戦艦 ドレッドノート

Battleship "Dreadnought"

英国海軍


HMS Dreadnought
戦艦「ドレッドノート」(1906年)

下記写真はイーグルモス社発行「隔週刊 世界の軍艦コレクション」付属の模型です(クリックで拡大(要Javascript))
ドレッドノート
第52号(2015.01.20)
戦艦「ドレッドノート」1907年

スペックデータ
排水量:(満)21,800t ボイラー:Babcock & Wilcox罐・石炭重油混焼×18基 燃料搭載量:石炭2,900t
        重油1,100t
全長:(全)160.6m
全幅:25.0m 主機:Parsons式直結タービン×4基、4軸推進
吃水:9.0m
出力:23,000hp
武装:
45口径12inch連装砲5基、45口径3inch単装砲27基、
18inch魚雷発射管5門
最大速力:21.0kt
航続距離:10ktで6,600浬
乗員定数:700名前後

同型艦名(1隻)
ドレッドノート[Dreadnought]

戦艦ドレッドノートについて
 19世紀末、仮想敵国である帝政ドイツはイギリスに対抗するため、戦艦艦隊の増強に乗り出してきていた。彼我の戦艦保有隻数で言えば、まだ倍以上の差があり優位に立っていたイギリス海軍であったが、いずれ追いつかれるかもしれないという危機感から、戦艦の数を増やすだけでなく、これまでの戦艦とは一線を画する革新的な戦艦の設計を目指すことにした。
 それまでの戦艦は、少数の大口径砲とそれを補助する多数の中小口径砲を搭載する混成砲列と呼ばれる構成であったが、将来の砲戦では戦闘距離が長くなると考え、主砲を大口径砲のみにした設計を1904年末から開始した。
 翌年2月には設計が完了、同年10月から建造が開始されたが、建造期間を短縮するために構造の標準化や事前組み立て方式などを採用したおかげで、4ヶ月という短期間で進水することができた。実際に起工から竣工までにかかった期間は14ヶ月ほどで、それまでのイギリス戦艦最短建造期間記録(31ヶ月)の半分以下の期間で完成させている。
 主砲は45口径12インチ砲に統一され連装砲塔5基10門となり、一度に片舷方向へ8門を向けることができた。これはそれまでイギリス海軍の最強戦艦であった「キング・エドワードVII世」が12インチ砲4門しか搭載していなかったことに比べ倍以上の増強であり、帝政ドイツが保有する戦艦「ドイッチュラント」(主砲は11インチ砲4門、他に6.7インチ砲14門)と比較しても圧倒的といえる攻撃力を持っていた。さらに、英戦艦として初のタービン機関を搭載しており、20ノット超の高速を発揮できる艦でもあった。
 この革新的な戦艦は世界中の海軍が保有していた既存の戦艦をすべて旧式なものとしてしまい、各国は「ドレッドノート」を参考にした新型戦艦の建艦を行うことになった。本艦の設計に敬意を表して、これら新しい設計の戦艦を「ド級戦艦」(「ド」はドレッドノートのことを指す。漢字では「弩」の字をあてる)と呼ぶようになった。
 しかし、この革新的な戦艦は大海戦でその能力を示すことはなく、第一次大戦最大の海戦であるジュットランド沖海戦もドック入りしていたために参加できず、第一次大戦終結とともに除籍解体されてしまっている。
※本艦は第二次大戦前に除籍解体されており本来は当サイトで扱う対象とならないものだが、歴史的に重要な艦であることと例の模型が手に入ったため、あえて項目を設けてみました。

戦艦ドレッドノートの歴史
ドレッドノート[Dreadnought]
1905年10月 2日ポーツマス王立造船所にて起工
1906年 2月10日進水
      12月 2日竣工
1907年 3月〜本国艦隊ノア戦隊旗艦となる
1909年 3月〜本国艦隊旗艦となる
1910年 2月 7日前衛的文化人集団「ブルームズベリーセット」扮する偽エチオピア皇族一行が当艦
内の視察を行い、海軍の保安体制を問われる事件となった(偽エチオピア皇帝事件)
1911年 6月キング・ジョージV世戴冠記念観艦式に参加
1912年12月第四戦艦戦隊に転属
1913年 7月第四戦艦戦隊旗艦となる
1914年 7月第一次大戦勃発に伴い、根拠地をスカパフローへ移す
      12月戦隊旗艦の任務を解かれる
1915年 3月18日ペントランド海峡にて独潜「U−29」(WW2時の同名艦とは異なる)を体当たりで撃沈
(戦艦が潜水艦を沈めた唯一の事例)
1916年 4月〜改装のためドック入りする(このため5月のジュットランド海戦に不参加)
       7月戦線復帰。第三戦艦戦隊の旗艦となり沿岸部の警備任務に従事
1918年 3月第四戦艦戦隊へ転属。旗艦任務に従事
1919年 2月予備役艦となり、ロサイスにて繋留される
1920年 3月31日除籍
1921年 5月スクラップとして売却(22年説あり)。23年解体


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