M型 掃海艇

"M" Class Minesweeper
Mijnenveger "M"klasse


オランダ海軍 他 オランダ海軍 ドイツ海軍


Hr.Ms. M1
掃海艇「M1」(1930年頃:Photo from Wikipedia Commons)
スペックデータ(M3、M4のデータ。【 】内はM1、[ ]内はM2のもの)
排水量:(基)230t【238t】
     [205t]
ボイラー:円罐・石炭専焼×1基 燃料搭載量:石炭(搭載量不明)
全長:29.8m【30.5m】[29.7m]
全幅:6.42m【6.95m】[6.65m] 主機:往復動蒸気機関(3段膨張式)×1基、1軸推進
吃水:2.5m【2.8m】[3.2m]
出力:450hp【500hp】[500hp]
武装:
12.7mm単装機銃1基、
最大速力:10kt【9.5kt】[10kt]
航続距離:不明
乗員定数:16名

同型艦名(4隻)
M1 [M1]M2 [M2]M3 [M3]M4 [M4]

M型掃海艇について

 オランダ海軍は機雷敷設のための敷設艦(「ヒードラ」型)は1910年から建造していたが、敵が敷設した機雷を除去する掃海艇については第一次大戦が始まった後に、遅まきながら調達を行っている。
 オランダ海軍最初の掃海艇となった当クラスは、元々は曳船(タグボート)として建造されていたものを改造し、1918年に掃海艇として艦籍に編入したものである。建造所の違いでスペックがそれぞれ異なっているが、4隻とも同型として扱われている(同じ造船所で建造された「M3」および「M4」は同スペック)。ちなみに「M3」および「M4」は帝政ロシア政府により発注されたものであったが、ロシア革命により注文がキャンセルされ、建造途中で放置されていた艇であった。

 第一次大戦でオランダは中立だったため当艦の出番はなかったが、戦後になって通商航路に戦争当事国が敷設した機雷を除去するために当クラスは活躍している。第二次大戦開戦時にも当クラスは現役であったが、古いタイプの触発機雷しか掃海できない旧式艦と見なされていた。
 ドイツ軍がオランダへ侵攻を開始すると掃海艇隊に所属して任務に従事したが、「M2」は触雷沈没し、他の艇も独軍の捕獲をおそれ自沈している。


M型掃海艇の歴史
M1 [M1]
1915年10月15日ファン・デル・クイ&リー社[Van der Kuy & van der Ree]にて曳船「マリー1」[Marie 1]として起工
1916年12月20日進水
1918年オランダ海軍が購入。ウィレムスオールト海軍工廠にて掃海艇への改修を実施
1918年10月31日竣工。「掃海艇1号」[Mijnenveger I]と命名
1919年艇名を「M1」と改名
1940年 5月10日ドイツ軍のオランダ侵攻が開始。当艇は機関故障のため行動できず
       5月14日ドイツ軍の捕獲をおそれエイマンデンにて自沈
       7月27日ドイツ軍により浮揚修理され、ドイツ海軍籍へ編入
病院船に類別され、艇名を「LAZ 46」と改名
1941年艇名を「ZRD 5」と改名。海洋救助隊に所属
大戦末期ごろ艇名を「BS 10」と改名。サルベージ船協会に所属
1945年 5月〜終戦によりオランダへ返還。艇名を「RS 21」と改名しオランダ海軍の曳船となる
1949年12月23日ボルクム島(ドイツ)沖にて荒天のため遭難沈没
M2 [M2]
1917年 2月コープマン社[Koopman]にて曳船「マリー2」[Marie 2]として起工
       7月12日進水
1918年オランダ海軍が購入。ウィレムスオールト海軍工廠にて掃海艇への改修を実施
1918年12月 3日竣工。「掃海艇2号」[Mijnenveger II ]と命名
1919年艇名を「M2」と改名
1940年 5月10日ドイツ軍のオランダ侵攻が開始。エイマンデン周辺の掃海に従事
       5月13日エイマンデン沿岸にて触雷、大破着底
       7月ドイツ軍により浮揚修理され、ドイツ海軍籍へ編入
病院船に類別され、艇名を「LAZ 47」と改名
       9月17日エイマンデン沿岸にて沈船に衝突し浸水着底
1941年 3月 6日修理後、ハンブルグの曳船業者に委任。艇名を「フェアプレイ X」[Fairplay X ]と改名
1965年廃船。スクラップとして売却
M3 [M3]
1915年J&A・ファン・デ・スクート[J.&A.Van de Schuyt]にて曳船「アナ」[Anna]として起工
1918年オランダ海軍が購入。進水後ウィレムスオールト海軍工廠にて掃海艇への改修を実施
1918年10月 1日竣工。「掃海艇3号」[Mijnenveger III ]と命名
1919年艇名を「M3」と改名
1940年 5月10日ドイツ軍のオランダ侵攻が開始。エイマンデン周辺の掃海に従事
       5月14日ドイツ軍の捕獲をおそれエイマンデンにて自沈
後にドイツ軍の手により爆破処分される
M4 [M4]
1915年J&A・ファン・デ・スクートにて曳船「パウリーネ」[Pauline]として起工
1918年オランダ海軍が購入。進水後ウィレムスオールト海軍工廠にて掃海艇への改修を実施
1918年10月 1日竣工。「掃海艇4号」[Mijnenveger IV ]と命名
1919年艇名を「M4」と改名
1940年 5月10日ドイツ軍のオランダ侵攻が開始。エイマンデン周辺の掃海に従事
       5月14日ドイツ軍の捕獲をおそれエイマンデンにて自沈
       7月22日〜ドイツ軍により浮揚。アムステルダムにて修理を実施
1941年修理完了後、艇名を「ZRD 57」と改名。海洋救助隊に所属
大戦末期ごろ艇名を「BS 9」と改名。サルベージ船協会に所属
1945年 5月〜終戦によりオランダへ返還。艇名を「RS 23」と改名しオランダ海軍の曳船となる
時期不詳艇名を「A-847」と改名
時期不詳補助艇へ類別変更。艇名を「Y-8262」と改名
1992年 3月10日除籍。売却処分


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