O 21型 潜水艦

"O 21" Class Submarines
Onderzeeboot van de "O 21" Klasse


オランダ海軍 他 オランダ海軍 イギリス海軍 ドイツ海軍


Hr.Ms. O 24
「O24」(1946年)
スペックデータ(O21〜O24のデータ)
排水量(水上):990t排水量(水中):1,205t全長:(全)77.7m
出力(水上):5,000hp出力(水中):1,000hp全幅:6.80m
最大速力(水上):19.5kt最大速力(水中):9.0kt吃水:3.95m
航続距離(水上):12ktで10,000浬航続距離(水中):8.5ktで28浬乗員数:39名
燃料搭載量:重油 135t安全潜行深度:100m
主機関:Sulzer式ディーゼル機関×2基+(メーカー不詳)電動モーター×2基、2軸推進
武装:
《53cm魚雷14発搭載》53cm魚雷発射管8門(艦首4、艦尾2、艦中央に旋回式連装1)、
42口径88mm単装砲1基、36口径40mm単装機関砲2基(O24は20mm単装機関砲1基。O21および
O23は1942年に40mm機関砲を1基減じて20mm単装機関砲1基へ換装)、12.7mm単装機銃1基

同型艦名(7隻)
O21 [O 21]O22[O 22]O23[O 23]O24[O 24]
O25 [O 25]O26[O 26]O27[O 27] 

O 21型 潜水艦について

 1930年代中盤に計画された航洋型潜水艦。「O19」型と同様、計画当初は「K」の番号(「K XXI」〜「K XXVII」)が振られていたが、建造時に「O」シリーズの番号に変更されている。「O19」型の設計をベースとしているが機雷敷設の装備は行われず、魚雷発射管の配置も「O16」と同様の旋回式連装発射管を持っていた。船体はダブルハルの頑丈なもので、安全潜行深度は「O19」型と同様100メートルとされたが、実際には175メートル程度まで可能だったと言われている。

 当クラスは1937年から順次建造が開始され、1939年に第二次大戦が勃発した時点で1隻も進水できていなかったものの、開戦時点ではオランダは交戦国ではなかったため急ピッチで建造が進められた。1940年5月になってドイツ軍がオランダへ侵攻した時点で5隻の姉妹艦が進水済みだったが、まだ竣工した艦は無く、そのうち4隻(「O21」から「O24」まで)は艤装未完了のままイギリスへ逃れることに成功した。
 イギリスへ逃れた4隻は英海軍の指揮下で作戦に従事し、地中海や北海など幅広い海域で哨戒や船団護衛に参加した。そのうち「O22」は1940年11月に北海で触雷沈没している。脱出できずオランダに残った3隻はドイツ占領後に独軍により接収、建造が続行され竣工後は「U−D3」「U−D4」「U−D5」の名称で独海軍に編入となった。独海軍では哨戒任務や訓練任務に従事しているが、うち2隻は1945年5月の独海軍崩壊時に自沈している。
 終戦後に残存していた艦はオランダへ返還され、オランダ海軍に復帰して1950年代まで現役として使用されている。


