オゼェウ型 潜水艦

"Orzeł" Class Submarines
Okręty podwodne typu "Orzeł"


ポーランド海軍 ポーランド海軍


ORP Orzeł
「オゼェウ」(1939年頃:Photo from Wikimedia Commons)
スペックデータ
排水量(水上):1,110t排水量(水中):1,473t全長:(全)84.0m
出力(水上):4,740hp出力(水中):1,100hp全幅:6.71m
最大速力(水上):19.4kt最大速力(水中)9.0:kt吃水:4.17m
航続距離(水上):10ktで7,000浬航続距離(水中):5ktで100浬乗員数:56〜60名
燃料搭載量:重油123t安全潜行深度:80m
主機関:Sulzer式ディーゼル機関×2基+Brown, Boveri & Cie(BBC)製電動モーター×2基、2軸推進
武装:
《魚雷20発搭載》55cm魚雷発射管12門(艦首4、艦尾4、舷側(旋回式)4)、41口径10.5cm
単装砲1基、56口径40mm連装機関砲1基、13.2mm連装機銃1基(魚雷発射管は53.3cm魚雷も
使用可能)(Sępは戦後に甲板砲を51口径10cm単装砲1基、魚雷発射管を53.3cm魚雷発射管12門
(艦首8、艦尾4。魚雷16発搭載)のソビエト式兵装へ換装)

同型艦名(2隻)
オゼェウ [Orzeł]スェンプ [Sęp]

オゼェウ型 潜水艦について

 1930年代初頭に3隻の潜水艦(「ルィシュ」型)を調達したポーランド海軍が、周辺諸国間の情勢が悪化してきたこともあって続いて建造を計画した潜水艦。敷設潜水艦だった「ルィシュ」型と異なり、純然な航洋型潜水艦として計画された。計画では4隻の建造が予定されていたが、予算の関係から1935年にまず2隻の建造がオランダへ発注されている(情勢がさらに悪化したため、残り2隻の建造は1939年4月に中止となった)。
 建造を受注したオランダでは、オランダ海軍の潜水艦「O16」を基にした設計が行われた。航洋型潜水艦として敵艦隊への攻撃が行えるよう、55センチ魚雷発射管を艦の前後に4門ずつと舷側に旋回式発射管4門のあわせて12門を装備しており、自衛用としてボフォース社製の10.5センチ砲と40ミリ機関砲が搭載されている(後から建造する艦は40ミリ機関砲2基の計画だった)。なお、魚雷発射管は世界標準の21インチ(53.3センチ)魚雷も使用できるようになっていた。

 1939年初頭に竣工した2隻はポーランド海軍に就役したが、就役直後の同年9月に第二次大戦が勃発しバルト海へ展開することになった。「オゼェウ」は独掃海艇に追撃されながらもタリン(エストニア)へ逃れ、中立国だったエストニアに危うく拿捕抑留されかけるも、脱出を強行してイギリスへ逃れている(オゼェウ事件)。イギリスでは自由ポーランド海軍に配属され、英海軍指揮下でノルウェー方面の戦いに参加したが、1940年6月に消息不明となり亡失認定されている。姉妹艦の「スェンプ」はイギリスへの脱出を諦め、スウェーデンへ逃れたため大戦中は中立国であるスウェーデンに抑留され、戦争終結後にポーランドへ返還となった後、1969年まで使用された。

 第二次大戦開戦前にポーランドが建造した潜水艦は当クラスで終了となり、大戦中に自由ポーランド海軍が装備した艦はイギリスから貸与されたものであった。


オゼェウ型 潜水艦の歴史
オゼェウ [Orzeł]
1936年 8月14日オランダの王立スヘルデ工廠[Koninklijke Maatschappij De Schelde]にて起工
1938年 1月15日進水
1939年 2月 2日竣工。同月7日ポーランドへ到着
       9月 1日〜第二次大戦勃発。グダニスク湾への機雷敷設などを実施
       9月12日海軍指揮系統破綻のためタリン(エストニア)へ向け脱出
       9月13日タリン到着。24時間の滞在が許されるが、補給修理の後、出航直前になって
エストニア軍に拿捕される
       9月18日エストニア軍による武装解除に抵抗し、18日夜半に強行出港(オゼェウ事件)
脱出に成功したポーランド潜「ヴィルク」の情報を得てイギリスへ向かう
      10月14日カテガット海峡にて英駆「ヴァララス」と会合。翌日イギリスへ到着
1940年〜英海軍指揮下にて北海などで哨戒任務に従事
       4月 8日クリスチャンサンド(ノルウェー)沖にて独商船(実際は独軍の仮装兵站輸送船)「リオ・デジャネイロ」[Rio de Janeiro]を発見。臨検を拒否したため雷撃撃沈する
       5月23日〜北海へ向け哨戒任務に出撃するも、以降の連絡が途絶える
       6月 8日喪失と認定される(英海軍本部は5月25日に北海中央付近にて触雷沈没と推測しているが、他説では6月8日ロサイス沖で触雷沈没とするものもある)
スェンプ [Sęp]
1936年11月オランダのロッテルダム造船[Rotterdamse Droogdok Maatschappij]にて起工
1938年10月17日進水
1939年 4月16日竣工。同月18日ポーランドへ到着
       9月 1日〜第二次大戦勃発。ヘル半島沿岸での哨戒任務を実施
       9月 2日独駆「フリードリッヒ・イーン」を雷撃するも命中せず
その後、独駆からの反撃により損傷を負いゴットランド島方面へ退避
       9月13日司令部よりイギリスへ脱出するよう指示があるも、船体の損傷がひどくスウェーデンへ退避することを選択
       9月17日ストックホルム(スウェーデン)へ到着。24時間の猶予内に出港できずスウェーデンに拿捕抑留される
1945年 9月 5日戦争終結により抑留解除。ポーランド海軍へ返還される
修理の後10月21日スウェーデン出港、同月25日ポーランド到着
1946年(45年中とする説あり)兵装をソビエト式に改める改修工事を実施
1959年練習潜水艦となる
1964年艦内にて火災発生。乗員8名が犠牲となる
1969年 9月15日退役。72年解体処分


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