ジャワ型 軽巡洋艦

"Java" Class Light Cruisers
Lichte kruisers van de Java klasse


オランダ海軍 Koninklijke Marine




Hr.Ms.Java
「ジャワ」((上段)1925年/(下段)1940年)
スペックデータ(竣工時:【 】内は第二次大戦開戦時のデータ)
排水量:(常)5,185t
    【(常)6,670t】
ボイラー:Schulz-Thornycroft罐・石炭重油混焼×8基
      【1930年代中盤に重油専焼へ改修】
燃料搭載量:石炭1,070t、重油352t
       【重油1,200t】
全長:(全)155.3m
全幅:16.0m 主機:(Java)Krupp-Germania式ギヤードタービン×3基
    (Sumatra)Zoelly式ギヤードタービン×3基、各艦とも3軸推進
    【Sumatraは1935年にParsons式へ換装】
吃水:5.5m
出力:(Java)65,000hp
  (Sumatra)82,000hp
武装:
50口径15cm単装砲10基、55口径7.5cm単装高角砲4基、機雷48発
【高角砲を撤去し、56口径40mm連装機関砲2〜3基を搭載】
(竣工後に水偵2機を追加搭載)
最大速力:30.0kt
航続距離:10ktで4,340浬
乗員定数:480名

同型艦名(2隻+未着工1隻)
ジャワ[Java]スマトラ[Sumatra]セレベス[Celebes]

ジャワ型軽巡洋艦について
 第一次大戦中の1915年、16年次計画で建造された軽巡洋艦。ドイツ海軍(帝国海軍)の「カールスルーエ」[Karlsruhe]型軽巡に対抗できるだけの能力(一説では日本海軍の防護巡「筑摩(初代)」(15.2センチ砲8門、7.6センチ砲4門)を仮想敵としているとの説もある)を持った艦として設計されており、独軽巡が10.5センチ砲12門を搭載していたことから、当クラスはそれより口径の大きい15センチ砲を10門搭載した。ただし設計・建造には独クルップ社の協力を受けており、設計や機構などはドイツ式となっている。オランダの海上戦略では、本国周辺海域よりも富を生む海外植民地の警護を優先していたため、当クラスも蘭領東インド警護を意図しており、艦名も現地地名とされたほか、熱帯での行動のため舷側窓を多くしたり、凌波性を向上させたりといった工夫もされている。戦争による資材不足のため起工から竣工まで10年近くもかかっているが、無事に竣工したネームシップ「ジャワ」と二番艦「スマトラ」は蘭領東インドへ進出した。
 1930年代に両艦とも近代化改修が行われており、航空機の発達により時代遅れとなった高角砲は対空機関砲へ換装されている。また、燃料も石炭重油混焼から重油専焼へ変更されたほか、「スマトラ」に搭載したゾェリー式タービンは高出力だったものの老朽化が早く、パーソンス式のものに換装されている。
 第二次大戦勃発後、「スマトラ」は本国へ帰還し本国周辺海域の警戒に参加したが、独軍のオランダ侵攻後はイギリス経由でカナダへ脱出し、アフリカ喜望峰を通って東南アジアへ転戦している。「ジャワ」は独軍の通商破壊を警戒して船団護衛に従事し、日本参戦後も英海軍と共同で船団護衛を続けた。1942年2月のバリ島沖海戦では無傷だったが、同月末のスラバヤ沖海戦では日重巡の放った魚雷が命中し大破沈没している。
 なお、同クラスでは蘭領東インド艦隊旗艦用として三番艦「セレベス」も1917年次計画で建造が発注された。この艦は旗艦任務が行えるよう船体を若干拡大していたが、起工直後に建造中止となり、その後船台上にあった竜骨などは解体された。

ジャワ型軽巡洋艦の歴史
ジャワ[Java]
1916年 5月31日K.M.スヘルデ造船所[Koninklijke Maatschappij De Schelde]にて起工
1921年 8月 6日進水
1925年 5月 1日竣工
1925年末蘭領東インドへ進出
1937年 5月修理・改修のため本国へ帰還
帰還時スペイン内戦のためジブラルタルで船団護衛を実施
1938年 5月改修完了。ジブラルタルで船団護衛後、蘭領東インドへ進出
      10月13日スンダ海峡にて蘭駆「ピート・ハイン」と衝突、損傷を負う
1939年 9月〜第二次大戦勃発。独軍の通商破壊をおそれ船団護衛や哨戒任務に従事
1941年12月〜太平洋戦争勃発。英海軍と共同で船団護衛などに従事
1942年 2月15日スラバヤ沖にて日軍機の攻撃を受けるも損傷無し
       2月20日バリ島沖にて日艦隊と交戦(バリ島沖海戦)
       2月27日スラバヤ沖にて日艦隊と交戦(スラバヤ沖海戦)
日重巡の雷撃を受け大破炎上、その後沈没
スマトラ[Sumatra]
1916年 7月15日ネーデルラント造船社[Nederlandsche Scheepsbouw Maatschappij]にて起工
1920年12月29日進水
1926年 5月26日竣工
       9月蘭領東インドへ進出
1927年 2月上海にて政情不安(国民党と共産党の対立)激化のため、
オランダ権益および在留オランダ人保護のため上海へ派遣
1930年タービン損傷のため修理を実施。同年6月18日修理完了
       7月28日速度試験中にボイラー室から出火。再度修理を実施(完了は同年9月)
1931年 5月14日ジャワ海にて演習中に座礁。同月21日に離礁に成功
1933年12月〜スラバヤにて近代化改修を実施。完了は1935年
1938年 6月本国へ帰還。帰還時スペイン内戦のためジブラルタルで船団護衛を実施
1939年 9月〜第二次大戦勃発。本国周辺海域の警戒任務に従事
1940年 5月オランダへ独軍が侵攻
当艦は蘭王女ユリアナ(後のユリアナ女王)を乗せイギリス経由でカナダへ脱出
1940年後半〜大西洋から喜望峰周りで蘭領東インドへ進出
到着後はオーバーホールを実施(1941年末完了)
1942年 1月オーバーホール完了。セイロンへ転戦
1943年英ポーツマスへ回航。機関不調のため予備役となる
1944年 6月 9日ノルマンディー作戦時、マルベリービーチ沖へ人工岩礁として自沈
1951年 2月船体の残骸がスクラップとして売却される
セレベス[Celebes]
1917年 6月フェイエンノールト社[Feyenoord]へ建造発注
1917年 7月資材不足のため建造中止
1919年建造キャンセル。船台上で解体される


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