マッチャーヌ型 潜水艦

"Matchanu" Class Submarines
เรือดำน้ำชั้น "มัจฉาณุ"


タイ王国(シャム)海軍 タイ海軍


มัจฉาณุ
「マッチャーヌ」(1938年:Photo from Wikipedia Commons)
スペックデータ
排水量(水上):370t排水量(水中):430t全長:51.0m
出力(水上):1,000hp出力(水中):540hp全幅:4.11m
最大速力(水上):14.5kt最大速力(水中):8.0kt吃水:3.65m
航続距離(水上):10ktで3,000浬航続距離(水中):不明乗員数:24〜33名
燃料搭載量:重油 27t安全潜行深度:60m
主機関:(形式不詳)ディーゼル機関×2基+(メーカー不詳)電動モーター×2基、2軸推進
武装:
《魚雷7発搭載》53cm魚雷発射管5門(艦首4、艦尾1)、
40口径7.6cm単装砲1基、13.2mm単装機銃1基

同型艦名(4隻)
マッチャーヌ
[ มัจฉาณุ (Matchanu)]
ウイルン
[ วิรุณ (Wirun)]
シンサムッタ
[ สินสมุทร (Sinsamut)]
プライ・チュンポン
[ พลายชุมพล (Phlai-chumphon)]

マッチャーヌ型 潜水艦について

 19世紀末頃から海軍の近代化に乗り出したタイ王国(1939年までの国名は『シャム』)海軍だったが、財政的な問題から各種軍艦の調達は遅々として進まなかった。20世紀初頭に有効な新兵器として登場した潜水艦についても、各国と同様タイ海軍でも1910年頃には興味を示していたが、調達の予算を確保できたのは1934年のことであった。
 各国の潜水艦メーカーに声をかけて1935年10月に入札が行われたが、そこで4隻の潜水艦建造と潜水艦乗員への操作訓練を請け負ったのは日本の三菱重工であった(乗員訓練は日本海軍が行う)。翌36年4月からまず2隻の潜水艦建造が開始され、同年6月からは乗員訓練が千葉県で始まった。1937年9月4日に最初の2隻はタイ海軍へ引き渡されており、タイ海軍ではこの日を『潜水艦の日』として記念日に制定している。1938年には4隻全艦が揃い、6月にタイ人乗員の手により台湾・フィリピン経由で回航され7月19日に海軍へ就役した。

 1940年にタイと仏領インドシナの間で国境紛争が起きた際には、当クラスはタイ湾で哨戒任務に従事しているが、特に大きな戦果は挙げていない。タイは1942年には第二次大戦に枢軸側として参戦しているが、大きな戦闘に参加はせず終戦を迎えている。大戦末期に連合軍機がタイの発電所を爆撃し首都バンコクが停電した際には、「マッチャーヌ」と「ウイルン」が発電機としてバンコクの路面電車に電力供給を行っている。
 敗戦により日本が兵器の製造を禁じられたことにより、タイ海軍は潜水艦のバッテリーや消耗部品の調達が行えなくなり、1951年6月に起こった海軍将兵のクーデター(マンハッタンの反乱)失敗による海軍の影響力低下もあって、全艦が51年11月に退役となった。退役後はスクラップにされたが、「マッチャーヌ」の上部構造の一部はタイ海軍博物館に現在も展示されている。


マッチャーヌ型 潜水艦の歴史
マッチャーヌ[ มัจฉาณุ (Matchanu)]
1936年 5月 6日三菱神戸にて起工
      12月24日進水
1937年 9月 4日竣工
1938年 6月 5日〜タイへ回航のため神戸港を出港。同月25日到着
       7月19日タイ海軍へ就役
1940年11月23日〜タイ・仏領インドシナ間で紛争が勃発
タイ湾にて哨戒任務に従事
1942年 1月第二次大戦に参戦するが、特に大きな作戦への参加はなし
1945年 4月14日〜連合軍機の爆撃により停電したバンコクにて、発電機船として使用
1951年 6月末(マンハッタンの反乱失敗)
      11月30日退役。後に解体処分
 上部構造の一部は海軍博物館に展示公開されている
ウイルン[ วิรุณ (Wirun)]
1936年 5月 6日三菱神戸にて起工
      12月24日進水
1937年 9月 4日竣工
1938年 6月 5日〜タイへ回航のため神戸港を出港。同月25日到着
       7月19日タイ海軍へ就役
1940年11月23日〜タイ・仏領インドシナ間で紛争が勃発
タイ湾にて哨戒任務に従事
1942年 1月第二次大戦に参戦するが、特に大きな作戦への参加はなし
1945年 4月14日〜連合軍機の爆撃により停電したバンコクにて、発電機船として使用
1951年 6月末(マンハッタンの反乱失敗)
      11月30日退役。後に解体処分
シンサムッタ[ สินสมุทร (Sinsamut)]
1936年10月 1日三菱神戸にて起工
1937年 5月14日進水
1938年 4月30日竣工
       6月 5日〜タイへ回航のため神戸港を出港。同月25日到着
       7月19日タイ海軍へ就役
1940年11月23日〜タイ・仏領インドシナ間で紛争が勃発
タイ湾にて哨戒任務に従事
1942年 1月第二次大戦に参戦するが、特に大きな作戦への参加はなし
1951年 6月末(マンハッタンの反乱失敗)
      11月30日退役。後に解体処分
プライ・チュンポン[ พลายชุมพล (Phlai-chumphon)]
1936年10月 1日三菱神戸にて起工
1937年 5月14日進水
1938年 4月30日竣工
       6月 5日〜タイへ回航のため神戸港を出港。同月25日到着
       7月19日タイ海軍へ就役
1940年11月23日〜タイ・仏領インドシナ間で紛争が勃発
タイ湾にて哨戒任務に従事
1942年 1月第二次大戦に参戦するが、特に大きな作戦への参加はなし
1951年 6月末(マンハッタンの反乱失敗)
      11月30日退役。後に解体処分


検索画面に戻るときはブラウザの「戻る」等の機能を使用してください。 LAST UPDATE 2017,08,20(FirstUp 2016,07,16)