ヤン・ファン・アムステル型 掃海艇

"Jan van Amstel" Class Minesweeper
Mijnenveger "Jan van Amstel"klasse


オランダ海軍 他 オランダ海軍 ドイツ海軍 イギリス海軍 オーストラリア海軍


Hr.Ms. Pieter de Bitter
Hr.Ms. Eland Dubois
(上段)掃海艇「ピーター・デ・ビタラ」/(下段)掃海艇「イランド・デュボワ」(どちらも1930年代:Photo from Wikipedia Commons)
スペックデータ
排水量:(基)460t ボイラー:Yarrow罐・重油専焼×2基 燃料搭載量:重油110t
全長:(全)56.8m
全幅: 7.8m 主機:直立型往復動蒸気機関(3段膨張式)×2基、2軸推進
吃水: 2.0m
出力:1,600hp
武装:
52口径75mm単装砲1基、12.7mm連装機銃2基、機雷40個
搭載可能、掃海具搭載(一部の艇は大戦中に主砲を40口径76mm単装
砲1基、機銃を70口径20mm単装機関砲2基へ換装)
最大速力:15.0kt
航続距離:11ktで4,700浬
乗員定数:45名

同型艦名(9隻)
ヤン・ファン・アムステル [Jan van Amstel]ピーター・デ・ビタラ [Pieter de Bitter]
アブラハム・クリンセン [Abraham Crijnssen]イランド・デュボワ [Eland Dubois]
ウィレム・ファン・エウェイク(初代)
[Willem van Ewijck (1)]
ピーター・フロリス [Pieter Florisz]
ヤン・ファン・ヘルダー [Jan van Gelder]アブラハム・ファン・デル・フルスト(初代)
[Abraham van der Hulst (1)]
ウィレム・ファン・エウェイク(2代) → アブラハム・ファン・デル・フルスト(2代)
[Willem van Ewijck (2)]           [Abraham van der Hulst (2)]

ヤン・ファン・アムステル型掃海艇について

 オランダ海軍が1930年代後半に建造した掃海艇。第二次大戦までに建造されたオランダ海軍掃海艇の中で、最も大型で姉妹艇の数が多いクラスとなった。オランダ本国沿岸および蘭領東インドで使用するため、全部で12隻の建造が計画されたが、第二次大戦が始まりドイツがオランダへ侵攻した時点で8隻(うち1隻は事故のため沈没)が竣工していたのみで、残り4隻は建造中だった。建造中の4隻のうち1隻はドイツ軍の手により竣工させられているが、他の3隻は建造中止となった。
 従前の掃海艇に比べて大型化しており、掃海任務以外に護衛任務や哨戒任務にも使用できるよう、搭載兵装が強化されている。

 第二次大戦時には、オランダ本国と蘭領東インドに配備されており、本国ではドイツ軍と、蘭領東インドでは日本軍と交戦している。一部の艇はイギリスやオーストラリアへ逃れ、受け入れ国の海軍指揮下で任務に従事した艇もあった。