O 21型 潜水艦の歴史
O21 [O 21](英海軍艦番号 P21)
1937年11月20日王立スヘルデ工廠[Koninklijke Maatschappij De Schelde]にて起工
1939年10月21日進水
1940年 5月10日未完了のまま就役。イギリスへ向け脱出(翌日ダウンズへ到着)
       5月12日〜ポーツマスへ回航され、残工事を実施(完了は翌月)
       7月末〜英海軍指揮下で北海にて哨戒任務に従事
       8月 1日北海にて独潜(「U−60」と推定)を雷撃するも命中せず
1941年 2月〜船団を護衛しジブラルタルへ移動。以降はジブラルタルから哨戒に従事
      11月28日モロッコ近海にて独潜「U−95」を雷撃、撃沈
      12月英本土へ帰還。イギリス海峡などの哨戒に従事
1942年 8月〜東洋艦隊へ転属。南アフリカ経由でインド洋へ移動(翌年2月コロンボへ到着)
1943年 3月〜コロンボを拠点にベンガル湾などで哨戒に従事
       8月フリーマントル(濠州)へ移動。機関修理を実施
      11月〜オーバーホールのため英国へ向け出港
コロンボ〜スエズ経由でイギリスへ向かう(翌年2月到着)
1944年 5月 6日〜英国で搭載した新型蓄電池の再適合作業のため米国へ向け出港
(同月末フィラデルフィアへ到着)
      12月〜作業終了後、パナマ経由で濠州へ向け出港(翌年4月到着)
1945年 7月〜フリーマントルを拠点にジャワ海への哨戒に従事
      10月終戦後、バタビアへ帰還。オランダ海軍へ復帰
1946年〜蘭領東インドにて哨戒任務に従事
1950年代魚雷の試験艦として使用される
1957年11月 2日除籍。翌年スクラップとして売却
O22 [O 22](英海軍艦番号 P22)
1937年11月20日王立スヘルデ工廠[Koninklijke Maatschappij De Schelde]にて起工
1940年 1月20日進水
       5月10日未完了のまま就役。イギリスへ向け脱出(翌日ダウンズへ到着)
       5月12日〜ポーツマスへ回航され、残工事を実施(完了は翌月)
       7月末〜英海軍指揮下で北海にて哨戒任務に従事
       8月 2日北海にて独潜(「U-37」or「U-38」と推定)を雷撃するも命中せず
      11月 5日〜ノルウェー近海(ベルゲン沖)偵察任務のためダンディーを出撃
その後消息を絶つ(同月13日に触雷沈没と推定)
      11月19日行方不明と記録される
1993年 8月13日エーゲルスン[Egersund]]南方沖にて船体が発見される
O23 [O 23](英海軍艦番号 P23)
1937年10月12日ロッテルダム造船[Rotterdamsche Droogdok Maatschappij]にて起工
1939年12月 5日進水
1940年 5月13日未完了のまま就役。イギリスへ向け脱出(同月15日ダウンズへ到着)
       6月初旬ポーツマスへ回航され、残工事を実施(完了は同月末)
       8月中旬〜英海軍指揮下で北海にて哨戒任務に従事
1941年 2月〜船団を護衛しジブラルタルへ移動。以降はジブラルタルから哨戒に従事
       9月英本土へ帰還。イギリス海峡などの哨戒に従事
1942年 3月〜東洋艦隊へ転属。スエズ経由でインド洋へ移動(同年5月コロンボへ到着)
       5月中旬ボンベイへ回航され修理を実施(完了は同年7月)
       7月中旬〜コロンボを拠点にベンガル湾などで哨戒に従事
       7月29日マラッカ海峡にて日艦隊(重巡「熊野」他)を雷撃するも命中せず
      12月〜コロンボにて機関の修理を行う(完了は翌年3月)
1943年 5月14日コロンボにて停泊中、隣接した係留宿泊船が荒天のため動揺し接触
船体に軽微な損傷を負う(修理完了は同月18日)
       5月22日〜コロンボを拠点にベンガル湾などで哨戒に従事
       7月28日ベンガル湾小アンダマン島近海にて日軽巡「香椎」を雷撃するも命中せず
       9月〜オーバーホールのため英国へ向け出港
スエズ経由でイギリスへ向かう(同年10月到着)
