グロム型 駆逐艦

"Grom" Class Destroyers
Niszczyciel typu "Grom"


ポーランド海軍 ポーランド海軍


ORP Grom

ORP Błyskawica
(上段)「グロム」(1940年頃:Photo from Wikimedia Commons)/(下段)「ブリスカヴィカ」(1943年)
スペックデータ
排水量:(常)2,011t ボイラー:Admiralty罐・重油専焼×3基 燃料搭載量:重油350t
全長:(全)114.0m
全幅:11.28m 主機:Parsons式ギヤードタービン×2基、2軸推進
吃水:3.3m
出力:54,000hp
武装:
50口径12cm連装砲3基、同単装砲1基、56口径40mm連装機関砲2基、13.2mm連装機銃4基、
53cm魚雷3連装発射管2基、爆雷投射機2基、機雷搭載可能
(Błyskawicaの第二次大戦時改装後:45口径4inch連装砲4基、45口径3inch単装高角砲1基、
40mm連装機関砲2基、76口径20mm単装機関砲4基、魚雷3連装発射管1基、爆雷投射機)
最大速力:39.0kt
航続距離:15ktで3,000浬
乗員定数:180名

同型艦名(2隻)
グロム[Grom]ブリスカヴィカ[Błyskawica]

グロム型 駆逐艦について
 第一次大戦後に領土割譲により再誕したポーランド共和国は海軍戦力強化のため、フランスへ発注建造した駆逐艦(「ブルザ」型)に続いて、イギリスへ大型駆逐艦の発注を行った。イギリスでは第一次大戦中に建造した既存の大型駆逐艦の設計を流用するのではなく、さらに進化した1930年代の最新技術を盛り込んで新たな設計を行うことで、当クラスを今後建造されるであろう英海軍大型駆逐艦のサンプルケースとして利用することにしたのである。
 当クラスは1935年から建造が開始され、1937年に2隻の姉妹艦が竣工している。船首楼型船体の前後に2基ずつ連装主砲塔が背負い式に配置されており、艦中央の大型集合煙突が印象的なシルエットの艦であった。主砲は「グロム」型に搭載された13センチ口径ではなく、イギリス式(ただしスウェーデン製)の12センチ(4.7インチ)口径とされ、対空火器も同じくスウェーデン製のボフォース機関砲が搭載された。魚雷は世界標準となった21インチ(53.3センチ)直径のものが3連装発射管2基に搭載されている。
 第二次大戦勃発直前に、当クラス両艦はイギリスへ向け脱出(ペキン作戦)しており、ドイツ軍のポーランド侵攻後はイギリス海軍の指揮下で戦闘に参加した。「グロム」はノルウェー戦線にて独軍機の攻撃を受け戦没したが、「ブリスカヴィカ」はノルウェー戦線からダンケルク撤退を戦い、その後英海軍の駆逐艦に準ずる兵装改修が行われ、大西洋などで船団護衛や哨戒任務に従事して大戦を生き残った。戦後はポーランドへ返還され1976年に退役後は、「ブルザ」に替わってグディニャにて記念艦として公開されている。

ブルザ型 駆逐艦の歴史
グロム[Grom] (英海軍艦番号 H71)
1935年 7月17日J・サミュエル・ホワイト社にて起工
1936年 7月20日進水
1937年 5月11日竣工
1939年 8月30日ドイツ軍の侵攻間近とみて、英国へ向け脱出を図る(ペキン作戦)
       9月 1日英海軍艦艇と邂逅をはたし、同日夜ロサイスへ到着
(同日、ドイツ軍によるポーランド侵攻が開始される)
       9月 3日英海軍指揮下となり、艦番号(ペナントナンバー)を付与される
      11月〜英国周辺海域の哨戒任務などに従事
1940年 4月〜ノルウェー近海で哨戒任務や船団護衛、対地砲撃などに従事
       5月 4日ナルヴィク北東ロムバケン・フィヨルドにて独軍機の攻撃を受け沈没
ブリスカヴィカ[Błyskawica] (英海軍艦番号 H34)
1935年11月 9日J・サミュエル・ホワイト社にて起工
1936年10月 1日進水
1937年11月25日竣工
1939年 8月30日ドイツ軍の侵攻間近とみて、英国へ向け脱出を図る(ペキン作戦)
       9月 1日英海軍艦艇と邂逅をはたし、同日夜ロサイスへ到着
(同日、ドイツ軍によるポーランド侵攻が開始される)
       9月 3日英海軍指揮下となり、艦番号(ペナントナンバー)を付与される
       9月 7日南ユーイスト島南東沖にて独潜を攻撃するも取り逃がす
(第二次大戦におけるポーランド艦として初の交戦)
      11月〜英国周辺海域の哨戒任務などに従事
1940年 4月〜ノルウェー近海で哨戒任務や船団護衛、対地砲撃などに従事
       5月 2日ロムバケン・フィヨルドにて独地上軍と交戦。砲撃により損傷を負う
       5月 5日〜ロムバケン・フィヨルドにて独軍機と交戦。同月中旬スカパフローへ帰還
       5月27日〜ダンケルク撤退を支援
       8月〜大西洋にて船団護衛に従事
      10月26日船団護衛中、貨物船と衝突し損傷を負う
      12月 4日船団護衛中、荒天のため船体や舵に損傷を負う
1941年中盤兵装の換装工事を実施(完了は同年末)
      12月末〜大西洋にて哨戒任務などに従事
1942年 4月〜機関の修理などを実施。修理中に独軍機の爆撃を受け損傷を負う
       8月〜修理完了後、大西洋にて船団護衛に従事
1943年 3月〜Q部隊へ転属。イギリス海峡などで哨戒任務に従事
1944年 6月 9日イギリス海峡にて独駆逐隊と交戦(ブルターニュ沖海戦)
1945年末〜終戦後、接収した独潜水艦の自沈処分に従事(デッドライト作戦)
1947年ポーランドへ返還。同年7月に帰還しポーランド海軍へ再就役
1976年 5月〜グディニャにて記念艦として公開される


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