川などで作戦支援に従事
1919年ロシア内戦に際し、協商国として白軍支援に参加
1920年代中国大陸へ派遣。権益保護に従事
1941年12月12日日本軍の香港攻略作戦の際に、香港のドック内にて自沈
 以降の経歴は日本海軍砲艦「須磨」の項を参照
スカラブ[Scarab]
1915年ウッド・スキナー社[Wood Skinner & Co.]にて起工
      10月 7日進水
1915年末?竣工。ポートサイド(エジプト)へ配備され、第一次大戦に参加
1917年ブカレスト(ルーマニア)へ転戦。ドナウ川にて作戦支援に従事
1919年第一次大戦終結後、中国大陸へ派遣。長江小艦隊に所属し権益保護に従事
1939年 9月〜第二次大戦勃発に伴い、長江警備に従事
1940年初頭香港へ移動。同年7月にはシンガポールへ移動
1940年末〜東インド艦隊へ転属。ペルシャ湾にて任務に従事
1943年 5月〜地中海艦隊へ転属。マルタを拠点に作戦支援に従事
       6月エルバ島(イタリア)上陸を支援
       7月シチリア上陸(ハスキー作戦)を支援
       9月イタリア上陸(ベイタウン作戦)を支援
1944年 7月〜連合軍特殊部隊の南仏上陸を支援
1945年 6月〜太平洋艦隊へ転属。翌月マヌス島(アドミラルティ諸島)へ進出
1945年後半対日戦終結後、シンガポールへ到着。そのまま退役。保管船となる
1946年除籍。同年5月スクラップとして売却
タランチュラ[Tarantula]
1915年ウッド・スキナー社にて起工
      12月18日進水
1916年竣工。ペルシャ湾に配備され、第一次大戦に参加
1919年第一次大戦終結後、中国大陸へ派遣。長江小艦隊に所属し権益保護に従事
1939年 9月〜第二次大戦勃発に伴い、長江警備に従事
1940年初頭香港へ移動。同年7月にはシンガポールへ移動
1940年末〜東インド艦隊へ転属。ペルシャ湾にて任務に従事
1944年夏英海軍太平洋艦隊司令官(ブルース・フレーザー提督)の旗艦となる
1946年 5月 1日除籍後、実艦標的として使用され沈没


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