K V型 潜水艦

"K V" Class Submarines
Onderzeeboot van de "K V" Klasse


オランダ海軍 オランダ海軍


Hr.Ms. K VII
「K VII」(撮影時期不詳)
スペックデータ
排水量(水上):569t排水量(水中):649t全長:(全)57.3m
出力(水上):1,200hp出力(水中)400:hp全幅:5.60m
最大速力(水上):13.5kt最大速力(水中):8.0kt吃水:3.82m
航続距離(水上):11ktで3,500浬航続距離(水中):8ktで25浬乗員数:31名
燃料搭載量:重油 搭載量不明安全潜行深度:40m
主機関:Sulzer式ディーゼル機関×2基+(メーカー不詳)電動モーター×2基、2軸推進
武装:
《魚雷12発搭載》45cm魚雷発射管6門(艦首2、艦尾2、上構内連装旋回式1)、
52口径75mm単装砲1基、(1920年代に12.7mm単装機銃1基を追加)

同型艦名(3隻(WW2に参加したのは1隻))
K V [K V]K VI [K VI]K VII [K VII]

K V型 潜水艦について

 オランダは世界各地に植民地を持っており、植民地警備のため航洋型の各種軍艦を就役させていた。20世紀になって潜水艦が発達してくると、オランダ海軍は自国沿岸防衛用の潜水艦のほかに植民地警備用の航洋型潜水艦の建造を行っている。当クラスは第一次大戦中の1916年から建造が行われた航洋型潜水艦である。第一次大戦前にオランダ海軍がホワイトヘッド社のマーレイ・ヘイ[Marley F. Hay]へ設計を依頼した「K 」(Kはオランダ語で植民地を指すコロニー[Kolonie]の頭文字)をベースに、イギリスのウィリアム&デニー社[William Denny & Brothers]で改設計したもので、両者の名前を取って「ヘイ・デニー」タイプとも呼ばれている。
 波の荒い外洋を長距離航海する航洋型として船体は大型化しており、また航続距離も沿岸用に比べ長大なものとなっている。長期間の任務に従事できるよう搭載魚雷も増え、全周囲に雷撃が可能なよう艦首・艦尾だけでなく司令塔前方に連装の旋回式発射管が装備された。

 1920年代初頭に就役した当クラスは、蘭領東インドへ配属され植民地警備の任務に従事しているが、姉妹艦のうち「K V」と「K VI」は1937年に退役し、第二次大戦が勃発した時点で現役に残っていたのは「K VII」一隻のみであった。
 日本参戦までの間はスラバヤを拠点に哨戒任務などに従事していたが、1941年末の太平洋戦争開戦時には「K VII」はスラバヤで予備艦として係留された状態となっていた。1942年2月に日本軍がスラバヤへ迫ると、「K VII」は爆撃による破壊をおそれ港内に潜水沈底したが、日本軍機の爆撃により破壊され沈没した(この際沈底作業に従事した乗員13名が戦死した)。


K V型 潜水艦の歴史
K V [K V]
1916年 4月 4日ファイエノールト社[Maatschappij Fijenoord]にて起工
1919年11月20日進水
1920年 9月15日竣工
1921年10月〜蘭領東インドへ配属。翌年1月スラバヤへ到着
 スラバヤを拠点に警備任務に従事
1937年 8月退役。後に解体処分
K VI [K VI]
1916年 4月 4日ファイエノールト社にて起工
1920年12月23日進水
1921年10月11日竣工
      10月〜蘭領東インドへ配属。翌年1月スラバヤへ到着
 スラバヤを拠点に警備任務に従事
1935年第一線任務から外される
1937年 8月退役。後に解体処分
K VII [K VII]
1916年 7月25日ファイエノールト社にて起工
1921年 3月 8日進水
1922年 9月 5日竣工
1923年 9月〜蘭領東インドへ配属。同年12月スラバヤへ到着
 スラバヤを拠点に警備任務に従事
1941年12月予備艦となり、スラバヤに係留される
1942年 2月18日日本軍の攻撃を避けるためスラバヤの港内に潜水沈底するが、日本軍機の爆弾が命中し破壊、沈没


検索画面に戻るときはブラウザの「戻る」等の機能を使用してください。 LAST UPDATE 2017,08,13(FirstUp 2016,06,19)