O 19型 潜水艦

"O 21" Class Submarines
Onderzeeboot van de "O 21" Klasse


オランダ海軍 他 オランダ海軍 イギリス海軍 ドイツ海軍


Hr.Ms. O 19
「O19」(1943年:Photo from Wikipedia Commons)
スペックデータ
排水量(水上):1,109t排水量(水中):1,536t全長:(全)80.9m
出力(水上):5,300hp出力(水中):1,000hp全幅:7.41m
最大速力(水上):19.5kt最大速力(水中):9.0kt吃水:3.87m
航続距離(水上):12ktで10,000浬航続距離(水中):8.5ktで27浬乗員数:40名
燃料搭載量:重油 搭載量不明安全潜行深度:100m
主機関:Sulzer式ディーゼル機関×2基+(メーカー不詳)電動モーター×2基、2軸推進
武装:
《53cm魚雷14発搭載》53cm魚雷発射管8門(艦首4、艦尾4)、
42口径88mm単装砲1基、36口径40mm単装機関砲2基(O19は1943年に1基減)、
12.7mm単装機銃1基、垂直式機雷敷設筒20基(機雷40個搭載)、
(O19は1943年に20mm単装機関砲1基追加)

同型艦名(2隻)
O19 [O 19]O20[O 20]

O 19型 潜水艦について

 1930年代初頭に計画されたオランダ海軍初の国産敷設潜水艦。計画当初は「K」の番号(「K XIX」および「K XX」)が振られていたが、直前に建造された「O16」により「O」シリーズと「K」シリーズの差が無くなっていたことから、建造時に「O」シリーズへ変更されている(番号は「K」シリーズの19番および20番を引き継いだため、16番までしか建造されていなかった「O」シリーズは17番および18番が欠番となった)。

 第一次大戦時にオランダが拿捕した独海軍の敷設潜水艦「UC−8」(オランダ海軍編入後は「M1」と改名)による試験運用の実績をもとに、「O16」の設計をベースとして設計されており、同時期にオランダで建造されたポーランド海軍の潜水艦「オゼェウ」にも似通ったスタイルの艦となっている。魚雷発射管は「O16」と同じ8門が装備されたが、旋回式発射管は搭載せず艦首・艦尾のみとなっている。また竜骨に沿って左右に10基ずつ垂直式の機雷敷設筒が設置され、計40個の機雷を搭載することができた。

 当クラスは第二次大戦開戦直前に竣工し、2隻ともが蘭領東インドへ配備された。第二次大戦開戦後は南シナ海などで任務に従事していたが、1941年12月の対日戦開戦後はジャワ海で哨戒に従事している。「O20」は対日戦開戦から二週間ほどで戦没した。「O19」は英海軍指揮下でベンガル湾やインド洋まで広い範囲で行動しているが、終戦直前の1945年7月に座礁、行動不能となり船体は放棄・自沈処分された。


O 19型 潜水艦の歴史
O19 [O 19](英海軍艦番号 N54)
1936年 6月15日ウィルトン・ファイエノールト社[Wilton-Fijenoord]にて起工
1938年 9月22日進水
1939年 7月 3日竣工。蘭領東インドへ配備(同年9月到着)
 第二次大戦のため南シナ海などで哨戒や機雷敷設に従事
1941年12月対日戦勃発。ジャワ海などで哨戒に従事
      12月中旬〜英海軍指揮下に入り、シンガポールを拠点に哨戒に従事
1942年 3月〜ベンガル湾へ進出。コロンボを拠点に哨戒に従事
       9月〜南アフリカ経由で英国へ向け航海
1943年 2月〜英国にて近代化改修を実施。レーダー等を装備(完了は翌年1月)
1944年 2月英国周辺海域にて習熟訓練などに従事
       6月〜地中海経由でコロンボへ向け出発(同年7月末到着)
       8月〜オーストラリアへ移動。フリーマントルを拠点に哨戒に従事
1945年 1月 9日ジャワ海にて日本軍船団を攻撃するも、護衛艦艇の反撃を受け損傷
ダーウィン(濠州)にて応急修理後、フリーマントルに帰還
       3月末〜修理完了後、ジャワ海の哨戒に復帰
       4月17日日重巡「足柄」、駆「神風」に対して雷撃を行うが命中せず
       7月 8日南シナ海ラッド礁[Ladd reaf]にて座礁。行動不能となる
       7月10日米潜「コッド」により曳航を試みるも失敗
レーダー等の機密情報を守るため「コッド」の砲雷撃により自沈処分
O20 [O 20]
1936年 6月15日ウィルトン・ファイエノールト社にて起工
1939年 1月31日進水
1939年 8月28日竣工。蘭領東インドへ配備(同年10月到着)
 第二次大戦のため南シナ海などで哨戒や機雷敷設に従事
1941年12月対日戦勃発。ジャワ海などで哨戒に従事
      12月中旬〜英海軍指揮下に入り、シンガポールを拠点に哨戒に従事
      12月19日コタバル東方沖にて日駆逐隊の攻撃を受け浮上
乗員脱出後に自沈する(生存者は日駆「浦波」に収容される)


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