ヤン・ファン・アムステル型掃海艇の歴史
ヤン・ファン・アムステル [Jan van Amstel]
1936年 3月21日P・スミット社[P. Smit]にて起工
       8月27日進水
1937年 3月15日竣工
1939年 9月〜第二次大戦勃発時は蘭領東インドへ展開中
1941年12月〜(対日戦勃発)
1942年 3月 6日スラバヤにて日軍機の攻撃を受け損傷を負う
オーストラリアへ向け脱出を開始
       3月 8日ギリ島(マドゥラ島南東)にて日駆逐隊と交戦し沈没
ピーター・デ・ビタラ [Pieter de Bitter]
1936年 3月21日P・スミット社にて起工
      10月29日進水
1937年 5月26日竣工
1939年 9月〜第二次大戦勃発時は蘭領東インドへ展開中
1941年12月〜(対日戦勃発)
1942年 3月 6日スラバヤにて日軍機の攻撃を受け沈没
アブラハム・クリンセン [Abraham Crijnssen]
1936年 3月21日グスト社[Gusto]にて起工
       9月22日進水
1937年 5月26日竣工
1939年 9月〜第二次大戦勃発時は蘭領東インドへ展開中
1941年12月〜(対日戦勃発)
1942年 3月 6日オーストラリアへ向け脱出を開始。同月15日ジェラルトンへ到着
オーストラリア西岸などで護衛任務に従事
       8月26日オランダ海軍籍除籍。オーストラリア海軍籍へ編入
オーストラリア周辺などで護衛任務に従事
1945年 6月 7日シドニー〜ダーウィン間で蘭潜「K IX」を曳航するが、曳航索が切れ漂流させてしまう
終戦後オランダへ返還。オランダ海軍籍再編入。蘭領東インドにて哨戒に従事
1949年蘭領東インドの第2掃海隊へ転属
1950年インドネシア独立に際し、オランダへ帰還
1952年港湾閉塞防御に従事(港口のゲート船として使用される)
1961年退役。海洋青年団[Zeekadetkorps]へ貸与
1995年廃船。海上博物館へ改装され、97年からデン・ヘルダーにて公開中
イランド・デュボワ [Eland Dubois]
1936年 3月21日グスト社にて起工
      10月24日進水
1937年 6月21日竣工
1939年 9月〜第二次大戦勃発時は蘭領東インドへ展開中
1941年12月〜(対日戦勃発)
1942年 3月 6日オーストラリアへ向け脱出を開始
       3月 8日ギリ島付近にて日水偵に発見され脱出を断念。爆雷の自爆により自沈
ウィレム・ファン・エウェイク(初代) [Willem van Ewijck (1)]
1936年P・スミット社にて起工
1937年 2月22日進水
       7月19日竣工
1939年 9月 8日テルスヘリング島沿岸にて自軍敷設機雷に触雷し沈没
ピーター・フロリス [Pieter Florisz]
1936年11月22日P・スミット社にて起工
1937年 5月11日進水
       9月13日竣工
1939年 9月〜第二次大戦勃発時はデン・ヘルダーへ展開中
1940年 5月10日〜(ドイツ軍のオランダ侵攻が開始)
       5月14日独軍の捕獲をおそれエンクホイゼンにて自沈
      12月〜ドイツ軍により浮揚され、魚雷回収艇への改装を実施
艇名を「M 551」と改名し、ドイツ海軍籍へ編入
1944年 8月〜独海軍第27潜水隊へ転属。潜水艦の戦術行動訓練に従事
1945年後半終戦後オランダへ返還。ウィレムスオールト海軍工廠にて修理
1946年オランダ海軍へ再就役。漁業監視などに従事
1947年 9月〜蘭領東インドへ転属。スラバヤを拠点に掃海任務に従事
1950年インドネシア独立に際し、オランダへ帰還
1952年港湾閉塞防御に従事(港口のゲート船として使用される)
1962年退役。海洋青年団へ貸与
1976年 9月廃船。スクラップとして売却
ヤン・ファン・ヘルダー [Jan van Gelder]
1936年10月10日グスト社にて起工
1937年 3月27日進水
       9月13日竣工
1939年 9月〜第二次大戦勃発時はデン・ヘルダーへ展開中
      10月 8日テルスヘリング島沿岸にて触雷損傷
ウィレムスオールト海軍工廠にて修理後、翌年4月に部隊復帰
1940年 5月10日〜(ドイツ軍のオランダ侵攻が開始)
同日、蘭潜「O13」と共にイギリスへ向け脱出。翌日ポーツマスへ到着
1940年後半〜英海軍指揮下で英国周辺の掃海任務に従事
1943年 3月26日オランダ海軍除籍。イギリス海軍籍へ編入
1945年 3月オランダへ返還。オランダ海軍へ再就役
1945年後半〜蘭領東インドへ転属。哨戒任務に従事
1950年インドネシア独立に際し、オランダへ帰還
港湾閉塞防御に従事(港口のゲート船として使用される)
1961年(62年説あり)退役。海洋青年団へ貸与。以降の消息不明
アブラハム・ファン・デル・フルスト(初代) [Abraham van der Hulst (1)]
1936年11月13日グスト社にて起工
1937年 5月31日進水
      10月11日竣工
1939年 9月〜第二次大戦勃発時はデン・ヘルダーへ展開中
1940年 5月10日〜(ドイツ軍のオランダ侵攻が開始)
       5月14日独軍の捕獲をおそれエンクホイゼンにて自沈
      12月〜ドイツ軍により浮揚され、魚雷回収艇への改装を実施
艇名を「M 553」と改名し、ドイツ海軍籍へ編入
1944年 4月21日ブリスタロート[Brüsterort](現ロシア・カリーニングラード北西)沖にて触雷大破
       7月ゴーテンハーフェンへ曳航されるが、全損判定となり修理されず。後に自沈処分
ウィレム・ファン・エウェイク(2代) [Willem van Ewijck (2)]
1940年P・スミット社にて起工
       4月16日進水
       5月ドイツ軍のオランダ侵攻に際し造船所にて捕獲される
       8月26日竣工。艇名を「AM 1」(「MH 1」とする説あり)と改名。独海軍籍へ編入
      12月〜魚雷回収艇への改装を実施。艇名を「M 552」と改名
1944年 8月〜独海軍第27潜水隊へ転属。潜水艦の戦術行動訓練に従事
1945年後半終戦後オランダへ返還
艇名を「アブラハム・ファン・デル・フルスト(2代)」と改名しオランダ海軍へ再就役
1946年 9月〜蘭領東インドへ転属。哨戒任務に従事
1950年インドネシア独立に際し、オランダへ帰還
1952年港湾閉塞防御に従事(港口のゲート船として使用される)
1961年退役。翌年海洋青年団へ貸与。以降の消息不明


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