水上機母艦 ポールスター

Seaplane Tender "Poolster"
Vliegtuigmoederschip "Poolster"


オランダ海軍 他 オランダ海軍 日本海軍


Hr.Ms. Poolster
「ポールスター」(1940年代初頭)
スペックデータ
排水量:(満)1,565t ボイラー:−−−−− 燃料搭載量:重油 搭載量不明
全長:(全)74.7m
全幅:12.0m 主機:MAN式/J & K Smit社製ディーゼル機関×1基、1軸推進
吃水:3.0m
出力:1,250hp
武装:
37口径7.5cm単装砲1基、90口径12.7mm単装機銃2基、
水上機1機搭載可能(ドルニエ「Do24K」
最大速力:12.0kt
航続距離:不明
乗員定数:90名

同型艦名(1隻)
ポールスター [Poolster]

水上機母艦 ポールスターについて

 オランダが第二次大戦前の1938年からオランダ領東インドで建造した小型水上機母艦。当初は蘭領東インド政府所属のブイ(航路標識)保守船として計画されていたが、1939年9月に開戦すると海軍の水上機母艦として完成させられることになり、同年10月に竣工した。
 オランダ海軍が保有する大型飛行艇ドルニエ「Do24K」を整備可能なよう船体中央に整備用甲板を持ち、その前後に艦橋などの上部構造を持つ特異な形状をしており、艦橋前には自衛用の75ミリ単装砲1基が据えられた。オランダ海軍では、戦闘艦ではなく、補助艦艇に類別されている。

 竣工後はオランダ領東インドで活動し、対日戦開戦時には西ボルネオで母艦任務に従事していたが、翌1942年2月からは魚雷艇母艦として使用されるようになり、同年3月に日本軍の捕獲をおそれタンジョン・プリオクにて自沈した。その後ジャワへ侵攻した日本海軍により浮揚・修理され、1943年に日本海軍の特設救難船「宝嶺丸(ホウレイマル)」となったが、1945年に米軍機の爆撃を受け戦没した。


水上機母艦 ポールスターの歴史
ポールスター [Poolster]
1938年 5月26日タンジョン・プリオク船渠[Droogdok Maatschapij Tandjong Priok]にて
政府所属のブイ保守船として起工
1939年 2月 3日進水
       9月第二次大戦勃発。海軍へ移管され水上機母艦へ改装される
      10月23日竣工(改装工事は継続。1940年就役)
1940年〜蘭領東インドにて水上機母艦任務に従事
1941年12月〜対日戦勃発。ジャワ海にて任務に従事
1942年 2月魚雷艇母艦として使用される
       3月 1日日本軍の捕獲をおそれタンジョン・プリオクにて自沈
1943年 4月〜日本海軍第102工作部の手により浮揚、修理を実施
       9月 1日日本海軍へ編入。艦名を「宝嶺丸」と改名
      11月〜修理完了。ジャカルタやスラバヤを拠点に任務に従事
1945年 1月15日ルソン島沿岸で米艦載機の攻撃を受け損傷
修理のため台湾へ脱出
       4月 4日馬公(台湾)にて米軍機の爆撃を受け沈没


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