K XIV型 潜水艦

"K XIV" Class Submarines
Onderzeeboot van de "K XIV" Klasse


オランダ海軍 他 オランダ海軍 イギリス海軍


Hr.Ms. K XIV
Hr.Ms. K XVI
(上段)「K XIV」/(下段)「K XVI」(どちらも1939年頃:Photo from Wikipedia Commons)
スペックデータ
排水量(水上):865t排水量(水中):1,045t全長:(全)73.6m
出力(水上):3,200hp出力(水中):960hp全幅:6.51m
最大速力(水上):17.0kt最大速力(水中):9.0kt吃水:3.93m
航続距離(水上):12ktで10,000浬航続距離(水中):8.5ktで26浬乗員数:38名
燃料搭載量:重油 搭載量不明安全潜行深度:80m
主機関:MAN式ディーゼル機関×2基+Smit Slikkerveer式電動モーター×2基、2軸推進
武装:
《魚雷14発搭載》53cm魚雷発射管8門(艦首4、艦尾2、司令塔内2)、
42口径88mm単装砲1基、36口径40mm単装機関砲2基
(「K XIV」「K XV」は1942年頃に40mm機関砲を撤去)

同型艦名(5隻)
K XIV [K XIV]K XV [K XV]K XVI [K XVI]
K XVII [K XVII]K XVIII [K XVIII] 

K XIV型 潜水艦について

 1930年に発注された植民地警備用の航洋型潜水艦。1920年代後半に建造された沿岸用潜水艦「O12」型の拡大改良型であるが、船体が大型化したため機関出力は強化されており、航続距離も延伸している。また魚雷兵装も増強され、艦尾発射管1門と司令塔内前方に連装の発射管が追加となったほか、甲板砲も復活している。
 機関出力が強化されたほか溶接技術の向上により船体も軽量化されたため、水上航行時の最高速度は17ノット(公試時の最高記録は19ノット)に達している。航洋型潜水艦として植民地警備だけでなく通商破壊なども視野に入れていたのか、無線設備も強化され、潜望鏡も周辺偵察用と攻撃用の2本となった。

 5隻の姉妹艦が建造され1933年から順次就役し、蘭領東インドへ配属されている。対日戦勃発後、「K XIV」「K XV」の2隻はスラバヤを逃れイギリス軍と供に作戦に従事したが、残りの3隻は日本軍との交戦もしくは自沈により喪われている。なお、自沈した「K XVIII」は後に日本軍により浮揚され、修理の後は防空監視用の係留見張船となったが、終戦前に英潜水艦の攻撃により沈没した。
 英海軍指揮下で行動し大戦を生き残った2隻は、終戦後も蘭領東インド周辺の哨戒任務を続け、1946年に退役している。