1944年 1月〜グランジマウス[Grangemouth]にてオーバーホールを実施(完了は翌年2月)
1945年 7月〜オーストラリアへ向けスエズ経由で移動。移動中に終戦を迎える
(同年9月フリーマントルへ到着)
       9月29日バタビヤへ帰還。オランダ海軍へ復帰
1948年12月 1日除籍。翌年スクラップとして解体処分
O24 [O 24](英海軍艦番号 P24)
1937年11月12日ロッテルダム造船にて起工
1940年 3月18日進水
1940年 5月13日未完了のまま就役。イギリスへ向け脱出(同月15日ダウンズへ到着)
       6月初旬ポーツマスへ回航され、残工事を実施(完了は7月末)
       9月中旬〜英海軍指揮下で北海にて哨戒任務に従事
1941年 4月〜ジブラルタルへ移動。以降はジブラルタルから哨戒に従事
1942年 1月〜英本土へ帰還。修理や訓練を実施
       7月〜東洋艦隊へ転属。スエズ経由でインド洋へ移動(同年10月コロンボへ到着)
      10月下旬〜コロンボを拠点にベンガル湾などで哨戒に従事
1943年 8月19日マラッカ海峡にて独補給艦「キト」[Quito]を雷撃するも命中せず
      11月 3日マラッカ海峡にて日艦隊(軽巡「大井」型他)を雷撃するも命中せず
      12月〜オーバーホールのため米国へ向け出港
スエズ経由でアメリカへ向かう(翌年2月フィラデルフィア到着)
1944年 3月(?)〜フィラデルフィアにてオーバーホールを実施(完了は同年8月)
       9月 8日〜イギリスへ向け出港(同月21日ホーリー・ロッホ到着)
1945年 2月 6日〜コロンボへ向けスエズ経由で移動(同年3月末到着)
同年4月初旬フリーマントル(濠州)へ移動
       4月中旬〜フリーマントルを拠点にジャワ海などの哨戒に従事
       6月13日マカッサル西方沖にて日水雷艇「雉」を雷撃するも命中せず
       9月バタビヤへ帰還。オランダ海軍へ復帰
1947年第一線を退き、練習艦任務に従事
1948年退役。バタビヤにて係留電力船(蓄電池船)として使用される
1955年 6月除籍。62年スクラップとして解体処分
O25 [O 25]
1939年 4月10日ウィルトン・ファイエノールト社[Wilton-Fijenoord]にて起工
1940年 5月 1日進水
       5月10日〜(ドイツ軍によるオランダ侵攻が開始される)
 ドイツに占領され、ドイツ軍監視下で工事継続
1941年 6月 8日竣工。ドイツ海軍編入。艦名を「U−D3」と命名
       7月〜練習任務や哨戒任務に使用される
1943年 3月〜潜水艦防衛学校[U-Boot-Abwehrschule]の練習船として使用される
1944年10月13日第一線任務から退き、キール軍港にて予備艦として係留される
1945年 5月 3日ドイツの敗戦必至となったため、キール軍港にて自沈
O26 [O 26]
1939年 4月20日ウィルトン・ファイエノールト社にて起工
1940年 5月10日〜(ドイツ軍によるオランダ侵攻が開始される)
 ドイツに占領され、ドイツ軍監視下で工事継続
      11月23日進水
1941年 1月28日竣工。ドイツ海軍編入。艦名を「U−D4」と命名
       2月〜教育・練習任務に使用される
1945年 5月 3日ドイツの敗戦必至となったため、キール軍港にて自沈
O27 [O 27]
1939年 9月 3日ウィルトン・ファイエノールト社にて起工
1940年 5月10日〜(ドイツ軍によるオランダ侵攻が開始される)
 ドイツに占領され、ドイツ軍監視下で工事継続
1941年 4月26日進水
1942年 1月30日竣工。ドイツ海軍編入。艦名を「U−D5」と命名
       2月〜練習任務や哨戒任務に使用される
1943年 1月〜潜水艦防衛学校の練習船として使用される
1945年 5月 9日ドイツ降伏時ベルゲン(ノルウェー)にあり、連合軍へ投降
       7月イギリスにてオランダへ引き渡し。蘭海軍「O27」として編入
 蘭海軍にて訓練任務や魚雷試射の実験艦などに従事
1959年11月14日除籍。61年スクラップとして解体処分


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