K VIII型 潜水艦

"K VIII" Class Submarines
Onderzeeboot van de "K VIII" Klasse


オランダ海軍 他 オランダ海軍 オーストラリア海軍


Hr.Ms. K X
「K X」(撮影時期不詳:Photo from Wikipedia Commons)
スペックデータ(【 】内はK VIIIのデータ)
排水量(水上):583t排水量(水中):810t全長:(全)64.4m
出力(水上):1,550hp【1,800hp】出力(水中):400hp全幅:5.60m
最大速力(水上):15.0kt【16.0kt】最大速力(水中):8.0kt吃水:3.55m
航続距離(水上):11ktで3,500浬航続距離(水中):8ktで25浬乗員数:31名
燃料搭載量:重油 搭載量不明安全潜行深度:50m
主機関:Sulzer式ディーゼル機関×2基+(メーカー不詳)電動モーター×2基、2軸推進
     【MAN式ディーゼル機関×2基+(メーカー不詳)電動モーター×2基、2軸推進】
武装:
《魚雷10発搭載》45cm魚雷発射管4門(艦首2、艦尾2)、
42口径88mm単装砲1基、12.7mm単装機銃1基

同型艦名(3隻)
K VIII [K VIII]K IX [K IX]K X [K X]

K VIII型 潜水艦について

 オランダ海軍の植民地警備向け航洋型潜水艦(Kシリーズ)として、「K V」型に続いて建造された艦。基本的に「K V」型の改良型であるが、設計にはホランド潜水艦のデザインも取り込まれたほか、第一次大戦の影響により建造が遅れたため、他国の戦訓を取り入れることが可能となった。
 戦訓を反映した結果、水上艦からの爆雷攻撃に弱い司令塔内設置の旋回式魚雷発射管は撤去され、船体構造もダブルハル(二重船殻構造。耐圧内殻を完全に外殻で覆ったものを指す。内殻が船体表面に出ている構造はシングルハル(一重船殻構造))となり、安全潜行深度が50メートルに増加した。

 1916年度に計画され翌年から順次起工となったが、第一次大戦による資材不足などで建造スケジュールは遅れ、ネームシップである「K VIII」が進水したのは1922年のことであった。就役後は蘭領東インドで任務に従事しているが、対日戦勃発後ほとんど活躍することはなく、全艦が大戦中に喪われている。


K VIII型 潜水艦の歴史
K VIII [K VIII]
1917年10月31日王立スヘルデ工廠[Koninklijke Maatschappij De Schelde]にて起工
1922年 3月28日進水
       9月15日竣工
       9月18日蘭領東インドへ向け出港。同年12月24日スラバヤへ到着
1941年12月対日戦開戦時、スラバヤにて予備艦として係留中だった
また蓄電池の爆発事故により損傷を負っていた
1942年 1月修理の後、再就役。ジャワ海などで哨戒や訓練任務に従事
       2月日本軍のジャワ侵攻を受け、フリーマントル(濠州)へ脱出
濠州到着後、乗員が英潜水艦受領のためイギリスへ移動し行動不能となる
       5月18日退役
       7月15日除籍。後に「K IX」のための部品取りに使用される
K IX [K IX]
1919年 3月 1日王立スヘルデ工廠にて起工
1922年12月23日進水
1923年 6月21日竣工
1924年 2月28日蘭領東インドへ向け出港。同年5月13日インドネシアへ到着
1939年 9月〜第二次大戦勃発。スンダ海峡などで哨戒任務に従事
1941年12月対日戦開戦時、スラバヤにて予備艦として係留中だった
1942年 2月日本軍のジャワ侵攻を受け、フリーマントル(濠州)へ脱出
濠州到着後、濠州海軍指揮下で訓練任務に従事
       6月 1日特種潜航艇の攻撃に際し、シドニー港にて警戒行動中
艦内搭載の魚雷爆発事故により損傷を負う
       7月25日蘭海軍除籍。濠州海軍へ譲渡される
1943年 6月22日修理完了後、濠海軍編入。艦名を「K9」と改称
1944年 1月22日蓄電池の爆発事故により損傷を負う
       3月31日退役。係留され港湾の燃料タンクとして使用される
1945年 6月廃船。解体のため曳航され移動中に曳航索が切れて漂流
その後、海岸に座礁しているのを発見されるが放置となる
K X [K X]
1919年11月 1日王立スヘルデ工廠にて起工
1923年 5月 2日進水
       9月24日竣工
1924年 9月25日蘭領東インドへ向け出港。同年12月7日インドネシアへ到着
1939年 9月〜第二次大戦勃発。スンダ海峡などで哨戒任務に従事
1941年12月対日戦開戦時、スラバヤにて予備艦として係留中だった
      12月27日ボルネオへ移動するも、翌年ボルネオは日本軍の侵攻を受けたため、
42年1月8日ボルネオを脱出しスラバヤへ戻る
1942年 2月19日〜スラバヤを拠点に哨戒任務に従事
       3月 1日日本軍の侵攻を受け、捕獲をおそれスラバヤにて自沈する
 日本軍占領後、浮揚され係留燃料タンクとして使用される
1946年終戦後、オランダにより再接収。後にスクラップとして解体処分


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