K XIV型 潜水艦の歴史
K XIV [K XIV](英海軍艦番号 N22)
1930年 5月31日ロッテルダム造船[Rotterdamsche Droogdok Maatschappij]にて起工
1931年 7月11日進水
1933年 7月 6日竣工。翌年12月蘭領東インドへ配備
1939年 9月〜第二次大戦勃発。セレベス海などで哨戒に従事
1941年12月〜対日戦勃発。マカッサル海峡などの哨戒に従事
      12月23日ボルネオ島北方にて日本軍の輸送船団を雷撃
日本陸軍の輸送船4隻に命中し、うち3隻を撃沈する
1942年 3月 1日ジャワ島エレッタン湾にて日軽巡(「由良」と推定)を雷撃するも命中せず
日艦隊の反撃により重大な損傷を負う
 修理のためタンジュンプリオクに退避しようとするが、日本軍侵攻のため戻れず、
コロンボへ向け脱出。3月13日コロンボ到着
       4月〜ボンベイへ回航し、応急修理を実施(完了は同年7月)
       8月〜喜望峰周りで大西洋へ移動(米国で修理を行うため)
      11月23日南大西洋(カーボベルデ西方)にて蘭商船「コタ・チャンディ」[Kota Tjandi]と遭遇
双方とも敵と誤認し攻撃を行ったが、大きな損傷はなし
      12月12日米フィラデルフィアへ到着。大規模な修理を実施(完了は翌年5月)
1943年 7月〜英ダンディーへ回航、レーダー等の装備を搭載(完了は同年10月)
      12月〜地中海・紅海経由でコロンボへ移動
1944年 3月〜コロンボを拠点にインド洋東方の哨戒に従事
       3月29日スマトラ島の石油貯蔵施設を砲撃する
       4月〜拠点をオーストラリアに移し哨戒に従事
       6月21日ソロン西方にて日敷設艦「津軽(2代)」を雷撃、損傷を負わせる
1945年10月終戦のため、タンジュンプリオクへ帰還
 ジャワ周辺海域の哨戒などに従事
1946年 4月23日退役。後に解体処分?
K XV [K XV](英海軍艦番号 N24)
1930年 5月31日ロッテルダム造船にて起工
1932年12月10日進水
1933年12月30日竣工。翌年4月蘭領東インドへ配備
1939年 9月〜第二次大戦勃発。セレベス海などで哨戒に従事
1941年12月〜対日戦勃発。マカッサル海峡などの哨戒に従事
1942年 3月 1日ジャワ島西方にて日給油艦「鶴見」を雷撃、損傷を負わせる
       3月 6日日本軍のジャワ侵攻により戻れなくなったためコロンボへ退避開始
同月13日コロンボへ到着
       3月末〜英海軍指揮下でコロンボを拠点に哨戒に従事
       7月〜喜望峰周りで大西洋へ移動(米国で修理を行うため)
      10月28日米フィラデルフィアへ到着。オーバーホールを実施(完了は翌年5月)
1943年 5月〜英ダンディーへ回航、レーダー等の装備を搭載(完了は同年6月)
      11月〜地中海・紅海経由でコロンボへ移動
1944年 2月〜コロンボを拠点にインド洋東方の哨戒に従事
       3月〜拠点をオーストラリアに移し哨戒に従事
1945年10月終戦のため、タンジュンプリオクへ帰還
 ジャワ周辺海域の哨戒などに従事
1946年 4月23日退役。1950年スクラップとして売却
K XVI [K XVI]
1930年 5月31日ロッテルダム造船にて起工
1933年 4月 8日進水
1934年 1月30日竣工。翌年3月蘭領東インドへ配備
1939年 9月〜第二次大戦勃発。セレベス海などで哨戒に従事
1941年12月〜対日戦勃発。マカッサル海峡などの哨戒に従事
      12月24日ボルネオ島クチン北方沖にて日駆「狭霧」を雷撃、撃沈
      12月25日クチン西方沖にて日潜「イ−66」の雷撃により沈没
K XVII [K XVII]
1931年 6月 1日ウィルトン・ファイエノールト社[Wilton-Fijenoord]にて起工
1932年 7月26日進水
1933年12月21日竣工。35年3月蘭領東インドへ配備
1939年 9月〜第二次大戦勃発。セレベス海などで哨戒に従事
1941年12月〜対日戦勃発。英海軍と共同しシンガポールを拠点に哨戒に従事
      12月19日シンガポールへの帰還命令の無電通信を最後に消息を絶つ
      12月21日行方不明と記録される
1978年ペカン(マレーシア)東方にて沈没した船体が発見される
(日本軍敷設の機雷に触雷沈没とする説が有力)
K XVIII [K XVIII]
1931年 6月10日ウィルトン・ファイエノールト社にて起工
1932年 9月27日進水
1934年 3月23日竣工。翌年7月蘭領東インドへ配備
1939年 9月〜第二次大戦勃発。セレベス海などで哨戒に従事
1941年12月〜対日戦勃発。マカッサル海峡などの哨戒に従事
1942年 1月23日バリクパパン沖にて日本軍の輸送船団を雷撃
日本陸軍の輸送船1隻を撃沈。護衛の日軽巡「那珂」には命中せず
       1月24日バリクパパン沖にて日本軍の駆潜艇「第12号」を雷撃するも命中せず
駆潜艇の反撃を受け損傷を負うもスラバヤへ帰還
       3月 2日スラバヤにて修理中に日本軍の侵攻を受け、捕獲をおそれ自沈
1944年頃〜日本軍により浮揚・修理され、マドゥラ海峡にて係留防空見張船として使用される
1945年 6月16日英潜「タシターン」の雷撃を受け沈没


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